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みなさん、こんにちは!4月からe-Educationフィリピンミンダナオプロジェクト担当になりました、創価大学法学部3年の繋奏太郎です。

大学3年生の私がなぜ留学ではなく、インターンシップで1年間単身フィリピンで挑戦するに至ったのか、その経緯を綴らせていただきます。

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大学受験、それ以前に…

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生まれは青森県出身、一人っ子。3年の夏にバスケ部を引退し、いよいよ受験勉強がスタートしました。高校では外国語科に所属していたこともあり、留学したい!もっと広い世界を見てみたい!これが当時のモチベーションでした。

しかし、そこで大きな困難が僕の前に立ちはだかっていました。

まず、第1志望創価大学国際教養学部E判定という事実。成績だけならまだいいでしょう。必死で勉強すればなんとか上がる可能性があります。ですが、待ち受けていたものはもっと残酷なものでした。

今の家計の状況では大学に行けない。行けたとしても、4年間通い続けることは厳しい。そんな現実を突きつけられていました。

私の両親は自営業で夜に居酒屋を経営していたので、帰ってご飯を食べるのも一人。 そこから勉強して、寝るという生活を送っていました。ある日の夜、布団に入りながらなかなか寝付けなく、ふと、「俺は何のために大学に行くんだろう?」と頭の中で考えていました。

別に大学に行かなくたって働ける、両親のことを支えることだってできるじゃないかと。

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いつのまにか自分が挑戦したかったことが見えなくなっていて、自分が勉強している意味がわからなくなっていました。

モヤモヤ状態のまま、何日も経っていて、相変わらず何のために受験勉強しているのかわからず、勉強が手につかない状態。さらには、私の学科は特殊で8割ほどが推薦入試いく人たちです。高校の同じクラスの友達が続々と推薦入試に合格していく姿をみて、心の声が口から出てきます。

「あーなんて嬉しそうに毎日過ごしているんだろう」

ここで諦めたら、楽になれるんじゃないかと思っていました。勉強しているフリをして、目の前の現実から逃れる日々を過ごしていたのです。

親という存在の大きさ

私の親が苦労していたのは小さい頃から知っていました。なので、いつも背中をみては、自分のやりたいことや欲しいものなどもできるだけ我慢していました。

だから今回も親のあんな苦労する姿を見るくらいなら、もう行けなくてもいいやと投げやりになっていました。そして、親に「大学行けなくたっていいから、もう無理しないで」と告げました。すると親は真剣な顔で答えてくれます。

「私たちのことは気にしなくていいから、奏太郎は奏太郎で頑張りなさい。家族みんなで頑張ろう」

ハッとさせられました。両親が毎日汗水たらして働いてくれているおかげで自分は今こうして生きている。「やりたいことに挑戦できる、諦めなくていい」 ことがどれだけ幸せなことかを知りました。

でも、「やりたいことに挑戦できる」ことは決して一人では実現できるものではありませんでした。親がいて、背中を押してくれるからこそ、前に進めました。

「大学受験で、親の期待を超えたい!」

いつのまにかその想いが最大のモチベーションとなり、受験勉強を再スタートしていました。

私が夢を叶えるために、親が支えてくれていることを考えると、自分の弱さに負けられないと思い、くじけそうな時でも机に向かうことができました。

親には感謝してもしきれないほどたくさんの恩をもらってきました。小さい頃から、親が帰ってくる頃にはもう寝ている。ちゃんと話をする時間は日曜日くらいでした。だから、交わす言葉は相当少なかったと思います。

それでも、父と母の頑張る背中をずっと小さい時から見てきたからこそ、二人のために頑張りたい。そういう思いで毎日の勉強に取り組んでいました。

結果、創価大学から学費半額免除と生活費をカバーしてくれる給付奨学金を勝ち取り、合格を果たしました。母がテレビを見ていた僕の元に走ってきて、「奨学金取れたよ!!」と僕よりも嬉しそうに言ってきたあの母の笑顔は一生忘れません。

大学で知った悔しさと出会った最高の仲間たち

Global Citizenship Program(GCP)の仲間

国際教養学部にも無事合格はしたのですが、学費のことや自分のやりたいことを考えた結果、併願していた法学部に入ることにしました。それに加え、大学のオーナーズプログラムである30人選抜のGlobal Citizenship Program(GCP)に入ることができました。

そこに入って、留学への道を勝ち取りたい、世界で活躍できる人材になりたいと考えていました。

すると、選ばれていたメンバーは、有名国公立、有名私立を蹴ってきた人たち、帰国子女、偏差値70以上の高校からきた、しかもその中でもさらに優秀な人たち、外交官を目指す人たち、海外大学院を志望する人たちです。

この時、自分が井の中の蛙であることを知りました。

GCPの授業が始まると、オールイングリッシュの授業やグループで問題発見・解決能力を養う授業など多様なことを学びます。その課題の量はアメリカの大学並み。大学受験だけで既に苦労していた自分にとって、とてつもなく厳しい環境でした。

