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こんにちは、e-Educationミャンマープロジェクト担当の小沼武彦です。

前回は僕の教育に対する経験や想いをご紹介しました。今回は僕がe-education の採用面接を受けてから、ミャンマーへ向かうまでの出来事をご紹介します。

様々な運と縁があり、僕はミャンマー担当になりました。

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昔の自分と重なった国へ

採用面接後、副代表の三輪さんから「東南アジアの国でe-Educationの新規プロジェクトを立ち上げたい国を上げてくれ」と頼まれました。ベトナム版の応募を見て応募したものの、ベトナム版は最適な人物がいるとのこと。それから1週間パソコンとにらめっこし、色々な方にヒアリングに行き、どの国にしようか悩みました。

「う~ん、どの国もニーズがありそうだな…。ラオス、カンボジア、タイ、東ティモール、ミャンマー…ミャンマーか!!」

軍事政権下の影響で多くの子どもにチャンスが届いてないのではと思い、ミャンマーについて調べ始めると、貧困率が高いことや先生の授業の質に課題があることが分かりました。どこか昔の自分に似ている気がする…。

周囲との隔たりがあり、学校のことを好きになれない子供たちの顔が頭に浮かびました。この国なら自分の経験を使って何かできるかもしれない。心の針が大きく動いた直感を信じ、代表と副代表に想いを伝えました。

僕:「三輪さん、僕、ミャンマーでぜひ挑戦したいんですが…」

三輪さん:「あれ?俺から提案したっけ?実は、俺もミャンマーをぜひ勧めたいと思っていたんだよ」

三輪さんは普段国際協力の仕事に携わっていて、東南アジア各国の教育ニーズを調べてくれていました。そこで見つけたミャンマーの「英語」教育の可能性。僕が英語の学習法について研究していたことを踏まえ、上手くマッチする国を探してくれていました。

こうしてプロジェクト対象国が決定!あとは親に報告するだけでした。

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親からは大反対。それでも・・・

実は、e-Educationに応募し、採用され、途上国に長期間行くことを親にしっかり伝えていませんでした。 そこでミャンマー行きがほぼ確定した12月下旬、両親に電話で相談しました。

「もしもし。俺、休学して2月下旬からミャンマーに行きたいんだけど、だいじょう…ぶ?」

両親にしてみれば寝耳に水。もちろん反対されました 。田舎暮らしの両親がミャンマーに対して持っていたイメージは軍事政権、危険な国でした。また、僕自身就職活動をしなくてはいけない時期でした。僕はアメリカへ留学していたこともあり、1年間就職活動を遅らせていました。

それにもかかわらず、就職活動をしないで、途上国に行くというのだから、両親が反対するのも当たり前です。両親を説得するために実家に帰り、家族会議を行いました。

「行かせてくれ。ここで挑戦できないと、この先一生後悔すると思う。正直、何が自分の中で変わるかはわからないけど、だからこそ行く価値があるんだ。今しかチャンスはないんだ。行かせてくれ!」

両親に想いをひたすら語り、今後のプランを説明し、渋々納得してくれました。許可してくれた親への感謝の気持ちで、一層気が引き締まりました。

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知り合いがいない・・・と思っていたら・・・

両親がOKを出してくれ、次は本格的に渡航準備です。インターネットで情報を調べましたが、中々情報が集まりません。そこでミャンマーへ渡航経験のある人、ミャンマー人の方とコンタクトを取ろうとしましたが、僕にはそんな知り合いがいませんでした。

「誰か知り合いはいませんか?どなたか紹介してくれませんか?」

Facebookなどを活用して相談すると、多くの方が協力してくださり、ミャンマーで働いている方、ミャンマー在住の方、社会起業家の方を僕に紹介してくれました。

多くの人の優しさに囲まれて

渡航2週間前になり、ミャンマーのプロジェクトが大きく動きました。強力な協力者が見つかったのです。その方は「知り合いの、知り合いの、そのまた知り合い」でしたが、プロジェクトに喜んで協力してくれると仰ってくださいました。

3月滞在中の宿泊先を全部手配してくれ、ミャンマー中の教育関係の箇所を一緒にまわってくれる約束もしました。その方は教育者であり、たまたま3月に教育関係の施設をめぐる予定でした。すごい偶然・・・運や縁があると思いました。

そしてあっという間に2月下旬。予定が見えたこともあり、意気揚々とし、僕は勢いに任せてミャンマーへ飛び立ちました。

中国での偶然の再開

成田を出発すると、30時間の長い旅が始まりました。北京で乗り継ぎ便を待っていると、乗り継ぎ先であるクンミン行きのフライトが遅延になりました。どのくらい遅延になるかは全くわからないこと…これは運がないなと思いました。

次の乗り換えに間に合わないのでは?と不安を抱えていたところ、目の前によく知っている顔が。バングラデシュへ担当の修平でした!彼も同じ便でクンミン行きだったのです。

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e-Educationの応募に気づいたこと。ミャンマーへ心が動いたこと。親がOKを出してくれたこと。多くの人が応援・協力してくれたこと。修平と再会したこと。すべて運と縁があるなと思いました。

この運と縁を大切にしよう。そう誓い、僕は無事ミャンマーに降り立ちました!

【おまけ】ミャンマーの洗礼

ミャンマーの最初の衝撃は食事でした。日本食が一番だと思っていて、ミャンマー料理に期待はしていなかったものの、いわゆるゲテモノに早速挑戦することになるとは思いませんでした。。

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はじめて食べた幼虫の味は・・・内緒です。


途上国の教育課題を若者の力で解決する

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