国際開発 | トジョウエンジン https://eedu.jp/blog 途上国のイメージを豊かにするノンストップ・デイリーマガジン Mon, 05 Mar 2018 09:16:39 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.6.15 【6/3開催】バングラデシュの事例から日本の未来を考える ーGCMP主催シンポジウム@早稲田大学ー https://eedu.jp/blog/2017/05/26/gcmp_symposium_2017/ https://eedu.jp/blog/2017/05/26/gcmp_symposium_2017/#respond Fri, 26 May 2017 09:43:11 +0000 https://eedu.jp/blog/?p=43584 「国際協力」を考えるときには、どうしても先進国から途上国へという図式を描きがち。でも、先進国・途上国という線引きをしてしまうことに少なからず疑問を抱いている方も多いのではないでしょうか。 そんな方に、途上国の実践の現場か […]

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「国際協力」を考えるときには、どうしても先進国から途上国へという図式を描きがち。でも、先進国・途上国という線引きをしてしまうことに少なからず疑問を抱いている方も多いのではないでしょうか。

そんな方に、途上国の実践の現場から、日本をはじめとした先進国にとっての学びを考え、新たな可能性を探るシンポジウムをご紹介します!
シンポジウム開催概要はこちら »

SPONSERD LINK

バングラデシュを拠点として住民主導のごみ処理プロジェクトを2年以上にわたっておこなってきたGCMPが主催するシンポジウム『先進国で暮らす私たちは「社会福祉の転換期」にどう立ち向かうのか ~バングラデシュの事例から考える”市民主導型”の可能性~』が、6月3日(土)に早稲田大学で開催されます。

先進国と途上国が学びあう時代を迎えて

「課題先進国」と呼ばれる日本。少子高齢化が進み、戦後に確立された社会福祉のありかたがひとつの転換点を迎えています。

対照的に途上国では、国家に十分な財源がなく、社会福祉はないがしろにされてきました。それを補完するために一部の地域では市民社会の中から「互助」の仕組みが生まれ始めています。

先進国においても市民社会の役割が見直され始めている今、途上国における「互助」のモデルは私たちにどのようなヒントを与えているのでしょうか。

市民社会の可能性を考える場としてのバングラデシュ

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バングラデシュの首都ダッカ

現在急成長を遂げるバングラデシュ。しかし国民の生活を向上させる国の政策は決してそれに追いついているとは言えません。

世界最大のNGOであるBRACや、2006年にノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行はご存知ですか。バングラデシュではこのような組織が市民社会の力を結集して、村民の生活を向上させる役割を果たしています。

また、このトジョウエンジンを運営するNPO法人e-Educationの最初の活動地として、バングラデシュになじみのある方もいるかもしれません。

このようにバングラデシュは市民社会が非常に活発で、先進的な試みも多く、ボトムアップの活動を進めるための素養がはぐくまれてきた地域なのです。

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GCMPフィールドワークの様子

そのバングラデシュで、GCMP(Global Change Makers Program)は生活環境の課題解決に向けたプロジェクトを実施しています。

2015年6月に早稲田大学と株式会社ブリヂストンが実施している連携研究プロジェクトW-BRIDGEに事業採択され、バングラデシュの農村で住民主導型ごみ処理システムの導入を目指してきました。

現地パートナーの協力のもと、いかに現地の状況に適した仕組みを作り、それを現地の住民の力で運営していくかということを常に考えながらプロジェクトを構築してきました。

GCMPのプロジェクトについてもっと知りたい方はこちら »

シンポジウム開催概要はこちら »

豊富な現場経験から語る:豪華ゲストによる基調講演

今回はGCMPの経験に加えて、バングラデシュというフィールドで異なる分野における市民主導型の仕組みづくりに従事されてきたゲストスピーカー2名をお迎えし、バングラデシュの現場から”市民主導型”の可能性を考えます。

以下、基調講演で登壇されるゲストスピーカー2名をご紹介いたします。

池田洋一郎氏
「市民参加による国づくりの現場から ~元世界銀行職員からの報告~」

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2001年に早稲田大学政治経済学部を卒業、財務省に入省。
2011年夏より約3年間、世界銀行に移籍。バングラデシュ現地事務所にて、政府-草の根NGO-世銀の協働を通じたプロジェクトモニタリングの仕組みを構築。その後、ワシントンの本部にて、世銀をより成果重視の機関とするための組織改革に従事。
2014年夏に財務省に戻り、引き続き途上国開発や国際金融、国際租税分野における政策立案に貢献。

山本秀樹氏
 「海を渡った“Kominkan”
~バングラデシュと日本の現場で住民参加の輪を紡ぐ~」

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岡山に本部を置くNGO・AMDA(アジア医師連絡協議会)のボランティア活動に参加し、事務局長・副代表としてロヒンギャ難民、ブータン難民、ソマリア難民救援活動、阪神大震災救援活動(神戸市長田区)に参加。1998-2000年、JICA ザンビア国ルサカ市プライマリーヘルスケアプロジェクト専門家として出張。家として出張。
バングラデシュ、ザンビア国等で日本の公民館に相当するCLC(Community Learning Center) を活用したESDのモデルづくりを推進。2011年4月より帝京大学大学院公衆衛生学研究科教授。保健政策学・国際保健学を担当し、発展途上国における高齢化(Global Ageing)の研究、日本発の国際協力人材づくりに取り組んでいる。

イベント詳細

開催日時

2017年6月3日(土)
 シンポジウム 15:30~17:30 (開場 15:00)
 懇親会 18:00~20:00

開催場所

早稲田大学26号館 地下・多目的ホール
(最寄り駅 東京メトロ東西線 早稲田駅)

参加費

無料

タイムスケジュール

15:00 開場
15:30~17:30 W-BRIDGEプロジェクトシンポジウム
 第1部 基調講演
  池田洋一郎氏
  「市民参加による国づくりの現場から
    ~元世界銀行職員からの報告~」
  山本秀樹氏
  「海を渡った”Kominkan”
   ~バングラデシュと日本の現場で住民参加の輪を紡ぐ~」
 第2部 パネルディスカッション
18:00~20:00 懇親会

主催

GCMP,LLC

共催

ソーシャル&ヒューマンキャピタル研究所(WISH)
W-BRIDGE

これからの国際協力に関心のある方、バングラデシュに興味のある方、ぜひ参加してみてください。
先進国と途上国の隔たりを超えて学びあってみませんか。

シンポジウムに参加する »

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【VOYAGE特集2】生まれた環境に左右されない、障がい者が生きがいを持てる未来を目指して——フリー・ザ・チルドレン・ジャパン 石田由香理さんインタビュー https://eedu.jp/blog/2017/01/29/voyage2_ishida/ https://eedu.jp/blog/2017/01/29/voyage2_ishida/#respond Sun, 29 Jan 2017 08:54:17 +0000 https://eedu.jp/blog/?p=42535 1歳3ヶ月のときに全盲になり、以後日本の大学、海外の大学院まで卒業した石田さん。 そんな彼女は今、認定NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパンの職員として、フィリピンで障がい者支援事業に携わっています。 彼女はなぜ、そ […]

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1歳3ヶ月のときに全盲になり、以後日本の大学、海外の大学院まで卒業した石田さん。

そんな彼女は今、認定NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパンの職員として、フィリピンで障がい者支援事業に携わっています。

彼女はなぜ、そしてどんな想いで障がい者支援に関わっているのか?

石田さんの挑戦、そして素顔に迫ります。

(聞き手:田才諒哉)

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「自分にしかできないこと」との出会い

ーー石田さんが途上国支援に関わるようになったきっかけについて教えてください。

2010年3月、大学1年生の春休みに、現在私が働いているフリー・ザ・チルドレン・ジャパンのスタディーツアーでフィリピンへ行きました。そこで現地の人にこんなことを言われたんです。

「君は目が見えないのにいったいどうやって教育を受けてきたんだ?この国ではまだまだ障がい者は何もできない存在だと思われている。健常者でさえ日本語しか話せないのに、あなたは英語まで話せてすごい!」

ひょっとしたら、ここでは自分にしかできないことがあるかもしれない。この国での視覚障がい者を取り巻く教育環境について興味をもった私は、それから2011年3月から11ヶ月間留学したり、個人的にフィリピンに行くようになりました。

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子どもたちの可能性が奪われてしまう社会

ーーフィリピンの視覚障がい者を取り巻く教育環境について教えてください。

フィリピンに留学時、地方の学校に併設する視覚障がい児学級へ行きました。年齢も視力も関係なく一緒くたにされた、5歳から14歳の生徒に対して先生が1人、そしてその先生にも教育をしっかりやるという気概がなく、誤解を恐れず例えるなら、まるで保育園のような環境でした。

ですが、視覚障害児学級の子どもたちと触れ合ってみると、おとぎ話を一回聞いただけなのに暗記して話せるくらい頭の良い子がいたりと、彼らが「できない」のではなく、周りの人たちが彼らは「できない」と決めつけ、可能性を潰している現状が見えてきました。

またマクロな視点で見ても、国内に貧困など、解決すべき課題が蔓延しているフィリピンでは、障がい者の支援は政府のプライオリティーでないこともわかりました。

現在フィリピンにおける視覚障がい者の高校への就学率は2%。就職できない人がマニラだけで100人以上。さらには、結局学業を受けても就職できないという現実です。

政府が取り組まないのであれば、私たちNGOが取り組む意義があるのではないか。そう思って、ここフィリピンでの障がい者支援事業をスタートしました。

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ーー日本にも視覚障がいのある方はいらっしゃいますが、途上国の視覚障がい者を取り巻く環境との違いについて教えてください。

私がフィリピンで出会った中で、18歳で全盲になり捨てられた男の子がいました。彼は15歳の従兄弟と2人で、なんと豚小屋の2階に住んでいました。親は18年間育ててきて、全盲になったら我が子でも捨ててしまう…障がいがあることは未来がないと思われている現実に直面し、筆舌に尽くしがたい感情が芽生えました。

こうした現実がある一番の原因は、「努力した結果が報われる環境が保障されているかどうか」にあると考えています。特に地方で暮らす視覚障がい者ほど、周りにしっかりした教育を受け就職したロールモデルがまったくと言っていいほどいないため、頑張ってもモチベーションを保つことが難しいのだと思います。

日本では障がいがあっても生きがいを感じながら生活している人は大勢いますが、ここフィリピンでは生きがいすら感じられていない、報われない環境があるのです。

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現地の人と打ち合わせを行う石田さん

今フィリピンで求められてること

ーー石田さんが現在取り組んでいるプロジェクトと、今後の展望について教えてください。

フィリピンでたった1つしかない、職業訓練および高校卒業までの基礎教育が受けられるフィリピン国立盲学校の支援を行っています。大きく2つの支援を現在検討しており、1つ目は盲学校に併設する寮の屋根の改修です。

盲学生にとって、寮の存在は絶対です。なぜなら、日本とは大きく異なるフィリピンのような交通状況の国では、視覚障がい者が白杖を使って学校まで毎日通うということは困難であり、寮がないことは、学校に通えないこととほぼイコールなのです。

現在その寮の屋根が簡易的なもののため、熱を吸収しやすく、部屋が35℃近くまで暑くなっています。ここに断熱材などを入れ、太陽の熱が伝わらないようにすることで、寮の環境改善を行っていきます。

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子どもたちが安心して学べる環境を目指して

2つ目は、盲学生の足でもある、ミニバスの購入です。現在もミニバスはあるのですが、10年の使用期限を超え、20年以上も使用しており、今にも廃車寸前のボロボロの状態です。新しいバスに買い換えることで、今後も当面使用することができるようになることはもちろん、子どもたちが障がい者向けの教育セミナーなどに参加するための移動手段など、外部と関わる機会を積極的につくっていきたいと考えています。

