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「長崎に生まれた意味はなんだろう?」

認定NPO法人テラ・ルネッサンスの小田起世和さんにとって、それは国際協力を志すキッカケとなる問いでした。

被爆三世として、戦争や紛争といった言葉が、周りの人たちよりも身近にあった小田さん。今なお争いの続く海外への想いは強まり、テラ・ルネッサンスと出会います。

高校からずっと変わらない夢を抱き続けてきた理由とは?夢を実現するために選んだ道とは?

小田さんの挑戦、そして素顔に迫ります。

(聞き手:丹羽真奈美)

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夢のはじまり

ーー現在テラ・ルネッサンスに所属されていますが、もともと国際協力を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

どこからが始まりか難しいですが、もとをたどれば高校時代から今に至るまでが1本で結ばれているような気がしています。僕は長崎の出身で、高校は地元のインテリア学科で勉強していて、デザインに関心がありました。

でも言ってしまえば、勉強と部活をやる普通の高校生ですね。そんな時、同じクラスだった大親友が部活を途中で辞めてしまったんです。高校時代と言えば部活と思っていたので、なぜ途中で辞めてしまうのか聞いたら、平和活動を始めたと言い出して。長崎の高校生1万人署名活動を行っていて、国連のリーダーに伝えるとか核廃絶とか、当時よく分からなかったんですが(笑)

同じ人、ましてや大親友がやっているということで、僕の場合は部活をやり終わってからだったのですが、一緒にやり始めました。

そして、やりながら、よくよく考えたら、お婆ちゃんは被爆者。そして自身が被爆三世ということを改めて思ったんです。長崎に生まれた意味はなんだろうと思って、自分の中にあるデザインというのと平和というのがくすぶっていきました。

ーー実際に、NPO法人テラ・ルネッサンスと関わり始めた時期、そして入職した理由をお伺いできますか?

高校卒業後は、熊本県の大学で引き続きデザインの勉強をしていました。そして、就職して東京に行ったのですが、就職した会社が4ヶ月で倒産。東京でどうしようと思っていたら、京都にたまたまご縁がって、2011年12月に引越ししました。

そして、共通の知人を通して創業者の鬼丸さんと出会いました。そして、これからデザインに力を入れていきたいから、あるコンテストに参加しないかと言われたんです。そこでまたご縁が繋がり、2012年5月から外注のデザイナーとしてテラ・ルネッサンスに関わるようになりました。個人事業主としてデザイナーをやっていたので、職員にはならずに、あくまで外の目線で関わろうと思っていました。

でも、どんどん深く関わるようになっていって、もっと活動を知るために、現地に行ってみたいと思い連れて行ってもらったんです。2014年9月に初めてウガンダへ行き、その年の12月に正式に職員になりました。

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デザインの先にあった、ファンドレイザーという仕事

ーー入職して仕事はどうですか?

今は、7割くらいファンドレイジングをやっていて、3割が広報をやっています。

広報では、年次報告書や会報誌など、デザイン周りを担当しています。

ーーデザイナーというよりは、ファンドレイザーの仕事がメインのようですが、それに対してどのように感じているのでしょうか?

広報・デザインの担当の職員になると思っていたので、最初はどうしようと感じでした。でも最終的には自分自身で、ファンドレイジングをやりたいと立候補したんです。

今までデザインをやってきましたが、デザインに対するリアクションをどうはかるか、すっとジレンマを抱えていました。クライアントのリクエストに応えるものを作るが、世の中がどう変わったか、その後世界がどう動いたか、興味はあったけれども、追いかけられませんでした。

それがファンドレイジングという切り口でみたときに、自分がやったデザイン、つまりコミュニケーションが結果の1つとして表れると思いました。支援を集められたとか、世の中を少しでも変えられたとか。そういうことが見えるのなら、面白んじゃないかと思って。だから、今はファンドレイザーと広報の両方がしっくりきています。

ーー広報・ファンドレイザーのやりがいは何でしょうか?

資金調達のために、色んなコミュニケーションを実践してみて、寄付がもらえたとか会員になってもらえたなどリアクションが分かるところだと思います。なので、広報・ファンドレイジングの担当だけれども、それらをやっているという感覚はありません。すべてデザインをやっている感覚です。

それに、自分たちがやれないことを代わりにやってくれて本当にありがとう、とお礼まで言われたりするときがあり、この感覚がすごく不思議ですね。そんなときは本当に価値を提供できたと思うようになりました。

支援という行為に対して、上下の関係に見えがちですが、本当に社会に求められる関係でありたいし、対等な関係として、価値の交換ができるように、状況をデザインしていきたいと思っています。

ーー苦労したこと、大変だったことはありますか?

心を強くもたないと難しいということは感じています。どこまで支援をお願いしていいのか、正直分からない部分ではありました。真正面からぶつかると心がもたないと感じたり、自分の心のコントロールが大変で、今もトレーニング中です。

でも、その度に思うのは、それと同じくらい、いやそれ以上に、声を掛けてくれる人がいるということです。だから、やっぱり大変な部分ってそんなにないのかもしれないですね。

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アフリカとの出会い。こんなに面白い仕事はない。

ーーアジア、アフリカと活動範囲が広がって行き、訪れた中で印象的な国、出会いはありますか?

