トジョウエンジン読者のみなさま、こんにちは!e-Educationバングラデシュでインターンをしております、北川修平です。

前回の記事では、僕がバングラデシュに渡って実際に目にした現地の様子をご紹介しました。今回はゲストハウスでの生活で僕が直面した困難についてお話ししたいと思います。

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プレゼンテーション1

バングラデシュで仲良くなったベンガル人のおじさんたち

想像してみてください。

あなたが見ず知らずのベンガル人と、突如として1つの部屋で共同生活を始めることを。ベンガル人がどんな人たちかわからない方のために、簡単にベンガル人の特徴を説明したいと思います。あなたが今までの人生の中であった一番人懐っこい人を思い起こしてください。その人懐っこさが、まさにベンガル人の性格を端的に表しています。

もし、その人が色黒であるか、やたらと彫が深いか、もしくは色黒で彫が深かったりする場合には、その人こそベンガル人である可能性すらあります。

こんなベンガル人とのゲストハウスでの共同生活によって始まった僕のインターンは、そもそもインターン以前の段階でつまずいていました。それは、ベンガル人とのコミュニケーション。「なぜ、そんなことをするのかわからない・・・」。というようなつまずきから、僕が学んだことを書きたいと思います。

スライド2

手前に写っているのが僕が滞在した部屋、奥に写っているのがもう1つの部屋

わからない、わからない

2Kのゲストハウスは、まず入り口から入った部屋に大きなベッドが1つ。そして、ドアでつながった奥の部屋にキッチンと大きなベッドが2つ置いてあります。そして、僕が与えられたのが、入ってすぐのベッドが1つの部屋。

奥のベッドが2つある部屋には、最初のころはe-Educationの調査に来たバブールとシャントという2人のベンガル人のリサーチャーが滞在していました。しかし、彼らの仕事が終わって、チャンドプールからいなくなった後は、e-Educationバングラデシュのメンバーであるアリフやモミンが主に泊まりに来てくれていました。

「修平、なんで一緒にこっちで寝ないんだ?」

当たり前のように手前の1人部屋(と言っても、奥の部屋と手前の部屋はドアで直接つながっているため、正確には一人部屋ではないのですが)で寝ようしている僕に、奥の部屋から聞こえてきたのが、そんな声でした。最初、なんでそんなことを聞くのかさっぱり意味が分かりませんでした。

僕は少しだけ頭にきました。なぜなら、僕はどちらかといえば朝方のタイプで、夜は早く寝たかった。しかし、バングラデシュで僕が一緒に活動していたメンバーは2時か3時ごろ寝ることが多かったため、部屋が空いているのだったら、別々に寝るのが当たり前に見えたからです。

「ごめん、ごめん。ただ、起きる時間も寝る時間も違うから、こっちの方がいいかと思って」

僕がそんな返事をすると、なんとなく気まずい空気が流れたあとで、「そうかそうか、ごめん」そんな返事が返ってきました。

そんなやり取りを、3回も4回も繰り返すと、僕もだんだんとイライラしてくる。「なんでそんなこと聞くんだ?当たり前だろ!」内心ではそう思うようになってきました。

僕には他にもわからないことがありました。バングラデシュの現地メンバーは僕を自分の実家や招待してくれます。もちろん招待してくれるのは、歓迎のしるしなので、すごくうれしいのですが、それがほぼ毎日のようになってくると、こちらも気を使ってなんとなく行きづらくなってきます。

それが家族ならまだわかるのですが、親戚だったりする場合には、わざわざ仕事を中断してまで行く理由がわかりませんでした。何度となく中断される仕事、うまくいかない英語でのコミュニケーション、僕のイライラはゲストハウスに到着して数日で、ピークに達し始めていました。

スライド3

悩んだときはいつもここでどうすべきか考えていたゲストハウスのテラス。

全力でバングラデシュにぶつかるという覚悟

「このままだと、もたない」

はっきりとそう感じた僕は、ある決意をしました。それは、「バングラデシュの文化に全力でぶつかること」。

それまでの僕は、なぜかわからないこと、納得がいかないことがあっても、なんとなく受け流していました。でもそれだと、そんな違和感に慣れはするが、理解することはできないと思ったのがきっかけでした。

だからこそ、僕はけんかになってもいいから、とにかくがっぷり四つでぶつかりあう決意をしたのです。わからないもの、納得できないものは、はっきりと言う。その上で、何が問題なのか、どうすればいいのかを一緒に考えていていく。相手は当たり前だと思っていることなので、指摘すると驚かれるし、ときにはけんかにもなりました。

スライド4

向かって左が現地メンバーのアリフ、右が同じく現地メンバーのモミン

引かないこと、受け流さないこと

たとえば、現地メンバーのモミンと食事を巡ってけんかになったことがありました。原因は僕が、「おなかがいっぱいだ」と言っているのに、彼が何度も、「本当にいっぱいなのか?これも食べろ。」と僕の皿に食べ物を載せたことでした。

はたから見ている分には、非常にかわいい原因ですが、そのとき胃炎気味だった僕にはかなりきつかったのです。しかもモミンは、断り続ける僕に対して「ほかの現地メンバーといた時はもっと食べていたのに、なんで僕の時は食べないんだ?」とまで言ってきます。

こんな言葉を、到着当初の僕なら、1歩引いて笑って受け流していたところでしたが、そこはもう引きません。結果として若干の口論になり、1時間ほど2人の間に気まずい空気が流れることに。

最後には「僕がおなかがいっぱいと言ったら、本当におなかがいっぱいであること」と、「バングラデシュでは客人に料理を勧めるのは歓迎のしるしであって、より料理を楽しんでもらうためだ」ということを2人で確認し合って終わることができました。

スライド1

僕が見つけた”分かり合う”方法

僕はこの国の人が本当に大好きです。だからこそ、本当に理解したいと思っています。そのために僕は全力でぶつかっているのです。今は、ぶつかって、ぶつかって、その先にあるのが理解なのだと思っています。

一歩引いて、単に「これは相手の国の文化なのだからしょうがない」と思って自分を納得させることはできます。現に到着した最初のころは僕もそうしていました。でも、それはお互いを本当に理解したことにはつながらないと思っています。

これからも僕は全力でバングラデシュにぶつかっていくし、何度もけんかをすると思います。それでも、ぶつかるのを避けて、ただ表面的に受け入れたフリをするよりはずっといい結果が待っていると信じています。

僕は「互いに相手のすべてのことを理解している」とか「お互いの意見が完全に一致する」とか、そういうことは不可能ではないかと思っています。人と人の間の距離は、実は途方もなく遠い。それが、国が違うともなれば、あまりの遠さに目がくらみそうになります。

その距離の遠さを見つめずに、あたかもそばに寄り添っているフリをすることはできます。でも僕は、相手と自分との途方もない距離を見つめながらも、それでも互いに必死になってその距離を埋めようともがく、その先にこそ本当の「分かり合う」は存在していると信じています。

[e-Education Project]


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