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バスを買い換えれば、もっと沢山の子どもたちと接する機会が作れます

今後の展望としては、マニラのような都市部だけでなく、地方における視覚障がい者を取り巻く環境もとても深刻であるため、最終的には地方の未就学児の支援もしていきたいと強く思っています。

地方での支援事業は、あまりにも未知数な事業のために助成金等が下りなかった背景もあり、まずはマニラの就学できている人たちが中退しなくて済むようにすることで、将来的に就職し活躍していく、そんな視覚障がい者のロールモデルをつくり、障がい者にも可能性はあるんだということを実例とともに示しながら、地方へ事業を展開していきたいと思っています。

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同じ仲間たちのために私ができること

ーー最後に、石田さんがこれほどまで強い信念をもって活動をされている源は何なのか、ぜひ教えてください。

一番は、他人事ではなく、同じ障がい者という仲間意識があることかなあ、と思います。生まれた環境が違うだけでこんなにも差があること、これは先進国と途上国の比較でよくいわれることですが、障がい者に関していえば、もっともっとその差は大きいように感じます。私だって、フィリピンで生まれていたら足し算も引き算もできなかったかもしれません。

また、これまで私は日本で多くのボランティアの方々にサポートしていただきました。大学受験の際には、赤本や参考書を無償で点訳していただいたり、日本にいるからこそ、恵まれた環境で教育を受けてくることができました。そんなサポートに感謝し、恩返しをするためにも、フィリピンの視覚障がい者の支援をするという今の自分の目標を全うしていきたいと思っています。

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日本で受けた恩を、フィリピンへ届けていきます

最後に、私が全盲のNPO職員であるという点でいえば、視覚障がいのあるNPO職員でも、途上国でのプロジェクトを成功させたという実績をつくり、日本にいる障がい者の将来の選択肢として国際協力があるということも示せたらいいなと思っています。

「障がいがありながら、途上国駐在なんてありえない」そう思われていた40,50代で国際協力の世界に進めなかった先輩方の分も、これからはどこに生まれても障がい者が生きがいをもって暮らしていける未来をつくっていければと思っています。

(インタビュー終わり)

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『VOYAGE PROGRAM』での挑戦

『VOYAGE PROGRAM』は、国際最大規模のクラウドファンディングサービスを手がけるREADYFORが新たにはじめた国際協力活動応援プログラムであり、フリー・ザ・チルドレンは第2回参加団体に選出されました。

石田さんたちは「障害者の可能性を閉ざさない フィリピンたった1つの盲学校の挑戦」というプロジェクトの成功に向け、現在活動資金を集めています。
プロジェクトは2017年2月に目標金額を達成しました。


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関心のある方はぜひプロジェクページをご覧ください!

石田さんたちの活動を応援する »

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【VOYAGE特集2】一人の医者としてどう生きるか。悩んだ末に辿り着いた国際協力の道ーー認定NPO法人Future Code代表 大類隼人 https://eedu.jp/blog/2017/01/11/voyage2_oorui/ https://eedu.jp/blog/2017/01/11/voyage2_oorui/#respond Wed, 11 Jan 2017 07:50:52 +0000 https://eedu.jp/blog/?p=42415 「一人の医者としてどう生きるか」 当時外科医として働いていた大類隼人さんは悩んでいました。 「自分のスキルを用いて、もっと自分で出来る新たな挑戦をしたい」 毎日の仕事に追われながらも、少しずつ挑戦の舞台を広げ、世界各地で […]

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「一人の医者としてどう生きるか」

当時外科医として働いていた大類隼人さんは悩んでいました。

「自分のスキルを用いて、もっと自分で出来る新たな挑戦をしたい」

毎日の仕事に追われながらも、少しずつ挑戦の舞台を広げ、世界各地で様々な災害現場へと向かいます。そして目の前に広がる見過ごすことができない光景。

そこから大類さんの国際協力への道が始まり、Future Code設立へと繋がります。

医者としてのキャリアを離れ、なぜ国際協力の道を選んだのか?大類さんの挑戦、そして素顔に迫ります。

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きっかけは、東日本大震災

ーー元々は日本で医者をやられていた大類さんが、国際協力に携わったきっかけとは何ですか?

私が、実際に国際協力に興味を持ってから初めて行動に移したのは「災害時の救命」でした。当時の私は、自分のスキルである救命救急を用いた活動のできる国際医療団体にボランティアとして所属をしていて、通じて日本や海外の途上国の震災があった場所へ緊急支援に行くなどしていました。なぜ私がこの活動を始めたのかというと、私は医者として自分の働き方、生き方に迷い、分からなくなるようなしんどい時期もあり、そんな時に自分の中で芽生えた「自分のスキルを用いて、もっと自分で出来る新たな挑戦もしたい」という想いから自分のスキルである救命救急を用いた国際協力を始めました。

国際協力と言っても、初めて私が経験した災害現場は、「東日本大震災」でした。目の前に広がった、跡形もなくなった街の景色に圧倒された自分を今も覚えています。その後、2011年10月23日に起きた東トルコ震災に向かいます。この土地はクルド人たちが住んでいる場所で、イランやイラクの国境と近く、吹雪の中でテントで寝泊まりしながら活動をする、貧困地の中でも厳しいところでした。そうした現場で活動する中で、救命救急はもちろん必要なことだけれどもハイチやクルディスタンなどで起こる災害の場合、緊急で行う救命の活動は1週間~2週間で終了します。

しかしもともとこの場所では、災害が起こる前から住民の医療機関へのアクセスは難しく、逆に我々が滞在している間だけ診療することができ、自分たちが現場から離れてしまったらまた何もなくなってしまうのです。救命は「必要だからやる」、そうした感覚でやっていますが、私はじっくりと現地の人々と共に、現地の医療を育てる必要性を強く感じました。東日本大震災の現場を経験した後に、2010年に31万人の死者を出したハイチ震災の現場にも私は向かいました。

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運命を変えた、ハイチの出会い

ーーハイチではどんな経験をされたのでしょうか?

最初は出会った人々に対して自分が何ができるのかを考えていましたが、結局は現地で出会った現地の人も含めて皆から私が教えてもらっていた事が多いと気づきました。なかでもハイチで出会った、現在はFuture Codeの顧問を務めていただいております須藤昭子先生はシスターであり日本人の医者でもあるという方で、50歳の時に渡航されてから37年間ハイチで活動してきた人でした。私が初めてシスター須藤先生に出会ったときは、まだハイチの倒壊した病院で活動されていました。

ハイチは震災から当時1年以上経っているのにも関わらず、まだテントで診療をやっているような状況でした。当時コレラが蔓延しているような状況の中で、須藤先生は結核診療などに取り組んでいたのですが、私にとって忘れられない出来事がありました。それは、1人の患者さんが結核で寝ていた時に、皮膚が動いているんじゃないかと思うくらいのすごい数のハエが集っていて、それを見た私は呆気にとられてずっと見ていました。その時に、須藤先生に「ハエはね、良く知っているんですよ」と言われて。その言葉が物凄く私にとって衝撃的で、私の知っている日本の医療であれば、「人が死ぬというのは生きている人の中でたまに死んでしまうこと」でありましたが、ハイチでは「死んでいく人たちの中で生かす人を作ろうとしている」ような感覚なのです。

ハイチではコレラでも7000人以上の人が亡くなっていて、本来であれば先進国で治療したらほとんどコレラではしか死ぬことはありません。つまり私の感覚では「死なない病気なのにハイチでは死ぬ」ということであり、簡単なものが簡単にできないことを痛感した瞬間でした。須藤先生も、「長年、ハイチで結核検診を実現させたかったが、それができなかった」と話をしてくれました。

普段日本の都市部では、そこで働く医師としてのそれぞれの専門性やスキルには多少の差はあったとしても、それを補うことのできる機能を持った病院は近隣にいくつかあるものであり、それぞれ医者個人の専門性やスキルの問題は、患者さんの不利益にならないように連携されています。そうした中で自分が医者として働いてきたからこそ、自分が「この人を助けた」という感覚は正直あまり感じたこともなかったです。

それは、私を含めて皆にとっても「できて当たり前」のルーティンワークだからです。しかし、ハイチでは「なんでこの人が死ぬの?」という人がどんどん死んでいきました。しかも、週末は医療スタッフが足りないから死にやすい、などといった理由で死んでいきます。そうした現状を目の当たりにして、命の価値を考えるようにもなりました。「ここでは命は軽いのか?」と…。

しかし、もちろん決してそうではありません。実は先ほど話したハイチの患者さんのシーンですが、あの一瞬が私の人生を完全に変えた一瞬でした。そのハエが集って間もなく死んでいった人を見て、思わず私が放った「日本だったらこんなことはあり得ない。点滴の一本でもすれば…」という一言を聞いたシスター須藤先生は「これだけ長い時間ハイチにいて、30数年医療活動をやっているけれど、簡単なことでさえも出来なかった」と、あの言葉がひどく胸に圧し掛かったと、後に仰っていました。

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ーーハイチでの経験、そして須藤昭子先生との出会いが、大類さんにとって原体験なのですね。

はい。その後、私はシスター須藤先生の医療施設からは離れるのですが、どうしてもあの患者さん、あの現場が頭から離れず、何か微力でも力になりたいと思い、ハイチを離れる前にもう一度シスター須藤先生とお会いすることにしました。そのときに、「ここで結核検診を実現させたい」と言ったところ、ふたつ返事でシスター須藤先生も快く「やりましょう!」と受け入れてくれたことで始まったのがFuture Codeです。なので、どちらかというと、始めは我々は団体ではなく結核検診を実現させるためのチームでした。

そこから、まずはレントゲンを用いた結核検診というもの自体が浸透していないハイチにおいて、医療人材を育てることから始め、ハイチのドクター2人を日本に連れてきてトレーニングをしました。その後、レントゲン等の機材を日本の政府に協力していただき、機材、人材、システムを整えてハイチの病院を再度立ち上げました。しかしながらシスター須藤先生の体調も思わしくなく、2013年の8月にシスター須藤先生は日本に帰られることが決まっていました。そうした中で、1番最初の検診は絶対にシスター須藤先生と一緒にやることが目的だったため、実現させるために動いていき、結果どうにか2013年の6月に実現させることができたんです。こうした経緯から私は自然と国際協力に携わっていきました。

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テロから逃げない、自分を裏切らない覚悟

ーー東日本大震災などの災害現場での活動が、今の大類さんの活動に繋がっていると思います。同じ災害現場であっても日本と途上国とでは大きな違いを感じ、テロなどの自らの危険性を感じたこともあったかと思いますが、そうした現場で活動することに迷いや戸惑いはありませんでしたか?

