みなさんこんにちは!全ての高校生にフェアな教育機会を提供するために先週末からルワンダ入りしているドガです!
トジョウエンジン連載一発目では、’’とにかくやってみる’’という思いのもと、e-Educationプロジェクト参画を決めた経緯についてお話させて頂きました。
今回は、ただ「ルワンダでビッグなことがしたい!」という楽観的な感覚で決断してから、想像していた事とは裏腹なe-Educationルワンダの現状についてお話したいと思います。
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他国とは一味違うルワンダ
他のプロジェクトでは、現地へ日本からコーディネーターが参りそこから個々、様々な形でプロジェクトを進めています。
しかし、ルワンダでは海外からリサーチ調査・事業・プロジェクトを始めたい時には、何をするにしてもまず第一にルワンダ政府から許可を取る必要があります。
もちろん、e-Educationはリサーチではなく、現地で教育問題を解決する活動。それでもルワンダでは、下記のようなリサーチペーパーを埋め、提出し、政府から許可をもらう必要がありました。
大虐殺の影響もあり、教師不足による教育格差がある
「ルワンダ」と聞いて多くの人の頭の中にまず浮かぶのは、1994年のジェノサイド。80日間で約100万人が虐殺された悲惨な出来事です。
この大虐殺で、多くの労働力人口の命が奪われ、バングラディシュプロジェクトの様に、ひどい教師不足に悩まされています。全国の教師全体の半分が無免許で、高卒で教えているようなケースもあります。
現地の教育問題のリサーチをしていると、ここでもやはり農村部と都市部での教育格差が歴然としていることが分かってきました。
特に、農村部の理科室が不足して実験実験ができない多くの学校と、都市部の実験用具が余っている学校とで、科学の実験授業の成績に大きな差が表れていました。
ルワンダの知られざる現実
僕が渡航する前、e-Educationルワンダプロジェクトは、昨年2012年4月から代表の税所篤快(アツさん)が立ち上げを行なっていました。
アツさんももちろんのこと、教育格差を是正するために、最初はルワンダ政府と本プロジェクトの許可を得るために交渉していました。しかし、ルワンダ政府は援助慣れしているためか、予算とスケールの大きなプロジェクトをずっと見てきています。
そのため、e-Educationのように小規模で少ない予算のもとスタートし、後からスケールアップさせていくようなプロジェクトは彼らの思考には無く、交渉は難航しました。
プロジェクト自体の予算規模だけでなく、撮影方法から先生を選ぶ基準までに言及してきました。このような理由から、約一ヶ月間このような事務作業に終われプロジェクトは一向に進みませんでした。
しかし、政府の高官の人たちのこのような厳しいアドバイスが、今後僕のプロジェクトマネージメントに大いに役立つのでした。
取り返しのつかない事をやってしまった
アツさんは、今までの経験からトライアルをとりあえずやって、良い結果を残せば政府機関も納得してくれるだろうと思っていました。そして、昨年の5月、ルワンダ最貧困群のギコンゴロという地域で、高校生50人を対象に政府に無断で収録したビデオコンテンツを放映。
さらに、ルワンダの大手新聞社にもこのプロジェクトを取り上げてもらい、政府の人たちにプロジェクトの意義を結果で示そうとしました。
しかし、現実はそう甘くはありませんでした。翌日、新聞の記事を読んだ教育省の担当者から電話がありました。
「アツ、新聞みたよ。すぐにプロジェクトを中止して、キガリ(ルワンダの首都)に戻ってきなさい。この国にはこの国のルールがある。私たちの許可なしで、やってもらっては困るんだ!」
全ての国で同じステップを踏む事は無理
実際、今回のトライアルでは、ビデオを見た生徒達から、
「普段、こんなに充実した機材を使って実験はできないのでとってもよかった!」
「先生の手元が大きく見えたのでいっしょに実験しているようだった」
など、ポジティブなコメントをもらいました。しかし、ルワンダでは中央政府のルールに従わなければいけません。
一日でも早く農村部の子どもたちに都市部に負けないような科学の実験コンテンツを見せてあげたかった。しかし、このような国の規則に逆らっては逆効果です。
改めて、「アフリカ」という別世界でプロジェクトを進めていく壁を実感しました、そして、全ての国で同じようなプロセスでプロジェクトを進めていく事はできないということを学びました。
一度政府から嫌われたプロジェクトの再建
そんなこんなで昨年5月にプロジェクトはストップし、それからルワンダ政府の許可をもらう交渉を、現在英国の大学院で学んでいる難波泉さんに受け持ってもらいました。
しかし、一度嫌われてしまったe-Educationプロジェクトに対して政府はそう簡単に活動許可を出そうとはしてくれません。
農村部の子どもたちは、我々の実験コンテンツを首を長くして待っている中、泉さんのもと政府間との交渉に月日だけが流れていき、僕にそのプロジェクトは引き継がれていくのでした。
今回僕は、「0からのプロジェクト立ち上げ」という事でルワンダに渡航しました。
しかし、既に政府からあまり良い印象をもらっていないe-Educationプロジェクトは、実際のところ、マイナスからのスタートだったと言っても過言ではないと思います。
前回の記事でも少し触れましたが、このような困難な状況からスタートさせ、成功した時の達成感を想像した時の僕の心臓は逆にバクバクしていました。
千の丘の国、ルワンダ。
プロジェクトがうまくいっていないところからスタートさせるというプレッシャー。
僕は単身、これからルワンダで訪れるいくつもの坂を上がり、攻略していかなければならないのでした。
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