英語の試験TOEFLやTOEIC、学業、外部のプログラムでどんどん結果を出している同期のメンバーたち。一方、私は結果が出ないまま。彼らはどんどん前に進んでいるのに、と自分を責め、空回っていました。他人と自分を勝手に比較して自身を卑下していたのです。

「自分はここにいていいのだろうか」と何度もやめたいと思ったこともありました。それでも、支えてくれたのは同期の仲間たちでした。

改めてどういうことを目指しているのか、なぜGCPにいるのか、創価大学にいるのかという話をしたいと思い、何人とも話す機会を作りました。すると、彼らは僕と同じようにそれぞれ悩んでいること、成し遂げたいことやぼんやり何かしたいものを持っていたのです。

将来の目標と現在の自分のギャップに悩み、日々もがいている。 この時、自分の目に映っていた彼らの姿と等身大の彼らの姿が全く違うことを知り、親近感を覚えると同時に新しい想いが生まれました。

「彼らと一緒に世界を変えていきたい」

だから自分は自分の道で一流になろうと決めました。同志として、大切な友人として。

自分の過去と繋がったフィリピン

GCPの一環として、フィリピンで2週間フィールドワークを行う機会を得ました。フィールドワークでは、教育・環境・保健・経済・行政とそれぞれのグループに分かれ、それぞれインタビューやアンケート調査を行います。私は教育グループに所属し、小学校を訪問しました。

そこではなかなかご飯を食べれていない子たちが援助を受けていました。 また、自分は家の手伝いをし、学校には弟や妹を迎えに来るだけの子もいるのです。 この時新興国のリアルを初めて目の当たりにしました。

また、ゴミ山地域の中にある幼稚園にも訪問し、子どもたちに日本の遊びを教えました。その中には、服が汚かったり、お風呂に入っていなかったりしている子どもたちに出会いました。それでも楽しそうに遊ぶ子どもたち。そして、ストリートチルドレンや5歳児くらいの子がタバコを吸っている姿。

「もし彼らが大人になった時にどうなるのだろうか」

彼らが中学生、高校生となった時に彼らはどんな人生を送っているのだろうか、心配になりました。何かを諦めてしまっている途上国の子どもたち。僕にとって彼らの暮らしはとても他人事には思えず、この初めての新興国を通して、自分と将来の子どもたちの姿が重なったのです。

「一人の人間として生を授かっているのに、環境で可能性を左右されてしまう社会を変えたい」

このとき、「何かを変えたい!」とぼんやりしていた「何か」が自分の前にはっきりと現れました。自分が挑戦をあきらめかけたように、挑戦したくてもできない人、何をしたいのかすらわからない人が途上国にはたくさんいて、彼らのために何かできることはないか。新しい夢ができた瞬間でした。

「いつか」ではなく「いま」

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フィリピンから帰国してからは、これから何をするべきなのかを考えていました。「何か」ははっきりした。でもどう行動したらいいかわからない。その時はアフリカのケニアに交換留学に行って、それから決めればいいかと考えていました。

しかし、僕の頭の中にはフィリピンで出会った子どもたちの顔がどうしても浮かんできました。いま行動しない間にも、誰かが路頭に迷ったり、犯罪に手を染めたり、限られた世界で大人になり、抜け出せなくなっている。そんな現状を、この目でハッキリと見ました。

でも今の自分じゃ何もできない。じゃあこのままできないままでいいのか。それでは何も変わりません。この時、この一瞬にも 力をつけたい! そう強く思うようになってきた時、ちょうどe-Educationが海外インターン生を募集しているのを見つけました。

本当に自分がしたいことは何か、この学生時代にできることはないかと考えて、ケニアへの交換留学ではなく、e-Educationの海外インターンに応募することを決意しました。

面接では、今まで僕が歩んできた人生や親のこと、全てをぶつけました。そして、その場で代表の開人さんから握手をもらい、合格。あとはもう、進むだけです。

自分の道は自分で切り開いていく

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私はあのまま諦めていたら、生まれた場所でそのまま仕事をして、一生を終えていたでしょう。

やりたいことや進みたい場所があるのに、諦めてしまう、諦めなければいけない。きっと私だけの問題ではありません。

誰かに「無理だ。諦めろ」と言われることもあるでしょう。その「諦める環境」から抜けることができずにいる人たちもたくさんいると思います。

私は両親の支えのおかげで、そこから抜け出すことができました。だったら次は自分がまだそこから抜け出すことができない人たちを支えようと決意しました。

私がやろうとしている「社会を変える」ということには決して楽な道のりはありません。近道もありません。たとえそれが険しい道のりでも諦めず、前に進んでいく。そう決めました。

そうやって自分の背中を通して、「自分の人生は自分で決めるんだ!」と、彼らに少しでも勇気を与えていきたい。やりたいことは、諦めなくていい。この1年間、親から教えてもらったことを、次の世代に繋いでいくために、フィリピンで挑戦してまいります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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途上国の教育課題を若者の力で解決する

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