頭の中では、ある程度いつも考えています。例えば、2016年バングラデシュでテロがあった時は、私は西アフリカにいたので直接の被害はありませんでしたが、その後すぐにバングラデシュに行くことになって、そうした時に危険性を考えないことはもちろんありません。それは、2015年の10月くらいから日本人もターゲットになるということが分かっていた中で、自分が現場に入るといった時に「大丈夫だろうと思いつつも万が一はあり得る」わけですから。また、実際に昔ソマリア国境の難民の支援をやろうと、調査のためキャンプに行った時に、私と合わせて2人で行っていたのですが、その時にホテルが丁度テロ組織にアタックされて「ここでもう終わりかな」とも一瞬思いましたが、あの時は運よく難を逃れることが出来ました。

そしてすぐに撤退を決めて首都のナイロビに戻っている時に、戦車の部隊とすれ違って「何だろう?」と思っていたら、これがテロ組織のアタックに対するケニア軍の報復攻撃部隊でした。その2年後、ケニアのナイロビにあるウエストゲートというショッピングセンターがテロ組織に襲撃されて、何百人も死ぬという事件がありました。このテロが起こったときにはたまたまタンザニアに居たのですが、実はその1週間前に、私もこの事件現場のショッピングセンターでたまたま友人らと一緒にコーヒーを飲んでいたんです。そしてこのテロはケニアのあの昔の報復攻撃に対する、テロ組織の報復攻撃でした。あの自分がいた現場から未だに憎しみが連鎖していて。いくら気を付けていても、安全と言われる場所にいたとしても、防ぎようがなく突然このような事件や災害は起こることもあります。たまたま自分だけは特別なわけはないですし、今まででも、仲間を失ったこともあります。そうした恐さは当然自分の中に存在しています。

でも、それを言い出して現場に行かないというのは、私にとっては意味のない話であって、自分のアイデンティティの問題でもあります。例えば「テロがあったので撤退します」とベンガル人に言うことはあってはならないことだし、それはテロ組織が望んでいることでもあります。シスター須藤先生がハイチで日本人のイメージを作ったのは、40年近くひたすらに現場を裏切らずにやってきたからです。医療者としても、自分の目の前で見てきたものに何もしないというのなら、自分を裏切ることでもありますし、この業界ではきっと私は働けません。そういえばシスター須藤先生も「自分が毎日通勤する道にもし人が倒れていたら、大丈夫ですか?と声をかけるじゃないですか。それが私にとっては人間としての普通の行い」だと言っていました。それがたまたまシスター須藤先生にとってはハイチだったのだと。

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バングラデシュでの新しい挑戦

ーー今回のクラウドファンディングの現場となるバングラデシュで活動する中で、大変なことや困ったことなどはありますか?

実は、今までいろいろ経験する中、何をどうしてもいちいち難しい現場もありますが、私にとってバングラデシュは少し気が楽というのが本音です…(笑)それは、 我々が活動している首都ダカは、我々にとってはリソースがたくさんあるので比較的やりやすい現場だし、コスト面で考えても物価も安いので、物や人の調達がしやすいです。ただ、もちろんバングラデシュの全てがやりやすいという話ではありません。例えば、2012年当時、南のエリアを調査した際、そのエリア一帯がハリケーンでやられていたので、物凄く大変でした。村が全て無くなっていて、そこを支援しているNGOもほぼほぼゼロという状況でした。これは極端な例かもしれませんが、やはり被災地でなくても、農村部などは首都ダカから見ても、まったく違う現実があります。

今回のプロジェクトの現場はスラムで、私たちのファーストステップとなります。このプロジェクトが成功すれば、次のステージに進むことが出来て、医者を病院に入れる→運営を再建し、病院を再生する→スラムに医療を入れる→病院として教育機関にもなる という順番で考えています。

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もしちゃんと教育機関になったら、奨学金として生徒の学費を免除するような仕組みも考えています。つまり奨学金を出す代わりに、2年間医療スタッフとして生徒には居てもらい、スラムの診療などにも協力してもらいます。これによって、今よりも豊富な人材を発掘することができ、より広範囲に医療を届けられるかもしれません。私たちの最終目標は「現地の自立」なので、ベンガル人のお金をベンガル人のために使うという仕組みをここで生みだすことが大事になってきます。私たちが居なくても彼らが自立できる状態にするのは、簡単な事ではありませんが、叶えなければならない夢であって、彼ら自身が貧しい人を助けていくという構造を作りたいのです。

また、こうした活動に合わせて2013年~2015年まで我々はバングラデシュの軍病院の看護師育成にも関わっていました。大きな目的はもちろん看護師らを育成することではありましたが、そこで働く日本人である我々を見て、現場では日本人のイメージが創られていきます。そして私たちが現場を手がけることは日本人の医療が入り込むということでもあります。これは決して軽い責任ではありません。いつか国がもっと発展して、我々が彼らに病院を完全に任せることができた時に「優秀なベンガル人のお医者さんが働く、この日本人の支援した病院は社会貢献もしている。良い病院だ!」という価値感がいつかもっと現地に広がってくれたら。そういう意味では今回のプロジェクトもこうした日本とバングラデシュの友好の未来の一歩に繋がっていると思っています。

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ーー医者という職業をする中で「人を救う」ということの大変さや苦労さも味わってきたと思います。医者を始めた当初の自分と比較して、今の自分の生き方や活動に満足はしていますか?

十分楽しんでいます。「楽しいからやっている」というモチベーションは大事ですし、大きく生き方も仕事も変わりました。医者という仕事は基本的には目の前の人間を何とかするというものです。しかし、今私がやっているのは「公衆衛生学的マネジメント」的な要素が多くあります。これは私がわざわざイギリスまで行って大学院に留学した理由なんですが、途上国における医療支援の導入にどういうアプローチ、マネジメントをしなければならないのか、そのワールドスタンダードを自分の中に叩き込みたかったからです。つまり、当時目の前の医療しかできない自分がプロを名乗れるかというところに疑問を感じたわけです。

私が居た学部は「実践が全て」という学部で、例えば「2週間後までにどこかの国と感染症を選んでプロポーザルを書いて来い」というような課題でした。そうしたことを1年間ずっとやるという学部だったからこそ、ほぼ全ての学びが今の自分に活きています。しかし、すべて習った通りのスタンダードなプログラムをやっているわけでもなく、どちらかというと私は「現場の声」を重視しています。つまり現場の情報をあげて、何が彼らが欲しいと望んでいるのかを特定しない限りはちゃんとした支援はできないでしょうし、逆に彼らが望まないことであれば、例え良い方法であったも、我々がする必要はないと思っています。

医者は医療機関があってこそ役に立てるのであって、私も過去現場で自分の無力さを痛感しました。今では日本では外科医としては2012年に退職しましたし、実際に自分で医療をすることは少ないですが、医療の届いていない世界に医療を作り上げるというマネジメントを仕事とする今でも、自分では誇りを持って医者をやっているつもりです。

また、途上国の多くの人が、たとえ貧しくても力強く、人を大事にしながら幸せを作り、生きています。そういう姿に私自身が人間として教えてもらったことは計り知れない自分の財産でもありますから、あまり私も自分が苦労をして活動しながら生きているとは感じていませんし、むしろ昔より人間としても活動を通じて豊かにしてもらったんじゃないかなと思っています。

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『VOYAGE PROGRAM』での挑戦

『VOYAGE PROGRAM』は、国際最大規模のクラウドファンディングサービスを手がけるREADYFORが新たにはじめた国際協力活動応援プログラムであり、AfriMedicoは第2回参加団体に選出されました。

大類さんたちは破綻寸前の病院再建!バングラデシュのスラムを医療モデル地域へというプロジェクトの成功に向け、現在活動資金を集めています。

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応援したい方・関心のある方はぜひプロジェクページをご覧ください!

大類さんたちの活動を応援する »

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【VOYAGE特集2】「社会貢献がアパレル業界では”PRツール”でしかなかった」違和感から始まったNPOへの挑戦――ジャパンハート 関口ゆみさん https://eedu.jp/blog/2016/12/22/voyage2_sekiguchi/ https://eedu.jp/blog/2016/12/22/voyage2_sekiguchi/#respond Wed, 21 Dec 2016 23:24:38 +0000 https://eedu.jp/blog/?p=42235 「前職ではNPOは”PRツール”でしかありませんでした」 今では行政や企業以外の、社会に対する第3の役割として広まってきたNPOですが、まだまだ知られているのはごくわずかなのも事実です。 「自分が […]

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「前職ではNPOは”PRツール”でしかありませんでした」

今では行政や企業以外の、社会に対する第3の役割として広まってきたNPOですが、まだまだ知られているのはごくわずかなのも事実です。

「自分がこれまで培ってきた広報力を、NPOというフィールドで生かしたいんです」

企業で感じた違和感からNPOで働くことを決めたジャパンハート関口ゆみさん。

これまでどのような経験をされてきたのか?そして、これからどんな挑戦をされるのか?

関口さんの挑戦、そして素顔に迫ります。

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ジャパンハートに出会ったきっかけ

ーー前職ではアパレル関係で働かれていたとのことですが、転職をされた理由は何ですか。

アパレルでは広報のお仕事をしていました。毎日様々なところへ顔を出し、新しい知人を日々得るなかで、新しい仕事につなげていくことが日常でした。

そんな生活の中で「NPO団体にキャンペーンの売上を寄付しよう」という話が身の回りで増えていきました。ですが、当時のアパレル業界がNPOを取り上げる理由は「社会貢献活動は最近の流行り」だからであり、PRツールとしてでした。その活動のために、という純粋な理由ではありませんでした。

私自身、アパレル業界に道具のように選ばれていたNPOに関しての知識は多くなかったため、「彼らがやっていることは素晴らしいことなのに、どうして私たちのもとへ届いてこないのだろう」と、違和感を覚えました。

ーー違和感から転職につながったきっかけは何だったのでしょう。

そのころ、2011年に東日本大震災も起こり、自身の結婚や出産も重なったことから、転職を考え始め、自分が広報力を活かせるのは、広報力を求めているのはNPOの業界なのではないか、とピンときたのです。

調べはじめて最初に見つけたのが、ジャパンハートでした。広報担当の募集は締め切っていたのですが、広報でもっとできるところがあると感じたため、最初は他の職種として面接してもらいながらも、広報として入職することになりました。結局、今では4年間広報担当を務めています。

現場で感じた無力さ

ーージャパンハートで働く原動力となっている経験はありますか?

仕事をはじめた当初は現場に行ったことがなかったので、仕事をしていてもなんだが雲をつかむようなところがありました。半年位たったころ、テレビ局の取材に同行して、ジャパンハートの活動地ミャンマー北部のミッチーナという紛争地域に行ったのです。

初めて私が訪れた現場は、側を流れる川の向こうでは紛争が行われ、弾の音が聞こえる、そんな場所でした。国内紛争で住まいを追われた難民の人たちが沢山いました。「一日に200人の患者さんが詰めかける」というのは日本にいるころから情報として知ってはいましたが、実際に沢山の親子が何日もかけてやってくるのを見て、圧倒されました。

そこは言葉を超えた「野戦病院」で、人で溢れかえった蒸し風呂のような空間の中で「私はいつ見てもらえるの?」「この子はいつ見てもらえるの?」と。「外で待っていていいですよ」と言っても、「いつ呼ばれるかわからないもの」と返事が返ってくるのです。本当に医療を欲している人がこれだけいるのだということを感じました。

そして、目の前で医師たちが必死になって、どんどん、どんどんと、たくさんの患者さんを診察し、手術をしていました。看護師は手術後の患者さんを診ていて、熱が出たり、管が外れたりと、多くの患者さんを相手に昼夜なく必死に対応していました。私は医療者ではないので、その光景を目にして大変な無力さを感じたのです。

日本に帰ってからもその無力さは忘れられませんでした。現場はやはり戦場でした。

この経験があったからこそ、「私は私の方法で患者さんを救いたい」と改めて思い、現場で必死に活動している多くのスタッフを誇りに、自信を持ってジャパンハートの広報を続けられています。もちろんその後何度も現場に行く機会をいただきましたが、やはり最初の経験は、強烈でした。

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ーーその経験が今のお仕事につながっているのですね。現在のお仕事で特に力を入れているのはどういったことですか?

