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こんにちは!e-Educationネパールプロジェクト4代目カントリースタッフ、九州大学芸術工学部3年の三笘源(みとまげん)です。

2018年8月よりネパールに駐在し、e-Educationカントリースタッフとして、首都カトマンズと農村部の学校を毎週行ったり来たりしながら、教育支援の活動をしています。
 
私はよく「どうしてネパールに行こうと思ったの?」、「ネパールでどんなことをしているの?」、「ネパールの生活どんな感じ?」とよく聞かれることがあります。

今日は私がe-Educationに出会ったきっかけとネパールで挑戦しようと思った動機、ネパール滞在100日が経過して感じる、気づきと学びについてお話します。

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e-Educationとの出会いは6年前

私がe-Educationと出会ったのは、中学3年生のときのことでした。

きっかけは、ニュース番組「NEWS ZERO」で、e-Educationの活動と創業者の税所篤快さんの特集をたまたま見たことでした。

「自分がしたいのはこれだ!!」

当時の自分はe-Educationの活動に衝撃を受け、これは自分がしたいことだと直感しました。

なぜ衝撃を受けたのか?

それは当時の自分が、「教育」×「映像」×「海外」、この3つのキーワードにとても興味を持っていたからです。

小さいころ、私は学校の先生になりたいと思っていました。当時の自分にとって最も身近にいた大人が先生だったから、そう思ったのかもしれません。

「どうしたら学生が楽しみながら授業を受けることができるだろう?」

そんなことを幼いながら考えているような小学生でした。

当時の私が好きだったテレビ番組は、「わくわく授業―わたしの教え方―」というNHKのドキュメンタリー番組。

番組で紹介される、ユニークな教育手法を実践している先生を見て、「自分も、学生が楽しみながら学べる授業ができるようになりたい!」と考えていました。

そんな教育に興味があった私は、中学3年で「映像教材」に関心をもちはじめます。

私の通っていた公立中学校は市の中でも成績があまり良くはありませんでした。

特に理科は当時の先生が全く実験をしてくれず、ただひたすら板書を書くだけ。いまいち授業内容がピンとこず、友達も同様に感じている子ばかりでした。

自分も映像教材を使ってみよう

そこで私は、放課後に友達をハングアウト(Googleが運営しているオンラインビデオ通話ツール)で繋げて、映像教材を使った勉強会を始めました。当時は理科の実験や社会の解説の映像を使ったりしていました。

映像のもつ伝える力ってすごい!

オンライン勉強会で感じた友達の納得しながら勉強している様子に、私は映像を活用した授業に関心を持つようになりました。

さらに、国際交流を行っているNPO「アジア太平洋こども会議・イン福岡」のプログラムにも参加していた私は、海外にも関心があり、「教育」×「映像」×「海外」で活動しているe-Educationを知り、「自分もいつかe-Educationで挑戦したい!」と心に決めたのです。

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高2の冬、日帰りで福岡から東京へ。創業者税所さんと理事米倉先生との1枚。

ネパールに渡航する理由

それから数年、大学2年の夏。

「e-Educationの活動地を実際に見に行きたい!」

そう思った私は、代表の三輪さんの紹介で、ネパールに1週間滞在しました。

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私と前々任インターンの大竹さん

当時のカントリースタッフ大竹浩貴さんに案内して頂き、農村の家に滞在したときのこと。

農村はとてものどかで、ホームステイした家の人たちも私を笑顔で出迎え、家族同様に接して下さいました。

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農村でのホームステイ

しかし農村での滞在中、浩貴さんからこのようなことを言われました。

「村の学校の子が結婚して、学校に来なくなったんだ。」

浩貴さんと一緒に、その子の家まで様子を見に行きましたが、本人はおらず、両親もどこか複雑な表情を浮かべていました。

「ネパールの現状はこれだけじゃない。身分制度とか、出稼ぎに行った若者のこととか、複雑な課題がたくさんある。」

この言葉を聞いて私は、笑顔でタクシーの客引きをしているダイ(兄ちゃん)から、地面で寝ていたストリートチルドレンの子まで、この滞在中で出会った様々なネパール人の姿を思い出しました。

日本にいたときには分からなかった、ネパールの社会と教育の実態。

「なんだかネパールの人って、幸せなのか幸せじゃないのかよくわからないな…」

私は違和感を感じました。

日本に帰国してからも、ネパールのことをいろいろ知るようになりました。(一度行った国って、ふとその国のニュースや情報を聞いたら、なんか気になっちゃうってことありますよね?)

厳格な身分制度や、SEE(高校卒業認定試験)の合格率の地域格差など、多くのネパールの社会課題を知ることで、自分の中での違和感や、「もっとネパールを知りたい」という欲はずっと高まるようになりました。

私自身も高校受験や大学受験は家計に余裕がなく、自学で勉強して進学した経験も相まって、自分がもともと関心があった教育の分野でネパールに全力で向き合いたい、と考えました。

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野外の光で勉強する村の子ども

これらの感情が重なり、「開発途上国における学習機会に恵まれない人々が夢や思いを実現し、自分に誇りをもって生きていけるようになる社会」というビジョンを掲げるe-Educationで活動したいという思いを、今まで以上により強く持ちました。

こうして私はe-Educationの選考を受けることに決めました。

100日過ぎて感じた気づきと課題

2018年2月に採用が決まって、約半年間日本で渡航準備を進めた後、2018年夏ネパールに渡航しました。

インターンに採用され、期待と不安のなか、熱い想いを持ってネパールに渡航。それからネパールで100日が経過しました。そこで感じた気づきや課題についてお話ししたいと思います。

