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トジョウエンジンをご覧のみなさん、こんにちは!e-Educationパラグアイプロジェクト担当の田才諒哉です。

現在、南米大陸中央に位置する国パラグアイで、南米初のドラゴン桜を咲かせるために活動しています。

今回は、僕がパラグアイという国でe-Education Projectを立ち上げることになった経緯についてお話させてください。

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大学で国際協力を勉強。NGO活動をスタート!

大学2年生のとき、国際協力を専門に勉強するゼミに入りました。

特にそれまで国際協力に強い関心を持っていた訳ではなかったのですが、なんとなく惹かれるものがあり入りました。

児童労働、学校に通えない子どもたち、スラムの生活、難民問題…こんなにも自分の知らない世界があることに衝撃を受け、国際協力のゼミに入ります。

ゼミでは、座学のみならず、担当教員である藤掛洋子先生が代表を務めるNGOミタイ・ミタクニャイ基金の活動を手伝っていくことになりました。

そこで掲げた僕たちの目標はパラグアイの農村部に学校を建てること。こうして、関東圏内で行われるイベントや学園祭で学校建設資金を集め、2013年9月、実際にパラグアイを訪れました。

パラグアイで痛感した国際協力の難しさ。でも…

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村の住民と学校建設についての話し合いをしている様子[photo credit: 藤掛洋子研究室]

パラグアイに行く前、確かに村の人たちからは、「学校が必要だ」という声があることを知っていました。

「あとは教室の数や建設の場所など、具体的なことを話せば建てられる!」

そう思っていました。もちろん、これまで国際協力について勉強し、学校というハードだけでなくソフトはどうするのか?維持はどうしていくのか?そうしたことも学生なりに考えてきたつもりでした。

しかし、現場で起きていることは、本に書いてあるようなことばかりではありませんでした。土地の所有権の問題、コミュニティー内外の利害関係、住民ひとりひとりの教育観。そこには、実際に現地の人々と向き合わなければ分からないことがたくさんありました。

結局、僕たちは学校建設に取りかかることができないまま日本に帰国しました。

「国際協力って本当にむずかしい。でも、すごくやりがいのある仕事かもしれない」

このとき、将来は国際協力の道に進もうと決心しました。

夢に向かって踏み出すも、いきなりの挫折。

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協力隊員時代、ザンビアの学校で授業をしている様子

その後、国際協力の道に進むと決めた僕は、e-Education Projectに参加。さらに、少しでも現場での経験を積みたいと思い、青年海外協力隊の短期派遣として、ザンビアで活動をしました。

しかし、待っていたのは挫折でした

「英語も上手く話せない、専門的な知識がある訳でもない、ましてやまだ社会経験もない自分が、この地域の人々のために何ができているのだろう。足手惑いなんじゃないか」

毎日毎日悩みました。

停電や断水も多い僕の任地では、夜になると何もすることがないことも多々あります。そんなときは、悩んで悩んで泥沼にはまっていくようでした。

任地の方々のおかげで活動はなんとか形にすることができたものの、僕はいきなりの挫折を味わいました。

実は別の国でプロジェクトをやる予定だった

ザンビアから日本へ帰国すると、一緒にパラグアイで学校建設活動をしてきた仲間たちが就職活動を始め、僕も次の進路が決まりつつあり、パラグアイでの活動は停滞していました。

でも、僕はずっとパラグアイで何かしたいという想いが心に引っかかっていました。

そんな時、e-Educationの国内研修でプロジェクトの企画案のプレゼンをしていると(実はこの時は担当国がパラグアイではありませんでした)、メンバーからこう言われました。

「本当にやりたいという気持ちが伝わってこない」

図星でした。プロジェクト案を考えていても、どこかで腑に落ちない自分がいました。

パラグアイで出会った一人の少年

話は戻り、パラグアイでのこと。

学校建設予定地とは違うある村を訪れた時、大雨で車が赤土道にはまり、ホテルに帰ることができなくなってしまいました。

そんな時、駆けつけてくれたのは村の人たちでした。大人だけでなく、子どもたちも一緒になって車を押し、数時間かけて赤土道を抜けることができました。

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泥だらけでびちょびちょになったけれど、車を押してる途中でもビールを飲み始めちゃう大人たち、泥を投げ合って遊ぶ楽しそうな子どもたち、みんなが最後まで一緒になって押してくれた優しさに、本当にこの村の人たちは素敵だなと感じました。

再びこの村を訪れた時、すっかり僕たちの名前も覚えてくれた子どもたちと色々話す時間がありました。

この村では、多くの人たちは小学校までしか学校に通えません。その後はすぐに農業を手伝います。

「もっと勉強がしたい」「勉強がしたくてもできない」

これが僕が一番仲良くなった少年の言葉でした。このとき、素直になんとかしたいと思いました。

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本当にやりたいことのために、逃げない。

「本当にやりたいという気持ちが伝わってこない」

まさに本心を突かれたその日の夜、本当に自分のしたいことは何なのか、ずっと家で考えていました。

「パラグアイでプロジェクトをやってみたい。けど、スペイン語もまったく話せない。南米まで行くにはお金もたくさんかかる。きっとまた挫折を味わうかもしれない」

考えれば考えるほど、パラグアイという国でプロジェクトを行うことは困難なように思えました。

でも、やりたいことのために、「これができないから」という理由で諦めるのは辞めました

あのとき国際協力の道に進むキッカケとなった国。これまで2年間仲間と共に想いを込めて活動してきた国。そしてなにより僕は、パラグアイという国の人や文化が好きでした。

そう思うと同時に、代表の開人さんに連絡をしていました。

「やっぱり、パラグアイでプロジェクトをやらせてください!」

開人さんは笑っていました。

いざ、地球の反対パラグアイへ!

ゼロから作り上げていくe-Educationのプロジェクトは、きっと今まで以上に大変なことが待っているでしょう。スペイン語も全くできません。挫折も何度も味わうかもしれない。

けど、覚悟はできました

本当に好きな場所で本当にやりたいことができているから。

日本の反対側に位置するこの国で、これから、パラグアイの人々と共に素敵なプロジェクトを作り上げていきます!


途上国の教育課題を若者の力で解決する

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