途上国の現場のニーズに最大限応えたい、というジャパンハートの姿勢は変わりませんが、私はそれに加えて、日本国内で支えてくださっている方々へ「もっと伝わる広報」をしていきたいと考えています。ジャパンハートは、ありがたいことに、これまでに何度かテレビに取り上げて頂いたこともあって、大変多くの皆様に知って頂き、応援をしてもらっています。

それにもかかわらず、ジャパンハートの活動報告や感謝の気持ちを直接伝えることができる機会があまり設けられていませんでした。そのため、全国のご支援いただいている皆様にお会いするために、ラウンジという機会を増やしている最中です。

相互に幸せになれる世界へ

ーー今後の関口さん個人の将来のビジョンというのはありますか?

自分が満足する生き方を自分で選びたいと思っています。例えば、母親になってからは、子供に依存している自分を少し感じます。今は、小学校低学年の子供のサッカーの試合があり、大興奮で応援するのが楽しみなのですが、予定が変わり、急に一人の休日があったりすると「一体何をしよう…」と思ってしまう自分がいます。

今のはほんの一例でしたが、常に「立っている目的を持っている自分」でいたいと思っているのです。目的に向かって何かしている時の方が大変で、疲れたな、と思うこともありますが、やはり、楽しいです。生きている、という実感があります。これまでの多くの方との出会いがあって今があります。今自分が求めているのは何だろう、と探し続けるアンテナを大切にしたいです。

また、東京の下町生まれというのもありますが、コミュニティを大事にしたいという思いがあります。存在を認識しあう存在が周りにいることは大きいと感じています。そんな社会がもっと広がっていってくれたらいいな、自分がそのうちのひとつを担っていきたいなと思っています。

ーー今回のプロジェクトへの思いを教えてください!

私たちは、ミャンマーもラオスも、そして日本も、相互に幸せになれることを目指しています。

まずはアジア地域に大きなハートが広がるような、そんなイメージです。ジャパンハートの関係者は、医療者も学生も、皆現地で得たことを日本で還元してくれています。

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また、現地の医学生や、患者さんも、現地でその経験を広げてくれています。こうして、どんどんハートが大きくなっていったらいいですよね。

仲間がもっともっと多くなれば、一人一人が広げられる力ももっと大きくなります。日本が高齢化社会になる中で、どうしたら高齢者の方が生き生きとしていられるかというのは日本の課題であり、ジャパンハートから広がった輪がそういった課題解決にもつながればいいなと思っています。

(インタビュー終わり)

『VOYAGE PROGRAM』での挑戦

『VOYAGE PROGRAM』は、国際最大規模のクラウドファンディングサービスを手がけるREADYFORが新たにはじめた国際協力活動応援プログラムであり、関口さんの所属しているジャパンハートは第2回参加団体に選出されました。

関口さんの所属するジャパンハートは「10万人が待つラオスの貧しい村へドクターカーで医療を届けたい!」というプロジェクトの成功に向け、現在活動資金を集めています。

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【VOYAGE特集2】必要なのは「実践」と「証言」。世論を動かす私たちのアクション――認定NPO法人世界の医療団 事務局長 畔柳奈緒さん https://eedu.jp/blog/2016/12/16/voyage2_kuroyanagi/ https://eedu.jp/blog/2016/12/16/voyage2_kuroyanagi/#respond Fri, 16 Dec 2016 02:47:02 +0000 https://eedu.jp/blog/?p=42252 「“難民”という名の人はいません」 難民という言葉でひとくくりにしてしまうと、問題の大きさや一人ひとりの背景にある人として大切なものが何も見えなくなってしまいます。彼らは昨日まで私たちと何一つ変わらない生活を過ごしていた […]

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「“難民”という名の人はいません」

難民という言葉でひとくくりにしてしまうと、問題の大きさや一人ひとりの背景にある人として大切なものが何も見えなくなってしまいます。彼らは昨日まで私たちと何一つ変わらない生活を過ごしていた、一人のひとなのです。

支援の現場で大切なことは、彼ら一人一人に向き合い、耳を傾けること。そしてそれを汲み取り、必要な支援を提供し、彼らの言葉を代弁すること。こう教えてくれたのは、国や人種にとらわれず、国境を越えて医療支援活動を行うインターナショナルNGO・世界の医療団の畔柳奈緒さん。

「医療支援」と「証言/アドボカシー」を使命にかかげ、事務局長として活躍される畔柳さん。これまでどんな困難があったのか。そして私たち、日本人にできる支援とは一体どんなことなのか。

畔柳さんの想い、そして素顔に迫ります。

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社会に貢献できる仕事を探して

ーー国際協力活動を始めたきっかけは何だったのですか?

きっかけは仕事を探しているときに、世界の医療団日本がフランス語の出来る人材を募集していたからです。偶然たどり着いたとも言えると思いますが、ただ、振り返ると来るべきして辿り着いたのかもしれません。

大学生ではフランス文学科に在籍し、歴史、特に労働運動を専攻しました。フランスに留学して1870年代の労働階級による権利を主張する運動について主に学びました。

フランスでは今も日常的にストがありますが、労働者の権利を主張するストもあれば、国際問題に意義を唱えたり、社会的な主張したりするために多くの人が道に出てデモ活動をします。“権利”とか“声を上げること”などは、過去の労働運動を学んだり、また現代のフランスで生きて身についてきたのだと思います。

2003年にアメリカ軍がイラクへ侵攻した時にもフランスに住んでいましたが、その阻止のために国際社会や、世論を動かそうと、市民たちが道へでて声を上げていましたが、私も友人らと一緒に加わったりしました。

その後、日本に帰国し、就職活動をするにあたって、フランス系の企業を見ている中に、世界の医療団を見つけて、どうせ働くなら社会に貢献したい、と思い応募しました。そこから今に至ります。それまで国際協力や社会的な活動には関心はありましたが、プロフェッショナルとしての経験はなかったので、飛び込んでみようという思いはありました。

ーー世界の医療団で働くことについて家族からの反対はなかったのですか?

私の場合は全くなかったです。むしろ応援してもらっています。

今でこそ事務局長という立場ですが、以前は支援現場に行くことも多かったです。バングラデシュ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、フィリピン、ベトナム、マダガスカルなど多くの国へ行きましたが、家族から行くなと言われることはありませんでした。

私より母の方が先にカンボジアへ行ったことがあったりとか、家族の中にも社会的な仕事に就いている者もいたりします。どちらかと言うとリベラルな家風ですし、反対などは全くなかったですね。

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国内外、どちらの問題からも目を逸らさずに

ーー世界の医療団の中で畔柳さんはどんな仕事をメインに行っているのですか?

私の仕事はまさに雑多で、本当に色々なことをしています。世界の医療団日本の事務局とその事業全般を支えていくのが仕事であり、新規事業の立ち上げに関わることもあれば、資金調達のチームと働くこともありますし、会計の書類に目を通して何らかの判断をすることもあります。

私は、世界の医療団の主役は基本的に医師、看護師、臨床心理士、翻訳などのノンメディカルも含めたボランティアだと思っていますので、彼らに能力を発揮してもらうために、より良く支える仕事をしていければと思っています。

団体として取り組むべき課題もたくさんあります。例えば今回のプロジェクトのように難民問題は深刻さを増しています。私たちにできることは、それが小さいことであっても、どんどんやっていかなくてはいけない状況です。

日本国内でも、東京ではホームレス支援を実施していますし、4月の熊本での地震の後は支援活動を展開しました。ニーズがあれば、支援するというのが私たちのスタンスです。もちろん、資源と能力の限りにおいてですが。

ーーインターナショナルNGOとして、ネットワークとして取り組むグローバルな課題と、日本の国内の支援がありますが、どういった関わり方をしているのでしょうか?

国外の難民へ対する支援と日本のホームレス支援、どちらに問題意識があるかという質問については「どちらも」です。どちらへの支援でも同じ課題を解決するために戦っているからです。そこに、私の中には大きな区別はないです。逆に、国や枠にとらわれずに活動できるからこそ、この団体が好きだというのもあるかもしれません。

特定の宗教の信仰者しか支援しない、子ども以外は断る、この国民は助け、こちらは支援できないとか、そのような方針には相応の理由があるとも思いますが、私はおそらく満足できないと思います。「どうしてこのおじさんはダメなの?」って思ってしまうと思います。

様々な理由から具体的な支援ができないことがあっても、少なくとも目をそらしたりせずに、ここ日本でも問題があること、シリアが遠いからといって関係ないと言わないこと、全部同じ時代を生きている今の、私たちの問題、課題なのだと思います。日本のホームレスをめぐる問題と、シリア難民の問題の、どちらかだけを選ぶことはなく、同じ敬意と熱量をかけて活動に関われるのが世界の医療団の特徴でもあると思います。

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いくつもの困難と感動を超えて

ーー団体の活動の中で一番大変だったことは何ですか?

大変だったことは言い切れないほどいろいろありますね(笑)。

海外派遣の数日前に航空券の予約のスペルが旅行会社の手違いで誤っていたことが分かり、あわや数ヶ月準備してきたミッションにボランティアが派遣できない、とか。これは、もちろん無理矢理にでも買い換えてもらい事なきを得ました。また、NGOであっても組織を運営するためには健全な財政状況を保たなければならないので、キャッシュフローには慎重にもなります。

そういった日常的なことはたくさんありますが、一番タフだったのは2008~09年に、派遣していた医師が活動地で誘拐され、3ヶ月以上拘束されたことです。109日後に無事に解放されたのですが、その間は本当に大変でした。

ーー逆に、活動をしていて、一番うれしかったことは何でしょうか?

それもいろいろありますね(笑)。一番は支援の対象者さんでもスタッフでも「やりたいことを実現し、なりたい自分になれた」という姿を見られるのが嬉しいです。

例えば、スマイル作戦という短期の形成外科のプロジェクトがあります。私も良く同行したプロジェクトですが、1週間、10日などでミッションが終るので、手術が成功したとしても、その後、患者さんたちがどんな生活を送っているか知ることが中々難しいんですが、バングラデシュで質的評価のために手術を受けた患者の生活の場所を訪問したことがありました。

元気に学校に通っていたり、近所の子どもたちとはじけるような笑顔で遊んでいたりする姿、また、周囲で喜んでいる家族の様子や母親からの話を聞くと本当に嬉しく思います。

何もかも足りていない難民キャンプの現実

ーーシリア難民の問題・支援活動について教えてください。

私が訪問したフランス北部の町カレーの難民キャンプでは、満足な治療を受けられないまま劣悪な環境に住まい続けている難民の方が多くいらっしゃいました。緊急を要する場合は救急車を呼び、搬送することはできますが、その後、その方が必要な医療を継続して受けられるかというと、分かりません。状況や条件により出来ないこともあると聞いています。

キャンプの中ではほかの団体とも協力して活動しています。私たちはアウトリーチ、パートナーはクリニックの運営などです。私たちのアウトリーチチームはほぼ毎日、広いキャンプの中をいくつかのチームがテントを回ったり、また前日までの活動や情報収集から、気になる患者を訪問したりしています。

こうして人々の中をいくと、キャンプの難民の方々に対して情報が行き届いておらず、実はクリニックがあることを知らない方が多いことに驚かされました。足をくじいた方とか、風邪をひいている方とか、行けば医療を受けられるのに、知らない。もどかしさも感じました。

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キャンプには支援を求める難民がたくさんいます

キャンプにいる皆さん、祖国を離れてきて、先行きの見えない不安で、不満もストレスもかなり溜まっています。小競り合いは決して珍しいことではなく、活動をする上ではチームの安全面にも大きな配慮が必要です。

また、言語の面でも苦労があります。難民キャンプにはシリアなどの中東だけでなく、アフガニスタン、アフリカから来た方々がいました。英語はあまり通じませんし、通訳を連れて行くにも言語が限定できない。その都度、周囲の方々から英語を介すその言語の話者を探します。コミュニケーション1つとっても大変です。このように、医療を提供する以前に改善すべき課題も山積しています。

何もかも足りていない、と感じました。このような状況が欧州の各地で起きています。世界の医療団では今お話したフランスだけではなく、ギリシャ、ベルギー、イギリスなどでもそれぞれの事務局ができる支援を提供しています。

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シリア難民は今も数千キロにおよぶ命がけの移動を余儀なくされています

ーー「医療支援」と「証言/アドボカシー」を使命として掲げている、世界の医療団が担うべき役割とはなんでしょうか?

