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みなさん、こんにちは。e-Education海外事業担当職員の古波津 大地(こはつ たいち)です。

大学を卒業してから、最初は商社マンとして、今はNPO職員として世界各地で仕事をしていますが、中学生になるまでは恥ずかしがり屋で、人前で話すのがすごく苦手でした。

今日はそんな僕がどうやって変わったのか、e-Educationにどうして飛び込もうと思ったのか、ぜひご紹介させてください。

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人前で話せない悩み

生まれは沖縄県本島南部。

沖縄というと海を想像するかもしれませんが、僕の住んでいた町は海に面しておらず、緑に囲まれ、家の隣にはサトウキビ畑が広がっていました。

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家の隣にあったサトウキビ畑

両親曰く、極端な人見知りで、幼稚園の頃はひとりで砂場で遊んでいて、小学校になっても人に話しかけることができず、中々友達を作れずにいました。

ある日のこと、母親に連れられてショッピングモールに買い物に出かけたとき、学校の友達に会うのがなぜか恥ずかしく、友人を見つけると母親の影に隠れる。そんな小学生でした。

中学生になっても、いきなり人が変わるわけではありません。中学に入ると部活を選択しなければならず、野球やサッカーなどチーム競技をやってみようとは思えず、走ることが得意だったこともあって個人競技である陸上部を選びました。

ただ、一方で友達を作ったり、チームに入ることに、強い憧れはありました。同時に、恥ずかしがり屋で人見知りな自分を変えたいとも思っていました。

それもあってか、徐々に部活で一人黙々と練習する毎日に違和感を覚え、中学1年の終わりには部活に行かなくなりました。

英語を話している時は”スーパーマン”になれる気がして

今思えば何にも自信を持てなかった自分。部活を続けられなかったのも、クラスメイトに話しかけることが出来なかったのも、自分に自信がなかったから。殻を破りたい。本当はそんな自分が嫌で仕方がないのに、どうすることもできずにいました。

しかし、中学校で「ある教科」との出会いが、僕の人生を変えました。

英語です。一つ一つ、新しい表現を覚えること、それを使って外国人の先生と通じ合えること。放課後も根気強く、何度も分からないところを教えてくれた先生。英語との出会い、想いを持った先生との出会いは、僕の世界観を広げてくれました。

気がつけば英語学習へどんどんのめり込んでいき、中学校3年時には学校代表として英語スピーチ大会へ出場、県大会へも出ることが出来ました。

“You can do it!”

英語の先生は、屈託なく僕の可能性をいつも信じ、応援してくれました。英語を話している時は何だかスーパーマンみたいに力が湧いてくる気がして、自信を持って話せるようになったのです。

好奇心に駆られた僕は、カナダへの一年間の留学を決意しました。日本では身近に感じることのできなかった先住民族に関する問題、同じ学校に通う子たちの中にも確かに存在する貧困問題など、社会の動きに対して目で見て触れる、初めての体験をしたのです。

カナダの高校の卒業式

カナダの高校の卒業式

留学での経験を機に、大学では国際問題について議論をするディベートや学生会議に参加。様々な国の出身者と繋がるなかで、自分たちだけでは生み出せない価値の大きさに、考えの多様性に出会いました。

「世界の人たちの懸け橋になることで、大きな価値を生み出したい」

英語を通じて世界が広がり、自信が生まれ、気がつけば叶えたい目標ができました。

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大学ではディベートや学生会議に参加

これまで培ってきた英語を活かし、架け橋になれる場はどこだろう。その時に興味を持ったのが商社でした。

大学卒業後に入社した商社では太陽光の事業を担当しました。中国やシンガポールなど、海外を飛び回りながら現地事務所と連携を取り、ビジネス拡大のための戦略を作成。時には0泊3日で出張に出ることもあるほど、せわしない日々を過ごしていました。初めはがむしゃらに取り組んでいたぼくですが、ある時、ふと壁にぶち当たったのです。

「ぼくの仕事の価値は何だろう?」

会社に利益をもたらすこと?お客さんに喜んでもらうこと?もちろん外れてはいなんだろうけど、本当にそれだけなんだろうか?そんな時、ふと思い出したのが、学生時代に出会った世界各地のの仲間たちのことでした。途上国で生まれ育った彼らとの出会いは、ぼくをまだ見ぬ世界へと駆り立てました。

