広報ファンドレイジング担当職員 水溜智士

みなさんこんにちは。2018年5月からにe-Educationに参画した水溜智士です。

途上国のために何かしたい。
本当はやってみたいけど、今の仕事を続けるだけで良いんだっけ。
最初の一歩としてどうやって関わったらいいかが分からない。

こんなことを思っている方は多いかもしれませんが、私もその一人でした。

私自身、通信キャリアのエンジニアをしながら認定NPO法人かものはしプロジェクトNPO法人a-conなどに少しづつ関わっていくことで、e-Educationの広報ファンドレイジング担当へ転職をした経験から、パラレルキャリアを過去も今もしている私だからこそ感じることを、自分の観点と照らしてこの記事で皆さんにお伝えしたいと思います。

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途上国に対する想い

私は幼い時から、ゴミ山で売れるものを探して生活している子どもなど、テレビの画面を通して感じていた不平等を無くしたいと漠然と思っていました。

また、高校生の時に自分自身が居場所について考えさせられる経験をしたため、マイノリティの方や苦しい状況にいる人の想いを大切にしたいと思うようになっていた気がします。

しかし、これが決め手とまではいかず、なんとなく父親の背中を見てエンジニアになりたい、という想いがあり、高校も大学も理系の道を歩んでいました。

そんな時、大学時代の就職活動で出会ったのがソフトバンクの社長、孫さんの新30年ビジョンのプレゼンテーション。思い返すとこれが人生のターニングポイントの1つだったと思います。

それまで、理系脳だった私、どんなシステムやサービスがあったら便利なのかと考えがちだった私には、衝撃的で打たれるものがあり、このプレゼンテーションを通して、「何のために人生を生きるのか」「人々の幸せのために何をしたいのか」と、今までの人生を振り返ることで、“悲しい時間を減らして幸せな時間を増やす仕事”を生涯やっていきたいと思うようになりました。

それからは、まずは企業で経験を積みたいと考え、インターネットを通した国際協力の可能性を模索するために初めのキャリアを歩みました。

大学院を卒業して働きながらも、ブータン、カンボジア、インドなどにボランティアをしに行きました。

幸せの国ブータンへ行く途中のバンコクでは、トランジットで1日ほど滞在していた時に訪れたナイトマーケットで一人の女の子に出会いました。すぐ近くでは屋台で売り買いする人々がいましたが、彼女の親らしき人は近くにいません。

7歳くらいに見える彼女は、木琴で色んな曲を叩いては、何度も笑顔を振りまいてお金を稼いでいました。笑顔で何曲も短い曲を叩いてはニコッとします。活気に満ち溢れたナイトマーケットを歩く中、突如出会った、私にとってほぼ初めての途上国で衝撃を受けたシーンの一つでした。

バンコクで出会った木琴で稼いでいる女の子

バンコクで出会った木琴で稼いでいる女の子

ボランティアをさせていただいたカンボジアの孤児院では、両親が交通事故で亡くなって、8歳くらいの妹と5歳くらいの弟の面倒をしながら暮らしている15歳の女の子もいました。その子は孤児院に住みながらも英語とフランス語と日本語を勉強していて、将来は学校の先生になりたいんだと話してくれました。

日本と比べると恵まれているとは言えない環境でも、妹弟の面倒を見ながら自分の夢に向かって頑張っている姿を見て、ああ、自分よりほんとに頑張ってるな、と感じましたし、孤児院を離れる時には、触れ合ったいろいろな子の顔を見て涙が止まりませんでした。

決して裕福ではない環境でも明るく前向きに頑張っている人の存在を実感したカンボジア。

日本では見ない、原付に無理やり5人乗りをする様子、大人同士での殴り合い、儀式の生贄のために血が滴るヤギの首を3つ引きずっている子どもの姿、知的障がいの子どもや死を待つ人が滞在するマザーテレサの作った施設でのボランティアなどを通して、視野が広がったインド。

牛が道路からはけるまでクランクションを鳴らさないで車で待つのが当たり前なこと、野良犬野良猫が家に来たら餌をあげる風習、隣の家の人が家に来て一緒に歌ったり踊ったりする人の温かさ、ホームステイを通して感じたゆっくりとした時の流れ、多くのことを考えさせてくれたブータン。