「医療支援」と「証言/アドボカシー」は、分けて考えられがちですが、その双方を果たしていくことこそ大切という思いで私たちは活動していきます。

私たちは、先にも言いましたが、様々な医療に関わる課題に取り組んでいます。シリア難民、日本社会におけるホームレス支援、震災支援もあります。それらの課題について、ただ支援を行うだけではなく、私たちが実践者として関わりながら、彼らのおかれた状況を語ることも重要だと考えています。

今、グローバルでは15カ国に事務局があり、80以上の国で400近くのプロジェクトを実践しています。こうした背景を持つ私たちだからこそ見え、だからこそ日本で伝えなくてはならない義務を負っているとも考えています。

“難民”という名前の人などいない

ーークラウドファンディングへの意気込みをお聞かせください。

私が出会った“難民”となってしまった彼らは、本当に普通の人たちでした。爆撃を受けて故郷を去った、でも、私たちと何も変わらない普通の人たちです。そうした人たちが何千キロもの距離を移動し、色々な場所に身を寄せています。これからの冬は本当に厳しいです。泥だらけの毛布をかぶり、ぬかるんだ土の上で何か月も過ごしています。

“難民”と聞くと、自動的に、“難民ではない私たちとは違う”という思いが生まれるような気がします。それは確かです。私たちは国を逃れ、帰る当てのない環境にはいません。ただ、それは状況の違いに過ぎず、一人の人として自分の人生を一所懸命生きていることに変わりはあません。“難民”という名前の人などいないのです。

普通に生きてきた私たちとなにも変わらない市民が何百万人も凄惨な暴力により、家を捨て、故郷を去ることを余儀なくされています。これが今の難民のお話です。

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400万人以上の難民が行き場をなくし、適切な支援を受けられずにいます

私たちは支援を担う組織であり、できる限り適切な医療を提供するように努め、同時にこの現実を多くの日本の方へ伝えていく必要があると思っています。

ここまで記事を読んで頂き、シリアから逃れた人々が抱える困難な毎日に更に関心を寄せて頂けたら、私たちの活動にも意味があることだと思います。

また、誰にでも「あなたにしかできないこと」があります。ボランティアとして活動に参加すること、あなたの関心事としてこのことを周りの方とお話をしていただくこと、そして、寄付も支援活動への参加の方法です。今回のREADYFORのプロジェクトについても、是非、一度見ていただいて、応援いただきたいです。

(インタビュー終わり)

『VOYAGE PROGRAM』での挑戦

『VOYAGE PROGRAM』は、国際最大規模のクラウドファンディングサービスを手がけるREADYFORが新たにはじめた国際協力活動応援プログラムであり、世界の医療団は第2回参加団体に選出されました。

畔柳さんたちは「命がけで海を渡るシリア難民400万人を医療のリレーで救いたい!」というプロジェクトの成功に向け、現在活動資金を集めています。

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【VOYAGE特集2】日本では報道されない紛争の現実。南スーダンには、あなたのサポートを必要としている人がいます——特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン 千田愛子さん https://eedu.jp/blog/2016/12/14/voyage2_senda/ https://eedu.jp/blog/2016/12/14/voyage2_senda/#respond Wed, 14 Dec 2016 06:49:07 +0000 https://eedu.jp/blog/?p=42231 「自衛隊」「PKO」「駆けつけ警護」 日本人には馴染みのない言葉でメディアでも放送され続けている国、南スーダン。日本にいると、現地に派遣されている日本人のことが語られがちですが、そこには紛争下で生活をしているたくさんの人 […]

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「自衛隊」「PKO」「駆けつけ警護」

日本人には馴染みのない言葉でメディアでも放送され続けている国、南スーダン。日本にいると、現地に派遣されている日本人のことが語られがちですが、そこには紛争下で生活をしているたくさんの人々がいることを忘れてはいけません。

今回は、そんな南スーダンで活動をしている、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパンの千田愛子さんにお話を伺いました。

千田さんの挑戦、そして素顔に迫ります。

(聞き手:田才諒哉)

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様々な過去が、今の自分へ

ーーまずはじめに、千田さんが国際協力を始めたきっかけについて教えてください。

明確なきっかけがあったわけではないのですが、これまでの様々な経験が今につながっているのだと思います。

小学生のときにガールスカウトに参加しており、そこでユニセフ募金の活動をしたり、父の転勤でベトナムでインターナショナルスクールに通いながらボランティア活動をしたことを今でも覚えています。そこから大学では国際政治学を学び、国際協力に徐々に感心を持つようになっていきました。

新卒では一般の民間企業に就職したのですが、その後NGOでのインターンや一般社団法人での勤務を経て、2015年よりワールド・ビジョン・ジャパンに入団しました。

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ーー現職では、南スーダンの支援をメインで活動されているということですが、どのような活動を行っているのでしょうか?

前職の一般社団法人で働いていたときから、南スーダンで支援事業をしていました。ワールド・ビジョン・ジャパンでも、首都のジュバに定期的に訪れ、事業の進捗管理や予算管理などコーディネーターとしての仕事を行っています。

しかし、2016年7月、紛争の再発により南スーダンへ行くことができなくなりました。ですので、今はスカイプを使って現地と調整を行ったり、ケニアのナイロビまで南スーダンのスタッフに来てもらいミーティングを行うなどしています。

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南スーダンの両親を亡くした子どもたちのための施設にて

先の読めない今こそ、ニーズから目を逸らさずに

ーー南スーダンの現状については、日本でもメディアで放送されたりしていますが、そのことについて千田さんはどう思われていますか?

日本では、駆けつけ警護の話や自衛隊が継続して活動をしていいのかといった話題ばかりで、南スーダンの人たちの人道危機についてはあまり触れられていないように思います。

2011年に独立したばかりの南スーダンは、これまで平和構築や国づくりに向けて前向きに動いてきているところでした。それが、2013年12月に紛争が再発し、希望を持ち始めた国民がまた紛争下に巻き込まれるというのは、とても心苦しく、また世界で一番新しい国でこれからというときに情勢が悪化したことが本当にショックでした。

これから南スーダンがどうなるのか、まだ先が読めない状況です。しかし私たちは、緊急支援だけでなく、紛争下とはいえ地域によってそのニーズも異なっているので、各地域のニーズをしっかり把握しながら、適切な支援活動を継続していきたいと思っています。そのためには、日本の皆様からのご支援が必要なのです。

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南スーダンでは、まさに今も深刻な状況が続いています

まずは知ってもらうことから

ーー今回挑戦中のクラウドファンディングにかける意気込みを教えてください。

もちろん南スーダンへの支援のために資金調達をしたいことはそうなのですが、それだけでなく、この問題を多くの人に知っていただきたいと思っています。

南スーダンの人道危機でさえなかなか伝えられていませんが、実は南スーダンにはコンゴなどの隣国から入ってきた難民がいます。なぜわざわざ危険な地域だと思われている南スーダンに避難してくるのか、と思うかもしれませんが、彼ら・彼女らも自国の武装勢力から逃れたいというような様々な事情を持っています。

そうした人々がいることを知ってほしいですし、命の危険を感じて逃げてきた人たちを見過ごすことはできません。

実は入団前のインターン時代に、ファンドレイジングのキャンペーンスタッフとして、街頭キャンペーンでNGOへの支援を依頼する仕事をしていたことがあります。そのとき、問題について知らなかった人が私の話を聞いて興味を持ち、支援の必要性を理解してくださる、そして支援に参加してくださる。そしてそんな方々との出会いが日々あることに喜びがありました。

まずは知ることから。そして行動に起こしてもらえる場所として、今回のクラウドファンディングのような「寄付」という形があると思っているので、ぜひ多くの人にまずは問題を知っていただき、そして何か具体的なアクションを起こしてくださったら嬉しいなと思います。

(インタビュー終わり)

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『VOYAGE PROGRAM』での挑戦

『VOYAGE PROGRAM』は、国際最大規模のクラウドファンディングサービスを手がけるREADYFORが新たにはじめた国際協力活動応援プログラムであり、アライアンス・フォーラム財団は第2回参加団体に選出されました。

千田さんたちは「あなたもサンタに!南スーダンにいる9,000人の難民の命を守ろう」というプロジェクトの成功に向け、現在活動資金を集めています。

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【VOYAGE特集2】母親になって分かったケニアのママたちの気持ち。彼女たち親子の明るい未来を目指して――エイズ孤児支援NGO PLAS代表 門田瑠衣子さん https://eedu.jp/blog/2016/12/09/voyage2_monda/ https://eedu.jp/blog/2016/12/09/voyage2_monda/#respond Fri, 09 Dec 2016 08:20:11 +0000 https://eedu.jp/blog/?p=41994 「すべての人が、自分の存在の尊さに気付ける世界へ」 優しい笑顔で描く未来を語ってくれたのはエイズ孤児支援NGO PLAS代表の門田瑠衣子さん。 世界には様々な理由から心の中に課題を抱える人が数多くおり、エイズ孤児も例外で […]

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「すべての人が、自分の存在の尊さに気付ける世界へ」

優しい笑顔で描く未来を語ってくれたのはエイズ孤児支援NGO PLAS代表の門田瑠衣子さん。

世界には様々な理由から心の中に課題を抱える人が数多くおり、エイズ孤児も例外ではありません。エイズ孤児とは「片親ないし両親をエイズで失った18歳未満の子ども」をさし、現時点で全世界に1780万人いると言われています。

彼らは患者自身に焦点が当たるエイズ支援の陰で、親をなくし、差別を受ける中で、自分を責め、生きる意味さえ見出せなくなってしまいます。そんな彼らが誇りをもって生きていける未来を守るために11年間活動を続けてきた門田さん。

これまでどのような困難を乗り越え、どのような想いを胸に活動を続けていくのか。

門田さんの挑戦、そして素顔に迫ります。

 (聞き手:大竹浩貴)

 

アフリカの子どもたちが未来を切り開ける社会へ

ーーまず、門田さんが代表を務めるエイズ孤児支援NGO・PLASについて教えてください

私たちは「HIV/エイズによって影響を受ける子どもたちが未来を切り拓ける社会を実現する。」をミッションとしています。エイズ孤児の可能性を広げるための教育支援活動、HIV/エイズの理解を深めることで差別解消やエイズ孤児の増加を抑えるためのエイズ啓蒙活動の二つを軸として活動を続けてきました。また、地域と共に活動していくこと、あげる支援だけではなく、彼らが自立できるようにつくる支援を行うことを大切にし、現地リーダーの育成やスモールビジネス支援活動にも力を入れてきました。

ーー「地域・自立」を大切にしているんですね。

そうですね。日本とアフリカということでどうしても物理的に距離は離れてしまい、現地にいる時間は限られてしまいます。

しかし、そこにはメリットもあります。最初の2〜3年は私が現地に付きっきりでプロジェクトを回していたのですが、次第に私が現地にいない時でも彼ら自身で動いてくれるようになり、現地主体の体制がスムーズに出来上がったと思います。

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ケニアで出会った赤ちゃんたち

ーーそんな門田さんが国際協力に興味を持つようになったきっかけは何ですか。

最初に国際協力に興味を持ったのは、大学2年生の時にフィリピンについて授業で学んだことがきっかけでした。自分には関係ないと思っていた途上国の貧困が私たちの生活と隣り合わせであることに気付き、衝撃を受けたんです。

その時から積極的に海外ボランティアに参加するようになりました。今のNGO・PLASの活動の原点になっているのは大学院2年生夏、ケニアに渡航した際に一つのベッドに隔離されるように並べられた赤ちゃんたちに出会った時でした。

「彼らの親は、エイズで亡くなってしまってね。ここで保護してるんだ」

初めて、エイズ孤児を目の当たりにした瞬間でした。彼らのために「何か」しなければと強く思い、帰国直後、同じ思いを持った仲間たちと共にエイズ孤児支援NGO PLASを立ち上げました。

ーー「何か」しなければという想いを持ちつつも、実行に移せない学生もたくさんいると思います。門田さんにはその当時、計画や当てのようなものはあったのですか?

