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「前職ではNPOは”PRツール”でしかありませんでした」

今では行政や企業以外の、社会に対する第3の役割として広まってきたNPOですが、まだまだ知られているのはごくわずかなのも事実です。

「自分がこれまで培ってきた広報力を、NPOというフィールドで生かしたいんです」

企業で感じた違和感からNPOで働くことを決めたジャパンハート関口ゆみさん。

これまでどのような経験をされてきたのか?そして、これからどんな挑戦をされるのか?

関口さんの挑戦、そして素顔に迫ります。

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ジャパンハートに出会ったきっかけ

ーー前職ではアパレル関係で働かれていたとのことですが、転職をされた理由は何ですか。

アパレルでは広報のお仕事をしていました。毎日様々なところへ顔を出し、新しい知人を日々得るなかで、新しい仕事につなげていくことが日常でした。

そんな生活の中で「NPO団体にキャンペーンの売上を寄付しよう」という話が身の回りで増えていきました。ですが、当時のアパレル業界がNPOを取り上げる理由は「社会貢献活動は最近の流行り」だからであり、PRツールとしてでした。その活動のために、という純粋な理由ではありませんでした。

私自身、アパレル業界に道具のように選ばれていたNPOに関しての知識は多くなかったため、「彼らがやっていることは素晴らしいことなのに、どうして私たちのもとへ届いてこないのだろう」と、違和感を覚えました。

ーー違和感から転職につながったきっかけは何だったのでしょう。

そのころ、2011年に東日本大震災も起こり、自身の結婚や出産も重なったことから、転職を考え始め、自分が広報力を活かせるのは、広報力を求めているのはNPOの業界なのではないか、とピンときたのです。

調べはじめて最初に見つけたのが、ジャパンハートでした。広報担当の募集は締め切っていたのですが、広報でもっとできるところがあると感じたため、最初は他の職種として面接してもらいながらも、広報として入職することになりました。結局、今では4年間広報担当を務めています。

現場で感じた無力さ

ーージャパンハートで働く原動力となっている経験はありますか?

仕事をはじめた当初は現場に行ったことがなかったので、仕事をしていてもなんだが雲をつかむようなところがありました。半年位たったころ、テレビ局の取材に同行して、ジャパンハートの活動地ミャンマー北部のミッチーナという紛争地域に行ったのです。

初めて私が訪れた現場は、側を流れる川の向こうでは紛争が行われ、弾の音が聞こえる、そんな場所でした。国内紛争で住まいを追われた難民の人たちが沢山いました。「一日に200人の患者さんが詰めかける」というのは日本にいるころから情報として知ってはいましたが、実際に沢山の親子が何日もかけてやってくるのを見て、圧倒されました。

そこは言葉を超えた「野戦病院」で、人で溢れかえった蒸し風呂のような空間の中で「私はいつ見てもらえるの?」「この子はいつ見てもらえるの?」と。「外で待っていていいですよ」と言っても、「いつ呼ばれるかわからないもの」と返事が返ってくるのです。本当に医療を欲している人がこれだけいるのだということを感じました。

そして、目の前で医師たちが必死になって、どんどん、どんどんと、たくさんの患者さんを診察し、手術をしていました。看護師は手術後の患者さんを診ていて、熱が出たり、管が外れたりと、多くの患者さんを相手に昼夜なく必死に対応していました。私は医療者ではないので、その光景を目にして大変な無力さを感じたのです。

日本に帰ってからもその無力さは忘れられませんでした。現場はやはり戦場でした。

この経験があったからこそ、「私は私の方法で患者さんを救いたい」と改めて思い、現場で必死に活動している多くのスタッフを誇りに、自信を持ってジャパンハートの広報を続けられています。もちろんその後何度も現場に行く機会をいただきましたが、やはり最初の経験は、強烈でした。

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ーーその経験が今のお仕事につながっているのですね。現在のお仕事で特に力を入れているのはどういったことですか?

途上国の現場のニーズに最大限応えたい、というジャパンハートの姿勢は変わりませんが、私はそれに加えて、日本国内で支えてくださっている方々へ「もっと伝わる広報」をしていきたいと考えています。ジャパンハートは、ありがたいことに、これまでに何度かテレビに取り上げて頂いたこともあって、大変多くの皆様に知って頂き、応援をしてもらっています。

それにもかかわらず、ジャパンハートの活動報告や感謝の気持ちを直接伝えることができる機会があまり設けられていませんでした。そのため、全国のご支援いただいている皆様にお会いするために、ラウンジという機会を増やしている最中です。

相互に幸せになれる世界へ

ーー今後の関口さん個人の将来のビジョンというのはありますか?

自分が満足する生き方を自分で選びたいと思っています。例えば、母親になってからは、子供に依存している自分を少し感じます。今は、小学校低学年の子供のサッカーの試合があり、大興奮で応援するのが楽しみなのですが、予定が変わり、急に一人の休日があったりすると「一体何をしよう…」と思ってしまう自分がいます。

今のはほんの一例でしたが、常に「立っている目的を持っている自分」でいたいと思っているのです。目的に向かって何かしている時の方が大変で、疲れたな、と思うこともありますが、やはり、楽しいです。生きている、という実感があります。これまでの多くの方との出会いがあって今があります。今自分が求めているのは何だろう、と探し続けるアンテナを大切にしたいです。

また、東京の下町生まれというのもありますが、コミュニティを大事にしたいという思いがあります。存在を認識しあう存在が周りにいることは大きいと感じています。そんな社会がもっと広がっていってくれたらいいな、自分がそのうちのひとつを担っていきたいなと思っています。

ーー今回のプロジェクトへの思いを教えてください!

私たちは、ミャンマーもラオスも、そして日本も、相互に幸せになれることを目指しています。

まずはアジア地域に大きなハートが広がるような、そんなイメージです。ジャパンハートの関係者は、医療者も学生も、皆現地で得たことを日本で還元してくれています。

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また、現地の医学生や、患者さんも、現地でその経験を広げてくれています。こうして、どんどんハートが大きくなっていったらいいですよね。

仲間がもっともっと多くなれば、一人一人が広げられる力ももっと大きくなります。日本が高齢化社会になる中で、どうしたら高齢者の方が生き生きとしていられるかというのは日本の課題であり、ジャパンハートから広がった輪がそういった課題解決にもつながればいいなと思っています。

(インタビュー終わり)

『VOYAGE PROGRAM』での挑戦

『VOYAGE PROGRAM』は、国際最大規模のクラウドファンディングサービスを手がけるREADYFORが新たにはじめた国際協力活動応援プログラムであり、関口さんの所属しているジャパンハートは第2回参加団体に選出されました。

関口さんの所属するジャパンハートは「10万人が待つラオスの貧しい村へドクターカーで医療を届けたい!」というプロジェクトの成功に向け、現在活動資金を集めています。

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