途上国に行く度にいつも違う風景を見て、自分の当たり前が崩れていきました。貧しい場面も見た一方、その環境でも笑顔で頑張っている人たちがたくさんいることを実感して、“生まれに関わらずチャンスがある社会”を作りたいと思うようになりました。

涙が止まらなかったカンボジア孤児院のお別れ

涙が止まらなかったカンボジア孤児院のお別れ

知った人としてできることから始めたい。

バンコクで出会ったストリートチルドレンの無邪気な笑顔。ブータンで感じた誰もが心地良くいられる居場所、人と人の温かいつながり、幸せ。カンボジアで出会った両親がいなくても、毎日弟と妹の面倒を見ながら孤児院で夢を追いかけている女の子。インドで出会った、難病や知的障がいの方を毎日無給で明るく元気にお手伝いをするボランティアの方々。

アメリカやヨーロッパももちろん行きましたが、途上国にはショッキングなことから、みんな無邪気なところ、そして、自分の当たり前が崩されること、価値観が広げられることがいっぱいありました。

決して、かわいそうとか、助けてあげるとか、という上からの目線ではなくて、文化や価値観が違うからこそお互いに学び合いたい、同じ一人の人としてできることを何でもしたい、と思うようになりました。

知った人として何か始めたい

そんな想いが沸く一方、私の場合は、通信キャリアでインターネット接続や音声通話に関するエンジニアをしており、システムやサービスを作るいわゆるIT企業とも大きく違うニッチな仕事であったため、NPOで働くにはかなりハードルがあるように当初感じていました。

でも、ネットで検索をすると色々なNPOで関わることができると分かったんです。

本業をやりつつも、NPO法人a-conという団体において複数のNPOの広報活動の支援をしたり、かものはしプロジェクトというNGOでのボランティアマネージャを通してファンドレイジングの仕事内容を伺うことで、実際に自分がNPOで広報ファンドレイジングの仕事をするイメージをつけられました。

そして、パラレルキャリアを歩めば歩むほど、社会課題を解決していく仕事のイメージが湧き、パラレルキャリアでなく、こういう仕事に100%のリソースを注ぎたいと思うようになりました。

NPO法人very50さんとのa-con協同プロジェクト

NPO法人very50さんとのa-con協同プロジェクト

一歩踏み出してみませんか?

自分が大切だと思っていること、信じていることを追求する人生を過ごしたい

私と同じようにそんなことを思う人も多いと思います。

もしかしたら保守的な生き方をしていることが、逆に自分の人生の価値観でいうと遠回りをしているかもしれません。どう生きたいかという意思を持つことが私にとって凄く大事です。

もちろん、日本の企業人にも、ソーシャル課題に関心がある人が増えてきていて、社会活動をしている人は増えてきていると思います。NPOという形だけでなく、企業の社会的事業、プロボノ、パラレルキャリアなど、関わり方は多様になってきています。

私はパラレルキャリアをやっていて良かったと思うことがあります。

それは、組織外の人から幸せをもらえることです。

前職の同僚や学生時代の友人と一緒に過ごす時ももちろん楽しいですが、e-EducationやNPOの活動に関わっている人といると、忙しい時に忘れがちな優しい気持ちや温かい気持ちの大切さを感じたり、ワクワクした気持ちになります。

これが私にとってのパラレルキャリアの魅力です。

私自身これからも、かものはしプロジェクトの社会人ボランティアマネージャ、a-conのメンバーとしても、NPO同士の繋がりを深めたり、情報をキャッチアップしたりしていきます。

ソーシャルセクターがぶつかる課題は共通していることも多いので、e-Educationで培ったことを、他のNPO組織へ還元もしていきたいと思っています。

そして、“生まれに関わらずチャンスがある社会”を作っていきたいと思います。

会社でソーシャルビジネスをする、NPOへ転職する、パラレルキャリアを始める、どんな形でも、少しでも多くの人が社会に目を向けて、少しずつ社会を変えていく人が増えたら嬉しいです。

一歩踏み出してみませんか?

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途上国の教育課題を若者の力で解決する

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