正直、なかったですね。

資金も知識も事業計画もない学生7人で情熱だけで立ち上げたので、相当苦労しました。NGO・PLAS初のプロジェクトはウガンダでの小学校建設だったのですが、最初は全くうまくいかず、本当に苦しかったです。11年間を振り替えってみてもあの時が一番辛かったですね。

でも、あの時、くじけず真摯に現地の人たちと向き合い、一緒に壁を乗り越えられたことは自分の中でとても大きな糧となりました。また、あの時得た教訓は今でも団体の核の価値観として残っていると感じています。

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夢中で走り抜けた11年間

ーー団体設立時の想いやきっかけについて紹介されることの多い門田さんですが、設立からの11年間、長い道のりだったと思います。頑張り続けることが出来たエンジンの原点のようなものはあったのでしょうか。

正直な感想を言ってしまうと、11年間はあっという間だったなと思います。もともと、気付いてしまった問題をほっておけないという性格もあり、目の前にあるエイズ孤児という問題を改善することにひたすら必死でしたね。

あえて原点をあげるとすれば、現地の人たちの前向きな姿勢に支えられてきました。辛い環境にいるはずの彼らが、問題改善に一生懸命取り組む姿をみて、自分もくじけてはいられないなと勇気づけられました。

もう一つは、母親になったということも大きかったかなと思います。母親として、仕事に復帰しアフリカに渡航したときに、エイズに苦しむ彼らの”母親”としての悩みに痛烈に共感したんです。

HIVシングルマザーとして、子どもを一人で育てていくことの不安さ。その愛する子どもを残して、自分がエイズで死んでしまうかもしれない恐怖。彼女たちにそんな辛い思いをしてほしくない。これも活動を続けるうえでの一つの大きなモチベーションでした。

全ての人に命の大切さを

ーーシングルマザーへの支援といえば、今回クラウドファンディングに挑戦する新プロジェクトの支援対象でもありますね。

はい。これまでは就学できないエイズ孤児を支援する活動を中心に行ってきました。しかし、近年、治療薬の普及や啓蒙活動の成果などにより状況は少しずつ改善されてきており、求められる支援も変化してきました。

つまり、入学はできても家庭の経済的理由から卒業することが困難な子どもが増加してきたんです。そのために、今回のクラウドファンディングの対象でもある新プロジェクトでは、HIV陽性シングルマザーが自ら稼いで子どもを学校に通わせられるように、自立できる仕組みづくりをケニア現地NPOと協同して行っていきます。

ーーエイズ孤児が学校に通い続けることが出来るよう、彼らの家庭にも支援の輪を広げていくということですね。

そうです。もちろん、HIV陽性シングルマザーだけでなくエイズ孤児やその親子への支援のための新プロジェクトも行っていきます。

彼らは、エイズ孤児として生きる中で様々な身体的、精神的ハラスメントを受け、心に課題を抱えています。「悪魔の子」と罵られ、虐待を受けることだってあります。

「お父さん、お母さんは僕のせいで死んでしまったんだ」

そんな気持ちを抱えながら、でも誰も味方がいない、相談できない。そんな自己肯定感の低さから「どうせ僕なんて」と頑張ること自体をあきらめてしまう子どもがとても多いんです。

私たちは、彼らの頑張る気持ちを支えるために実績のある現地NPOと、彼らの想い、そして、お母さんたちの不安や悩みも受け止めるカウンセリング活動をもう一つの新プロジェクトとして行っていきます。

エイズ孤児もシングルマザーもすべての人が平等に、自分の命の大切さをかみしめながら生きることのできる未来を創るために、私は活動を続けていきたいと思っています。

ーー最後に10年後の団体、そして門田さん自身のビジョンを教えてください。

団体としては、これまで行ってきた活動、そしてこれから行う活動をケニアやウガンダだけでなくより多くの国、地域に広げていければいいなと考えています。

私自身としては、正直、明確なビジョンのようなものはあえて持たないようにしています。

これまで夢中にやってきた活動と同じように、目の前にある解決しなければいけない課題に対して全力で取り組んでいければいいなと思っています。

(インタビュー終了)

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『VOYAGE Program』での挑戦

『VOYAGE PROGRAM』は、国際最大規模のクラウドファンディングサービスを手がけるREADYFORが行う国際協力活動応援プログラムであり、エイズ孤児支援NGO・PLASは第二回参加団体に選出されました。

門田さんたちは「エイズによる貧困の連鎖からの脱却へ。ケニアのママを支えたい!」というプロジェクトの成功に向け、現在活動資金を集めています。

応援したい方・関心のある方はぜひNGO PLASプロジェクページをご覧ください!

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【VOYAGE特集2】「世界は無限の可能性で溢れている」そんな思いでいっぱいの社会を作りたいーーNPO法人 e-Education 古波津大地さん https://eedu.jp/blog/2016/12/08/voyage2_kohatsu/ https://eedu.jp/blog/2016/12/08/voyage2_kohatsu/#respond Thu, 08 Dec 2016 00:00:00 +0000 https://eedu.jp/blog/?p=42182 「誰もが将来の可能性をあきらめないで未来へ進める、そんな世界を作り上げていきたい」 カンボジアで出会った物売りの少女に出会い、自分の作り上げたい世界がわかったと語る古波津大地さん。大手総合商社を退職して、「最高の授業を世 […]

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「誰もが将来の可能性をあきらめないで未来へ進める、そんな世界を作り上げていきたい」

カンボジアで出会った物売りの少女に出会い、自分の作り上げたい世界がわかったと語る古波津大地さん。大手総合商社を退職して、「最高の授業を世界の果てまで届けよう!」というミッションを掲げるe-Educationに参画した理由を伺いました。

「あの時不合格になってよかったなあ」

一度採用選考で落ちたにも関わらず、もう一度挑戦して採用を勝ち取った古波津さん。いったい何が彼を突き動かし、現在どんなことに取り組んでいるのか?

過去から今、今から未来へと繋がる古波津さんの挑戦、そして素顔に迫ります。

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初めての途上国、そこで出会った女の子

ーー古波津さんはもともと海外出張の多い企業で働いていたと伺ったのですが、昔から海外に興味があったのでしょうか?

高校時代から英語が大好きでした。新しい表現を覚えるたびに自分の知らない世界が広がった気がして、沖縄の外に広がる世界へ憧ればかり強まっていきました。あ、僕沖縄出身なんです(笑)

高校3年生でカナダに留学した経験や、大学時代に英語ディベートを通じて国内外の大会に参加した経験から、物事の側面を多用な視点で捉えることの大切さと、異文化理解の面白さを感じました。

そして世界のいろんな人と仕事がしたいと思って商社に就職し、中国やシンガポールなど海外を飛び回りました。でもある時、壁にぶつかったんです。

「これって、本当に自分がイメージしていた仕事のやりがいなんだろうか」

現状を変えたいと次第に思うようになり、長期休暇を利用して途上国に行くことを決めました。

ーー社会人になってから途上国に行ったんですね。どんな経験をされたのですか?

社会人2年目の夏にバックパックで初めてベトナムとカンボジアに行きました。特に印象的だったのが、カンボジアで出会った女の子。僕を見つけると日本語で「こんにちは!」と話しかけてきました。中国人には中国語、欧米人には英語を使って、物を売っていたんです。

驚く僕に、「あなた英語も話せるのね!学校の先生なの?」と目を輝かせていました。学校に行けなくても、学びの機会を欲しているのが一目でわかりました。

「何かできることはないだろうか」と考え、彼女に少しの間英語と日本語のレッスンをすることを決めました。ただの自己満足かもしれないけど、彼女が嬉しそうに学んだばかりの言葉を復唱している姿は今でも忘れられません。学校へ通えること、友達を作ること、将来どのような職業に就くか選ぶこと。今まで当たり前に感じていたことがどれだけ特別なことだったか、その大切さに気づきました。

一人でも多くの「学びたい思い」を無駄にしたくない。誰もが将来の可能性をあきらめないで未来へ進める、そんな世界を作り上げていきたいと決心しました。

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不合格の悔しさを乗り越えて

ーー古波津さんは一般企業を辞めてNPOに転職しようと思うまで、どんな気持ちの変化があったのですか?

カンボジアから帰国した後も、何かできないかっていう思いでもやもやしていました。翌年の夏にはもっと実践的な経験をしようと思い、バングラデシュのグラミン銀行のスタディツアーに行きました。

実際にグラミン銀行が融資をしている人たちの村に行って、村の人からグラミン銀行の支援があることによってどういう風に生活が変化しているかを聞くことができました。

社会的な取り組みをしている組織が地域コミュニティにもたらすインパクトを肌で感じることができて、そういうものに自分が関わっていくことが何かの方法でないかなっていうのを模索し始めた社会人三年目でした。

その冬に初めてe-Educationのイベントに参加したんです。強い思いを持った人たちが各国で苦闘しながらも、少しずつ世界に変化を生み出していっていることに、心が熱くなりました。

特に創業者の税所篤快と僕は同い年なので、親近感もありました。カンボジアで会った女の子に教育を届けられたら、ともやもやしていたものを、この人たちは各国で実現しようとしていること、教育をあきらめてしまう子たちに対して手を差し伸べようとしているこのこの活動を、すごく応援したいと思いました。そこからマンスリーサポーターになったんですけど(笑)

ーーマンスリーサポーターからe-Educationに関わっていたんですね(笑)そのあと職員になったのですか?

