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NGO EGAO代表・原田千晶さん

Hola! e-Educationパラグアイプロジェクト担当の田才諒哉です。現在パラグアイでは、地方での映像授業の実施に向けて日々前進しております!

今回は、パラグアイプロジェクトを協働で行っている、NGO EGAO代表の原田千晶さんに、NGOの代表としてパラグアイで生活するに至るまでの経緯を伺いました。

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多くのEGAOを生むために

2008〜2010年まで、青年海外協力隊で村落開発普及員として活動したことをキッカケに、2011年からパラグアイでNGO EGAOを立ち上げた原田さん。

「地域資源を有効活用し、持続的かつ継続的な開発により、多くのEGAOを生む」をビジョンに掲げ活動しています。

一年の半分は、日本で通信大学生として経営学の勉強にも励み、今年で4年目になります。前編では、原田さんが協力隊に応募するまでのことについてお聞きしました。

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走ることに明け暮れた学生時代

原田:小さい頃は、常に走ることが大好きでした。小学校5年生〜中学生までは、地元の女子サッカーチームにも所属。中学・高校では陸上部に所属し、中・長距離を専門にしていました。

高校生のときは3年連続で全国高校女子駅伝にも出場し、3年目には、3区で区間8位になったりと、運動漬けの学生生活を送ってきました。

高校卒業後は、(株)ノーリツに入社し、女子陸上競技部で2年間、企業の広告塔として長距離に従事。入社2年目には実業団対抗女子駅伝で2区を走り、全体で8位入賞。毎日毎日走ってばかりの生活でした。

新たな競技への挑戦と、そこでぶつかった英語の壁

退社後、母の勧めで1ヶ月間、カナダのバンクーバーでファームステイを経験しました。

英語が全く分からず、毎日ストレスを抱えてほとんど眠れない日々が続いたのを覚えています。陸上競技に打ち込んでいた時から負けず嫌いだった私は、帰国後、猛勉強しましたね。

それから、陸上競技以外のスポーツに挑戦したいと思い、シドニーでトライアスロンのトレーニングをしたり、苦手だった英語を磨き、毎日スイム+バイク+ランのうち2種目を必ず練習していました。

その後、再び日本で社会経験を積むために帰国したんです。

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独学でボルトガル語を習得!

帰国した後も、英語を忘れたくない思いが強く、地元の外国人の方を見つけては話しかけていました。

でも、会う人のほとんどが英語を話せなかったんです。そこに住む人は、ブラジルから来ている出稼ぎの人が大半だったことが理由です。

そこで私は、独学でポルトガル語を学ぶことに決めたのです。車のベアリングを製造する工場で働きながら、仕事帰りに毎晩ブラジル人の友達の家に通いスピーキングの練習をしていました。時間を見つけて文法本を片手に勉強し、半年後には基本的な会話ができるまでになったのです。

その後、ポルトガル語を習得してから人材派遣会社に引き抜かれ、ブラジル・ペルーからの出稼ぎ者の管理を任せられるようになりました。

協力隊に出会ったキッカケ

管理職の仕事も慣れた頃、転機の年を迎えようと思い、新しいことにチャレンジしようと決意しました。

自分の好きなとこが活かせると思い、大阪で行われた世界陸上の語学ボランティアをしたのですが、そのとき知り合った元青年海外協力隊員から協力隊の事を教えてもらったんです。それが応募のキッカケでした。

それからは東京マラソンに出場したり、転職活動も平行して行い、運良くバイリンガルを斡旋する人材派遣会社に内定を獲得。何もかもがスムーズにいき、協力隊も合格通知をもらうことができました。

最終的には、自分に何かできることはないかという強い思いを持って、協力隊員として活動する事を決意したんです。

【中編に続く】


途上国の教育課題を若者の力で解決する

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