渡航後最初の大舞台、ワークショップ

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ワークショップの集合写真

渡航してすぐ、私は映像教材に関する農村部の先生からの意見をもらうワークショップに参加しました。このワークショップは前任のカントリースタッフ、佐藤由季也さんが主体で運営していたもので、私にとって初めて現地の先生と映像教材を繋げる舞台でした。

私はそこで、プレゼンをする機会がありました。ネパール語がまだ話せなかった自分は英語でプレゼンしましたが、どうも伝わっている自信がない。

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ワークショップでの私のプレゼン

また、パソコンやスピーカーの機器トラブルなど、途上国特有の課題が次々に起こりました。

「与える側の自己満足で終わらず、相手の内面と相手の実情に寄り添うにはどうしたらいいのだろう?」

到着したばかりの私にとって、様々なことを考えるきっかけとなりました。

意見が割れる

引き継ぎは1ヶ月で終わり、由季也さんが帰国したあとは、自分ひとりでプロジェクトを進めることに。

そこで早速新たな難しさに出くわしました。

私と現地の先生の間、また、私とカウンターパートの現地NGO「Kids of Kathmandu(KOK)」のスタッフの間で、意見が割れることによるすり合わせの難しさ。

それだけではなく、現地の先生、KOKのスタッフ、さらにe-Educationの職員との間でも意見が異なり、難しい調整を強いられる場面が出てくるのです。

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Kids of Kathmanduのメンバーと初対面した時の写真

このプロジェクトを携わるメンバーはみんな、目の前の教育のために全力です。その中でどう最適な手段を導くか。

海外で長期滞在をするのが初めての私にとって、「あ、今自分は日本式に考えてたな…。」と考えることもあれば、「いや、ここはこの方法を突き通すべきだろ」と、様々な思いで逡巡するのです。

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パートナーオフィスにて。ミーティングの様子

「自分軸だけではなく他人軸でも物事を捉え、どう目の前の課題を自分ゴト化してプロジェクトを進めるか」

今までの自分にはなかった新しい目線で物事を捉える難しさを、今も感じています。

先生がいない!?パソコンが動かない!?

農村にあるプロジェクト校まで、首都カトマンズからバスで5時間くらいの所にあるのですが、そこでもトラブルに出くわします。

学校を見回しても、プロジェクトの話をしたい数学の先生とコンピュータの先生がいない…。

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村の学校では教室に先生がこないことも

三笘「あれ数学の先生は?」
校長「実家に帰ってて来てないね」
三笘「コンピュータの先生は?」
校長「結婚の準備で今日から休みだよ」
三笘「そうか…、コンピュータ室の様子は?」
校長「停電でしばらく動いてないね」
三笘「………。」

内心思わず、「自分は何しに村に来たんだ?」と思ってしまいました。

それだけではなく、村の学校の実態を知れば知るほど、「今自分が進めようとしている道はこれであっているのだろうか?」、「他にも解決しないといけない課題はたくさんあるのではないだろうか?」と、不安に感じる場面がたくさん出てきました。

苦労の中でもかすかに感じた希望の光

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村の先生にパワーポイントを教えている所

ただ、この100日間で感じたのは苦労だけではありません。村の数学の先生が、ある時私にこう言いました。

映像教材にはたくさんのアニメーションが入っているけれど、自分でも作れるようになりたい。パワーポイントを使って授業ができるようになりたい。

先生からこのような言葉が出たことに、私はとても驚きました。私がパワーポイントの使い方を教えると、先生はメモを取りながら聞き(ネパールの人ってなかなかメモを取らないことが多いのです)、自分で作ったスライドを嬉しそうに見ていました。

「次もまた教えてね!」

そう笑顔で言う先生を見て、課題続きだった最初の数ヶ月でしたが、自分がこの1年間で活動する上で大切なことがなんとなくわかってきたような気がしました。

例えば、目の前の人の笑顔や自信を大切にする、ということ。

初めは授業の仕方もよくわかっていなかった先生も、映像教材と言うきっかけによって、教える自信が生まれ、次は自分でも教材を作ってみたいと言う気持ちが生まれました。

このような、小さな「できた」を積み重ねて自信が生まれ、新たな目標へと挑戦しようとする原動力にすること。

この笑顔や自信を育むことがネパールの社会や教育のための大きな一歩になると思ってきています。

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首都カトマンズのプロジェクト校にて。先生と一緒にアクティビティを実施しています。

また、活動も100日がすぎると、渡航当初にはわからなかったネパールの良い所、嫌な所が見えてきます。動くほど課題も見えてきます。

インターンの選考のとき、面接担当の職員からこのような質問をされました。

「これから活動する上に当たって、たくさんの苦労や困難が出てくると思いますが、あなたは何を大事にして活動しますか?」という問いに、こう答えたことを覚えています。

確かに、トラブルもたくさん起きるだろうし、自分が1年間活動して残せるものはほんの少ししかないかも知れない。でも、『次の世代に自分がどうバトンを渡すか』、『残された人が思いっきり挑戦できる環境を残したい』。この思いを大事にして1年間頑張りたい。

限られた1年間と言う時間の中で、ネパールの教育のために、今の自分に足りない部分を成長させ、来年の夏、私がネパールを去るときに、先生や生徒が自信を持って教育と共に歩むことができるように。

そのために、今日の私には何ができるか、今このトジョウエンジンの記事を書きながら、もう一度身を引き締めて、残り9ヶ月ネパールで頑張ります!

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前任のカントリースタッフ、佐藤由季也さんとの1枚。


途上国の教育課題を若者の力で解決する

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