それが社会人三年目の冬で、二月に職員募集があったんです。それに応募したんですけど、一度目の応募は不合格でした。

いろんなものが足りなかったんです。途上国でプロジェクトをやった経験もなければ、教育をやってきたわけでもないし、映像制作の経験があるわけでもない。ベトナムやカンボジア、バングラデシュに行ったけれどそれぞれ1週間の経験でしたし。自分は団体にこういう風に貢献できるっていうのがないまま応募してしまったので、その不合格をきっかけに、自分ができることを増やしていこうと思ったんです。

本を読んだり、イベントや講演会に行ったり、准認定ファンドレイザーの資格を取ったりしました。そしてその後二度目の職員募集で合格することができました。一回目の不合格は、自分が足りてない力をまざまざと見せつけられた機会でした。その悔しさがなかったら、あそこまでにはならなかったかな。あの時不合格になってよかったなあ(笑)

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夢を持つ子どもたちを応援したい

ーー現在のプロジェクトについて教えてください。

今回のプロジェクトエリアであるミャンマーのパレワという地域は電力がほとんど届いていなくて、一日に一時間くらいしか電気が使えません。そこに、電力とe-Educationの映像教育を届けて、子どもたちの可能性をきりひらいていきたいと思いました。

その中でソーラーパネルを選んだ理由は、前職の商社で3年以上太陽光の事業に関わっていたからです。商社で働いていたときから、途上国を見ていたので電気がない地域に住んでいる人たちの生活を向上できるような事業を運営したいと思っていました。会社でも提案をしたんですけど、営利企業なので、利益の見込みがない途上国での事業になかなか乗り出せず、実現できずに悔しい思いがずっとありました。

今回このプロジェクトを始める時に、パレワという地域は電力が乏しく人々の生活も厳しいことを知って、当時の悔しい思いをここで果たしたいと思いました。太陽光パネルで電力を提供して、その電力を使って映像教育で子どもたちが良質な教育にアクセスできるようにして、その子どもたちがコミュニティのリーダーになるというサイクルを作りたいなと思っています。

パレワでは、高校卒業試験の合格率が3%しかありません。ここにいる子どもにとって試験に合格することは奇跡に近いんです。親も合格することを望んでいない、というか学校に行けていればいいか、くらいしか思えていない。それは、親たちも高校卒業試験に合格をして、その後大学に行って教育を受けて、いろんな学びの中から自分の興味のある将来の仕事を選んだり、大学に行って出会った人と生まれるつながりで将来の夢を描いていくっていう機会を持ってこなかったから、それを実現したことによるメリットを親自身が感じていないんです。

子どもたちは合格するために、本当に朝早くから夜遅くまで勉強しているけれど、勉強の仕方がわからないので効率が悪かったり、先生の数も十分ではなくて、専門外の科目を教えなければいけないので教育の質は低いです。

ミャンマーの高校卒業試験は6科目あって、それぞれで40点以上とらないと不合格になってしまいます。6科目の専門の先生が必要なのに、学校に先生が二人しかいなかったりして、英語の先生が化学を教えたり数学の先生がミャンマー語教えたりという状況です。こういう状況を、みんなが当たり前のようにきちんと教育を受けて夢を描いて実現できるように、映像教育の力で変えていきたいです。

良かったらぜひ応援よろしくお願いいたします!

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『VOYAGE PROGRAM』での挑戦

『VOYAGE PROGRAM』は、国際最大規模のクラウドファンディングサービスを手がけるREADYFORが新たにはじめた国際協力活動応援プログラムであり、e-Educationは第2回参加団体に選出されました。

e-Educationは「映像で灯す未来、ミャンマーの秘境へ『最高の教育』を届けたい!」というプロジェクトの成功に向け、現在活動資金を集めています。

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【VOYAGE特集2】「この仕事をあと10年続けられるのか?」私が民間企業からNPOへ転職した理由ーーシャプラニール=市民による海外協力の会 藤﨑文子さん https://eedu.jp/blog/2016/12/05/voyage2_fujisaki/ https://eedu.jp/blog/2016/12/05/voyage2_fujisaki/#respond Mon, 05 Dec 2016 08:31:03 +0000 https://eedu.jp/blog/?p=42178 「自分がこの仕事を今後5年、10年続けている姿を想像してみたんですが、それが難しかったんです」 こう語るのはシャプラニールで働く藤﨑文子さん。自動車会社で勤務された後、国際協力の最前線で活躍するNPOへ転職することを決意 […]

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「自分がこの仕事を今後5年、10年続けている姿を想像してみたんですが、それが難しかったんです」

こう語るのはシャプラニールで働く藤﨑文子さん。自動車会社で勤務された後、国際協力の最前線で活躍するNPOへ転職することを決意した理由を伺いました。

転職して以来、20年近くにわたって途上国を舞台に活躍されてきた藤崎さんは、一体何を思って働き方を変え、今どんな想いを持って仕事をしているのか。

藤崎さんの決断、そして素顔に迫ります。

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国を超えた、確かな繋がりを求めて

ーー藤﨑さんが、国際協力に携わろうと思ったきっかけと、シャプラニールでの活動を始めたきっかけを教えてください。

私は、社会人になった時に自動車会社でアジア市場を担当する仕事に就きました。もともとアジア好きで学生時代に旅行して、世界を見ていくなかで、「自分の置かれている立場が非常に恵まれているものだ」と改めて気付くことが多くありました。そこで、まずは「社会がどういう風に動いているのか、仕組みを知りたい!」と考え、企業に就職しました。

しかし、就職してから5年くらい経った頃、「自分がこの仕事を今後5年、10年続けている姿を想像できるか?」と思ったときに、非常にそれが難しく、想像することができませんでした。当時は、それなりに仕事も任せてもらえていた分、やりがいもあり、将来的には海外駐在もあったかもしれません。世界の環境問題などを考えた時に「このまま働き続けていいのか?」とも考えるようになりました。

特に新車は、途上国の中でも数パーセントの人しか持てない贅沢品で、「旅行で訪れた国々でたくさんの親切を受けたアジアの人たちと繋がっているという実感が持てない」と思うようになりました。その後、自分が興味を持っていたNGO職員としての仕事がしたい!と思い就職活動を始めました。その中で、たまたまシャプラ二―ルの求人募集を見つけて「ここだったら良いかもしれない」と応募したのが、シャプラニールに出会ったきっかけです。ですので、実はそんなにリサーチをして入ったわけではないです(笑)

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ーーもともとアジアへ旅行に行くのが好きと仰っていましたが、学生時代にアジア旅行をして、忘れられない出来事がありましたらお教えください。

インドのレストランでスプーンを落としてしまったときに「すみません、代わりのスプーンを下さい!」と言っても誰にも気付いてもらえなくて、その辺の掃除をしていた男の子に、「ちょっと、スプーン取って!」と言ったら無視をされたことがありました。しばらくしたら、カウンターの人が気付いて取り替えてくれたのですが、思い返してみると、あの男の子は床の掃除はしていいけどテーブルの上のものは触ってはいけない!というカーストだったのか、本当に下働きの男の子だったのかもしれない…、と思いました。

たとえ、あの男の子がどんなに気の利く、優秀な子どもだったとしても、「将来自分の好きな仕事に就けないのかもしれない」と思ったときに、当時学生だった私も、お金がなくて貧乏旅行をしていたのですが「少なくとも選択肢を持っている自分がどれだけ恵まれているのか」、ひしと感じるようになりました。シャプラ二―ルの「すべての人々がもつ豊かな可能性が開花する社会の実現」というビジョンは、このとき私が感じた出来事と繋がっているんだなと思っています。

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旅行で感じたヒントが、今の仕事に繋がっている

途上国の子どもたちには、きっと敵わない

ーーシャプラ二―ルで活動を始めたことで、見えたことや変わったことはありますか?

私はシャプラ二―ルで5年くらいフェアトレード部門の仕事をしてからバングラデシュに駐在しました。ストリートチルドレン支援事業を担当するようになり、ダッカ市内のパートナー団体が運営するセンターや青空教室の子どもたちとの出会いは私にとって凄く刺激的でした。その中で、一番強く残っている出来事が、駐在してから半年くらい経った頃のことです。

バングラデシュには1週間くらいのイスラム教の休みがあり、日本のお正月のようにバングラデシュの人たちの多くは帰省します。駐在員は国外に出てしまうことが多く、そのお休みの直前に子どもたちと遊んでいた時、こう聞かれました。ある男の子に「ねぇねぇ、お休みはどうするの?」と。

しかし、当時私は入国した時のビザから滞在のビザに切り替えるのに時間がかかっていた影響で出国ができなかったため、「たぶん私は、ここにいないといけないから、日本には帰れないの。」と返すと、その男の子はびっくりした顔で私を見上げました。「かわいそうだね…家族に会えないの?」と、彼に言われました。

自身が親や兄弟と離れて路上生活をしている子どもにそう言われたことに驚きました。「なんて人間はここまで人に優しくなれるのだろう…?」と人間の心の広さみたいなものを強く感じました。それは決して勉強してできるものではなく、既に中に持っているものだと理解した時に「ああ、この子どもたちに敵わないな…。」という感情が私の中に芽生えました。

誰にでもそういうポテンシャルはあるはずなので、私たちが「何かしてあげている」必要はなく、彼らに舞台を用意することだけでいいのかもしれないと思いました。今、私たちが支援しているバングラデシュの女の子たちも、10歳くらいで学校も行かずに親元を離れて働いているけれども、ものすごく思いやりがあるということが私にとっては大きな希望です。今の仕事は、きっとそこからエネルギーを感じているのだと思います。

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貧しくても、逞しく、そして優しく生きるバングラデシュの子どもたち

新しい常識を作る、という仕事

ーー「子どもたちに教育を受けさせることが大事」ということを伝える、活動の難しさを感じることもたくさんあったことと思います。そうしたなかで、これまで取り組んできて感じた彼女たちの成長をお教えください。

家事使用人の問題というのは、バングラデシュの人にとっては「問題じゃない・あたりまえ」と思っている人が多いのが現状です。雇用主は子どもを働かせているという感覚はなく、むしろ「この子は田舎に居たら食べることもなかなかできないし、着る物もない。それよりは、少なくとも3食と着る物を年に何回か買ってあげているから自分は良いことをしている」と思っている方が多いです。

そもそも、社会問題として認識されていなかったことを「これは問題です!」「これは子どもが働いていて、本来学校に行くべきところを、権利を剥奪された状態にあるので問題です!」という認識を持ってもらうこと自体がまだ非常に難しいのです。悪いと思っている人たちのほうが意識を変えやすいと思っています。一人一人の生活を変えるために、個別に取り組んでいって、勉強するチャンスやお友達と話せる時間を持たせることはそんなに難しくないはずです。私は、それを大きな社会的な常識にしていくというところは非常に大きなチャレンジになると思っています。

それと、今回のクラウドファンディングではあまりフィーチャーしていないのですが、私たちは2、3年前からアドボカシー活動も行なうようになりました。特に、去年始めたコミュニティラジオと提携して、私たちから情報を提供して番組を作ってもらう取り組みもはじめています。今年の1月~3月にかけて3ヶ所のラジオ局で前半ディスカッション、後半ドラマという構成で「働く女の子たちがどんな思いをしているのか」ということを、特別番組を通して伝えています。現地では、良かれと思って子どもを働きに出している親がほとんどなので、これを聴いたことで「自分の娘がそんなにつらい思いをしていることは知らなかった」「働きに出そうと思っていたけれど、もうやめます」と泣きながら言われます。

この取り組みでは、ものすごく手ごたえを感じています。これからも手法を変えながらメッセージを伝え続けていきたいです。

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これ以上ない幸せな仕事の、その先へ

ーー藤﨑さんが20年間活動を続けてきて良かったと思う側面とこれからの課題を教えてください。

国際協力は様々な関わり方がある中で、私たちはバングデシュにこだわって活動をしています。時々、自分が進歩しているか不安になる時もあるのですが、私たちのプロジェクトに関わった人たちの変化を見ることができるのは良いことだと思っています。例えば今はシャプラ二―ルは支援していませんが、2000年代に10年間支援したストリートチルドレン支援プロジェクトでは、今でも地元地域の方々がセンターが運営を継続しており、私たちがサポートした子どもたちが成人になりセンターの教師になって働いています。

そういう支援の後日談のようなものを見ることができるのはシャプラ二―ルで働いているからであって、活動を続けてきて本当に良かったと思っています。自分が担当したプロジェクトの15年後の姿を見られるのはNGO・ODAを問わず稀なことで、小さな女の子だったのに、今は先生や大学生になっている姿を見られることは、これ以上ない幸せだと思っています。少なくとも「シャプラ二ールがいたおかげで自分はこうなれた!」という子どもたちがいるということを思い出しながら自分の人生を終えることができればいいなと思っています。

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教わる側にいた子どもたちが、気がつけば教える側の大人へ

また、自分たちの活動の強みや弱みを知ることで見えてくるものもあると考えています。活動する上でNGOスタッフ自らが縛られることなく、女性も男性も働きやすい環境を作れたらいいなと思っています。

先の取り組みとしては、もう少し広がりを持たせた活動にしていきたいです。今行っているプロジェクトはひとつひとつ完成度が高いものだと自負していますが、社会全体に影響を与えるまでには至っていません。発言の影響が大きい立場にある人たちに見てもらい、広げることもこれから必要だと考えています。小さなプロジェクトをこまごまとやるのではなく、広く全体に掛け合っていくことができれば「シャプラニール=○○の団体!」という風に伝わりやすくなると思います。

ーー最後にクラウドファンディングへの意気込みをお願いします!

