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こんにちは。e-Educationミャンマー担当の小沼武彦です。前回の記事では、ローカルパートナーを見つけ、先生探しに奔走したことを綴りました。今回の記事では、番外編としてタイにあるミャンマー人難民が3000人ほど暮らすバンメースリン難民キャンプを訪れたことを綴りたいと思います。

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いざ、タイのバンメースリン難民キャンプへ

6月2日。僕は、ヤンゴンからバンコクへ向かいました。カレン族の生活するタイの難民キャンプを訪れる為です。今回、訪問予定の難民キャンプは、バンコクから飛行機を2回乗り継ぎ、車で3時間ほど走ったところにある、どうしても訪れたかった場所。

4月に副代表の三輪さんから、あるブログを紹介されました。教育開発のスペシャリストである宮沢一朗さんのブログ。そこには、3月に難民キャンプで山火事があり、多くの方が負傷し、37人の方が亡くなったことが書かれていて、大きくショックを受けました。

ミャンマー難民が生活していた家が燃え、何も残っていない状況。

自分になにかできないことはないか。そういった想いが芽生え、三輪さんを通して宮沢さんを紹介してもらったのでした。

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直接力になれなくても、この目で確かめたい

宮沢さんに相談すると、訪れるには、タイ政府からの許可が必要とのこと。宮沢さんに同行させていただく形で、今回は奇跡的にキャンプに入ることができました。

事前に、e-Educationがこのキャンプ地で活動できないことは宮沢さんを通して知っていました。しかしながら、どうしても訪れたかった。直接力になれないけど、どうしてもこの目で確かめたかったのです。

キャンプ以外は、何もないところ。このキャンプで生まれ育った人は、国籍がないためにキャンプの外に出られず、一生キャンプ内で暮らしています。

他の国の難民キャンプとは事情が違い、車でキャンプ内を通っていくと山火事の様子が、未だに残っているのが目に入りました。キャンプには支援が入り、家が再建されていましたが、それでも山火事の影響は残り続けています。

昼食をとり、現地の人の話に耳を傾ける時間。おばあちゃんを助ける為に、火事の中に戻り、亡くなった青年。友人を助ける為に、火の海に戻り亡くなった少女。泣きそうになりながら、みっともないとも考え、涙をこらえました。

自分だったらどうするだろう。ぐるぐる頭の中で考えながら、自分が親なら「来るな」というけれど、息子としての立場ならどうしても助けにいってしまう。

友達を助けにいくだろうか、わかりません。小さなコミュニティーで一緒に育ち、笑い合った仲なら、友人を通り越して家族の一員だと思うでしょう。でも、そのコミュニティで、30人以上の方が亡くなったと言います。言葉がありませんでした。

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難民キャンプにこぼれ落ちるたくさんの笑顔

キャンプ内は暗い話ばかりではありません。現地の人の話を聞きながら、キャンプを廻ると驚いたことがあったのです。

それは人の明るさとエネルギー。

多くの人が親切に接してくれ、何より笑顔が素敵でした。会う子どもたち、大人たちから笑顔がこぼれ落ちているのです。どこからこの笑顔がくるのかが不思議でしょうがなかったです。

キャンプに到着して1時間ほど過ぎると、宮沢さんがソーラーライトを学生達に配る時間帯になりました。今回のキャンプ入りの理由は、宮沢さんがソーラーライトを子どもたちに届けるため。

宮沢さんが生徒に一つひとつライトを配っていきます。すると、学生たちは普段見ることのできないものに目をまるくし、ライトを膨らますのに苦戦していて、微笑ましかったです。

ここでも印象的だったのが、笑顔でした。学生の笑顔ではなく、宮沢さんの笑顔。子どもたちにライトを渡して接している時の笑顔が、本当に印象に残っています。

透き通っている笑顔とでも言えばいいのでしょうか。何も見返りを求めず、手助けしたいという気持ちが見えました。それは、僕の心に響きました。ミャンマーに入り、廻りは課題が山積みで、自分の存在、できることのなさに嫌気がさしていた時だったからかもしれません。

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いま僕にできること、これから進めていくこと

ミャンマーでは教育に関する課題は山積みだけれど、自分の廻りの人を少なくてもサポートできる。今、自分にできることを行なおうと、キャンプを訪れることでそう決心できました。

子どもたちの笑顔、宮沢さんの笑顔からエネルギーをもらったのはかなり大きかったです。辛いときでも笑顔でいる大切さを子どもたちから学び、自分にできることを一歩一歩行なうことの大切さを宮沢さんから学びました。

キャンプを訪れたからといって、劇的にスキルがつくはずでもないし、プロジェクトがすんなりと成功するわけでもありません。事実、僕は彼らに何もできなかったし、しませんでした。

僕は、彼らから一方的にエネルギーをもらっただけかもしれません。何もキャンプ内ではできなかったけれど、彼らのエネルギーを糧として、プロジェクトを前に進めることができると思います。

そうしてプロジェクトを進んでいくことが、今、僕にできること。それが多くのことを学ばさせてもらった彼らに対しての僕なりの恩返しだと信じています。

自分のできることを精一杯行なっていくこと。

これからも、ミャンマーの学生たちと一歩一歩、教育開発を進めていきます。これからもどうぞ応援よろしくお願いいたします!

【山火事直後のBangkok Postの記事

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難民キャンプのみんなでサッカー

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川を超えて難民キャンプへ向かう

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ライトを受け取り、笑う学生と宮沢さん

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いまだに残る山火事の痕跡

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途上国の教育課題を若者の力で解決する

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