2014年に行ったウガンダは印象的でした。洋裁の訓練を3年間受けて、稼ぎを得られるようになったナイティという女性がいたんですけど、当時まだ外注のデザイナーだった僕は、ナイティのように稼げるようになるにはどういたらいいか教えてくださいと尋ねたんです(笑)

そしたら、目の前の仕事に一生懸命になることって言われて。ある種当たり前なんですけど、子ども兵として従軍させられたり、紛争で性的暴力を受けたりして、人間としての尊厳を損なわれた中で村に戻り、差別を受けて、生きる術を持っていなかった人が多くて。彼女たちは村に戻ったときに、自分の居場所がなかったんです。

でも、手に職をつけて、洋裁の技術を身に付けられたりすると、村の中でちょっと服を直してくれとか新しい洋服を作ってくれなど、誰かに必要とされて、喜びを彼女たちは取り戻したりしてきました。だから、その時に目の前の仕事に一生懸命になることだよと言われたことが、ずっしりと心にきました。

僕らがいう一生懸命と彼女がいう一生懸命の質は全然違うんだろうなと思います。与えられた役目、役割をしっかりと全うしている。そして、それが彼女たちを支えている。僕はナイティと撮った写真をいつも持ち歩いています。

ーー素敵なお話ですね。何か他に印象的な出来事はありましたか?

もう一つ、去年ブルンジに行ったときに達成感がすごくありました。ブルンジでは主に養蜂支援をやっていて養蜂を流通させたいと思っていました。だから、マーケットで売るためのデザインを必要として、それを決めるというミッションが僕の中にあったんです。

ブルンジの国を見ながら、受益者の人達とワークショップをして、パッケージを決めていく作業をしていって。そのパッケージを決めていくときに、受益者の人達とワークショップをして、村の人たちが誇りに思っている考え方や言葉はなんですか?と聞いたら「アマホロ」と教えてくれたんです。

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ブルンジでで開いたワークショップ

アマホロの意味は日本語でいうこんにちは。そして、もう一つの意味があって、それが平和という意味なんです。言ってくれたんですよね。養蜂プロジェクトに携われて本当に幸せに思うと。今まで、紛争の歴史があって、民族対立があった。

でも、今ここにいる人たちは、かつての対立相手が一緒になってやっている。養蜂は蜂が相手、つまりは自然が相手。養蜂を続けていけることによって、私たち自身が平和を作っていくことができると。豊かな自然を守っていけるし、そういうことを続けてさえいけば、争いは起こらない。だから、私たちが養蜂を継続すれば、私たちが私たちの手で平和をつくることができると。僕は現地にしっかり価値観が根付いているということに、すごくびっくりしました。受益者のみなさんとのワークショップを経て、「アマホロ」という言葉をパッケージの名前にすることを決めました。

平和を意味する「アマホロハニー」をブランド化し、現地のマーケットで販売をしていくことになるんですが、平和とデザインという自分のミッションと重なった瞬間でした。本当にこんなに面白い仕事はないと思っています。

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デザインの力で世界を平和に

ーー今後どういったことに挑戦していきたいですか?

自分の原則は何かと考えていったときに、「デザインの力で世界を平和にすること」が自分の人生のミッションだと思いました。最近振り返って、不思議だと思ったのは、大学生のときに書いたプロフィールに「デザインの力で世界を平和にすること」って書いてあったんですよね。

僕は、人はみんな、こういうふうにミッションというか原則を持っているはずなのに、こうあるべき、こうしなきゃいけない、みたいな大人になっていくなかでの、ノイズがあり、本来の自分のやりたいことが見えなくなったりする世の中だと思っています。

だから、どこか息苦しさを感じていたり、せわしなさを感じている。そうではなくて、いつでも自分が大事にしたいことを振り返れたり、そういう何かを持っていると幸せになれると思うんです。なので、色んなことに挑戦しながらも、いつでも自分の中の根底にあるものを大事にしていきたいです。

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学生の頃に書いた夢は、今も抱き続いている

ーー最後に、クラウドファンディングにかける意気込みをお願いします。

今回、支援しようとしているコンゴの女性たちは2年前、技術訓練を提供していたけれど、その後洋裁店を開業する支援はできていませんでした。

活動資金が不足していて、やりたいけど、後回しになってしまう現状に僕自身も団体としてもジレンマを持っていました。だから、達成して、念願の女性の夢の洋服屋さんを作りたいですね。

また、インターネット上の拡散を通して、今まで届けられなった人たちに本質的な価値をちゃんと提供したいと思っています。悲惨な状況だから支援をしてくださいではなく、支援をしてくれる人達にとっても真の価値たるものとして届けられるように、きちんとコミュニケーションをとっていきたいと思っています。

よかったらぜひ応援よろしくお願いします。

(インタビュー終わり)

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