あの子の笑顔が忘れられなくて

社会人2年目の夏休み、未知の世界に胸を躍らせながら、バックパック一つでカンボジアへ。実はこれが初めての途上国でした。エネルギーに溢れる人々の目、話しかけてくる人の熱気に心が躍りました。

「これが、途上国か!」

目に飛び込んでくる全てのもの、臭いや舌で感じる異国の趣に、胸が高鳴りました。そこで出会ったのが、10歳くらいのある女の子です。僕を見つけると日本語で「こんにちは!」と元気よく挨拶してくれました。彼女は町行く人の出身を見極め、中国語、英語という具合に、幾つもの言語を巧みに操りながら、物を売っていたのです。

カンボジアの遺跡

目に留まったのは遺跡よりも、このゴツゴツした岩場を裸足で歩く子どもたちでした

驚く僕に、「あなた英語も話せるのね!学校の先生なの?」と目を輝かせる女の子。平日の昼間の出会い。学校へ行けなくても、学びの機会を常に欲しているのが一目でわかりました。

何か出来る事はないか。僕は少しの間、英語と日本語のレッスンをする事を決めました。ただの自己満足かもしれないけれど、その子が嬉しそうに学んだばかりの言葉を復唱している姿が、何ともいえず脳裏に刻まれたのです。

学校へ通うこと、友達を作ること、働く会社を選ぶこと。今まで当たり前に感じていたことが、いかに特別なことだったのか。価値観を覆されるような出会いに、衝撃を受けました。

同時に、この子のような状況に置かれた子どもたちが世界中にたくさんいることを思うと、それ以上何もしてあげることが出来ない自分に悔しさを覚えました。そんな経験をしたからか、帰国して普段の生活へ戻っても心はどこか落ち着かない状態が続き、それから長期休暇があるたびに途上国を旅するようになりました。

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長期休暇を活用して途上国へ

翌年の夏はバングラデシュへ。その翌年はネパールへ。気づけば僕は、途上国で暮らす人々の想いをどうしたら叶えることができるのか、そればかり考えるようになっていました。そしていつも思い出すのは、一番最初の旅で出会ったカンボジアの女の子でした。

「夢を持つ子どもたちを応援したい」

これがたどり着いた結論でした。e-Educationならその想いが実現できる、と転職を決意したのです。

僕がe-Educationに携わる理由

僕がe-Educationに携わる理由は2つあります。

一つはカンボジアで出会った女の子のような、学びたい想いを持っている子どもたちの夢を、諦めさせるような悔しい思いはしたくないから。そしてもう一つは、自分がビジネスの世界では手が届かなかった途上国の人たちと、たくさんの人たちを繋げることで世界を変えたいと思ったからです。

e-Educationに入って、何度も何度も、ミャンマーへ足を運びました。片道30時間かけて山々を超え、たどり着いた村。一生懸命机に向かうこの子たちは何を目標にしているのだろう。ふと彼らの夢を聞いた時、ある女の子は照れながら僕に夢を打ち明けてくれました。

「わたしの夢はフライトアテンダントになることなの。まだこの村から出た事はないんだけど、将来は飛行機に乗って色んな国に行って、色んな人たちに会いたいんだ。実現するためにはまだまだま道のりは長いけど、でもだから今一生懸命英語の勉強をしているの」

僕のように英語の大好きなその子は、通常の授業とは他に、その学校で提供していた英語の特別クラスを受講し、そこで覚えた表現を使って一生懸命、ぼくに話しかけてくれました。それだけ熱い想いを持った子どもたち。それでもミャンマーの地方では、高校卒業試験に合格することは限りなく難しいことなのです。

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ろうそくの灯りで夜遅くまで勉強する女の子たち

e-Educationに入ってもう一年。まだまだ一年。中々思うようにいかなくて焦ることも、自信を無くすことも多いです。

それでも、今こうやってぼくが時に途方もなく思える途上国の教育課題に挑み続けるのは、恥ずかしがり屋で自分を押し殺していた昔の自分が、英語が大好きになることで変われたから。カンボジアで出会った女の子が、僕に学ぶことの楽しさを、気づかせてくれたから。

だから僕は続けます。一人でもたくさんの子に、自信を持って、未来へ突き進んでほしいから。

ミャンマーの学校にて

大好きなミャンマーより


途上国の教育課題を若者の力で解決する

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