「チャンスを与えられれば、誰でも花を咲かせることができる!」ということを、ご支援いただいた皆さまにも、このプロジェクトの実現を通じて見ていただきたいと思っています。私たちのこれまでの活動をこれからも継続し、多くの少女たちを支援していくためには大切なプロジェクトです。是非、ご覧いただけましたら幸いです。

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『VOYAGE PROGRAM』での挑戦

『VOYAGE PROGRAM』は、国際最大規模のクラウドファンディングサービスを手がけるREADYFORが新たにはじめた国際協力活動応援プログラムであり、シャプラニールは第2回参加団体に選出されました。

藤崎さんたちは過酷な児童労働からの解放へバングラデシュの少女たちに教育を!というプロジェクトの成功に向け、現在活動資金を集めています。

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【VOYAGE特集2】日本文化をアフリカに届ける!ビジョンが共感を呼ぶ、国際協力団体の新しい在り方とは――NPO法人AfriMedico代表 町井恵理さん https://eedu.jp/blog/2016/11/28/voyage2_machii/ https://eedu.jp/blog/2016/11/28/voyage2_machii/#respond Sun, 27 Nov 2016 23:00:32 +0000 https://eedu.jp/blog/?p=42056 「医薬品の提供を通じて、アフリカの全ての人々へ当たり前の医療を届けたい」 「富山の置き薬」のモデルを用いて、アフリカ・タンザニアの医療の届いてない地域に、持続可能なビジネスモデルを創ることで医療課題を解決しようと取り組ん […]

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「医薬品の提供を通じて、アフリカの全ての人々へ当たり前の医療を届けたい」

「富山の置き薬」のモデルを用いて、アフリカ・タンザニアの医療の届いてない地域に、持続可能なビジネスモデルを創ることで医療課題を解決しようと取り組んでいるAfriMedico。

AfriMedicoでは国際協力への関わり方が多様化する中、全員がプロボノという形で、活動に参画しています。プロボノたちを熱くさせるAfriMedicoとは、いったいどのような団体なのでしょうか?代表の町井恵理さんに、AfriMedicoのこれまでとこれからについて伺いました。

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あの子どもを、なぜ救えなかったのか?

ーー現在、AfriMedicoの代表として、アフリカでの医療支援活動について取り組んでいらっしゃいますが、国際協力の分野で働こうと思ったきっかけについて教えてください。

最初のきっかけは大学生の時、バックパッカーとして、アジアを一通り巡っていた時のことですね。旅の道中でインドに行ったときに、たまたまマザーテレサの施設に行ってボランティアをさせていただいたのがきっかけで、それまでは短期のボランティアを何度かやっていましたが、それから長期的なボランティアをやってみようと思いました。

その後も、バックパッカーとしていろいろなところへ行く機会があったのですが、観光ではなくボランティアベースで途上国に関わるようになりましたね。それこそ、ジャマイカの薬局を訪ねてみたりとか(笑)。地元の方がどんな生活をしているのかなど人と話すことの方が好きだったこともあって、観光などではなく奥地の農村部やプランテーションなどに行くこともありました。

製薬会社で数年勤務した後、青年海外協力隊の隊員として、国際協力の分野でボランティアをすることにしました。当初は、農村地域に長期的に入り込むディープな国際協力の活動に関わりたいという気持ちもあったので、NGOで働くことも一時期は考えたこともありました。

しかし、家族がそれに大反対しそうだなと思うところもあって、JICAがサポートをしている青年海外協力隊なら行けるかも、という流れで協力隊に挑戦しました。もちろんそれでも家族は大反対でしたが(笑)

ーーニジェールでの協力隊経験を通じて、何かご自身の中で、感じたことはありましたか?

ニジェールでの経験が、AfriMedicoを立ち上げた理由にも繋がっています。ニジェールで「子どもが病気で病院に行きたい。でも、お金がないから、200円をください」と、物乞いをしてきたお母さんがいました。私は「お金をあげない」という選択をしました。

私が次にその村を訪れた時には、その子どもは亡くなっていました。

この経験が、今でも私の中に引っかかっています。この経験が、私が国際協力を続ける理由になっていると思います。お金を渡しておけば助かったのでしょうか?それは本当の解決方法なのでしょうか?

私は、一時的なサポートだけではなく、アフリカにあった問題の解決方法を作っていきたいと思うようになりました。帰国後、そうした社会課題を解決するための仕組みを作りたいと考え、グロービス経営大学院へ進学し、そこで集まった有志とAfriMedicoを創設し、今に至ります。

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理想と現実をきちんと見極める、経営の視点を忘れずに

ーー現在、スタッフが全員プロボノとして参画しているAfriMedicoですが、NPO法人としての専従職員を雇う、タンザニアに常駐の日本人スタッフを派遣する、などの活動はしないのですか?

私自身は(タンザニアに)行く気満々なんですけどね。現在、妊娠しているというのもありますし、職員を派遣する、というところにおいては難しいことがあるのは事実です。結局のところは、私がやりたいのは「誰が派遣されても、されなくても、現地の方が現地の方でこの活動を継続できる」というような自立出来る仕組みを作りたいと考えています。

なにより、活動を回していくことが重要なので、「持続可能なモデル」というところに軸を置いて行きたいです。例えば、これからタンザニアに職員を派遣することになった時に、やはり安全性については大事にしていきたいと考えています。

そういった課題をクリアにした上で活動を続けていく必要があると思っています。私たちは、「命を救う」活動をしているわけですから、そこで誰かが命を落とすことはあってはなりません。

しかし、正直、現地には職員を派遣したいという思いはありますが、まだまだ具体的な実現方法までは考えられていません。日本サイドの職員に関しても、現在安定的な資金調達にむけて試行錯誤を重ねている状態なので、有給職員を雇うことが難しいんですね。そこは、今後の資金調達の兼ね合いを見ながら決めて行きたいところではあります。

ーーできたてのNGOほど、ガッツが先行して多少のリスクを冒して活動してしまうことが多いと思うのですが、町井さんはAfriMedicoの活動を、緻密に組み立てているイメージがあります。ご自身の思考や視点を養うことについて、何か転換点などはあったのですか?

私たちのそもそもの起源や考えは、グロービス経営大学院のメンバーが集まって、研究プロジェクトの経営の視点から生まれているからかもしれないですね。理想と現実をきちんと見極め、日本のビジネスモデルを持続可能な形で国際協力に取り込む、そういったところに惹かれて、いろいろな方が入ってきたのかな、と思います。

もちろん大学院でも、色々な授業で、経営学や組織論などの勉強を重ねてきました。そういう分野については、NPOや株式会社といった法人格に関わらず、組織としての在り方について勉強しました。そうでもしなければ組織のリーダーとして引っ張ることなどできなかったと思います。どちらかというと、もともと人を引っ張っていくようなタイプでもなかったので。何かしら自分に自信を持つためにもこういった知見やスキルを身に着けてよかったなと思います。

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会社では絶対にできないような経験を

ーー町井さんから見て、メンバーの方がAfriMedicoに入る際、どんなことをモチベーションとしていると思いますか?

アフリカにつながっていきたいという方や、ソーシャルビジネスとしても関わりたいと言ってくださる方は多いですね。プロボノの特徴として、働きながらでも多様な関わり方で国際協力にコミットできるというのはなかなかない特色だと思います。さらに、今頑張ってくれているメンバーはAfriMedicoを成長させるためにこの組織に貢献したい、と言ってくれている方もいますね。

きっと、会社では絶対にできないような経験をできると思います。会社だと固定の役職に振り分けられてしまいますが、それぞれがマルチタスクをこなしながら活動しているような組織です。ちゃんとコミットしているメンバーは「個」の力もつけることができています。組織内で自分の力を活かし、プロボノとしての活動で力をつけることで、本業で出世したりしている人もいます。

団体設立当初は、AfriMedicoのビジョンに共感しているというよりも、私自身を応援してくれる方が多かったような気がしています。そういった意味で、今の時期はまさに第二創業期、といった感じですね。町井恵理の「個」も落ちてきたのではないかと思います。

最近では、「私」ではなく、「ビジョン」に共感して人も集まってきましたし、組織としてもまとまってきています。やっぱり自分一人じゃ何もできないので、いろんな人に参加してもらいたいですね。正直これからどうなっていくかは、試行錯誤している、という様な段階なんですけどね。

また、これはどうなるか分からないですが、これからはプロボノだけではなくって学生インターンの方にも、是非一緒に働いてほしいと思っています。しっかりと安全面等はクリアして、タンザニア現地でのオペレーションを回していく必要があります。支店の立ち上げから、現地の調査、厚労省とのやり取りとか。本当は私が行きたいんですけど(笑)

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日本文化をアフリカに届ける挑戦

ーークラウドファンディングへの意気込みをお聞かせください。

私たちが今回のクラウドファンディングで挑戦する、置き薬のプロジェクトには、日本人の方はとても親しみを持ってくださっている仕組みで、「信頼のモデル」とも言われています。ある種、日本文化としての性格も強くて、「日本文化をアフリカに届ける」といった意味合いも強く含んでいます。

日本発祥の置き薬というモデルが世界で役立つことに、日本人としては誇りに思いますし、これをきちんと現地にあうように改良を重ねていくため、挑戦していきたいと思います。

また、「予防は治療に勝る」というように、セルフメディケーション(自分自身の健康に責任を持ち、軽度な身体の不調は自分で手当てすること(出典:世界保健機関(WHO))を普及させるために、私たちは「置き薬」のモデルを選びました。

今回のプロジェクトで資金調達をすることができれば、タンザニアに本格的に事業展開をしていくことができるようになります。是非、多くの方にページを見ていただき、私たちの活動について興味を持っていただきたいと思います。

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『VOYAGE PROGRAM』での挑戦

『VOYAGE PROGRAM』は、国際最大規模のクラウドファンディングサービスを手がけるREADYFORが新たにはじめた国際協力活動応援プログラムであり、AfriMedicoは第2回参加団体に選出されました。

町井さんたちはタンザニアの無医村へ薬を アフリカ版「置き薬」プロジェクトというプロジェクトの成功に向け、現在活動資金を集めています。

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