Hola! e-Educationパラグアイプロジェクト担当の田才諒哉です。
前回の記事では、原田さんがランナーから転機を迎え、協力隊に参加するまでのことについてお伝えしました。
今回は、原田さんのパラグアイでの協力隊活動についてご紹介したいと思います。
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協力隊の活動概要
原田:2008年11月、パラグアリ県サプカイ市に養蜂組合の運営・組織強化をミッションに村落開発普及員として着任しました。
当初、組合員と共に養蜂場へ通ったり、定期的に会議を行ったりしていました。ある日、市役所の職員から、パラグアイに鉄道技術を持ち込んだイギリス人によって造られた、鉄道の鉄工所を案内され、歴史ただよう何とも言えない空間に感銘を受けたんです。
着任2ヶ月後、市長に文化遺産を修復して市を活性化しませんかと提案しました。”市民の生活生計の向上”をビジョンに掲げ、市民が中心となった委員会で構成された「観光プロジェクト」のはじまりです。
さらに、政府機関や大学等を巻き込み、「歴史資料館修復プロジェクト」を、外務省の草の根文化無償資金協力に申請。その後、修復工事が着工することになり、離任前、サプカイ市とパラグアリ県庁から感謝状も授与して頂きました。
歴史資料館修復プロジェクトの着工式にて
毎日が異世界の生活環境
着任日、首都アスンシオンから任地へ向かう途中、ドンドン急斜面を登って行ったときのこと。”私は一体どこにいくのだろう”と、不安な気持ちになったのを覚えています。
丘を登りきったところに「セロ・ロケ」という集落があり、そこが私の2年間の生活拠点となりました。トタン屋根の小さなレンガ造りの家に住んでいる家族と対面。全員とても大人しく、母はあまりスペイン語を話しません。この地域の人たちは、主に公用語の一つでもある「グアラニ語」を話すことが理由です。
外にある台所を拝見すると、一瞬、言葉を失ってしまいました。そこは薄暗く、まるで日本の何十年も前にタイムスリップしたかのような光景だったからです。
周辺はココナッツの木で囲われ、床は赤土、その中心に薪が組んである。そこを出ると、鶏が何羽も走り回っている。鶏が怖い私は、大声を出して叫ぶ。周りの皆は「何が怖いのか!」と大笑い。シャワー室へ行けば水しか出ない…その夜は不安な気持ちで眠れぬまま朝を迎えました。
それからの生活は、毎日、炭水化物中心の食事が続き、摂取したエネルギーを徒歩やマウンテンバイクで丘を行き来しながら燃焼。雨がふればその道は粘土状になり誰も外に出れなくなります。そして、トタン屋根に落ちる雨で奏でた合唱が聞こえてくる。そうこうしていると突然真っ暗に。停電です。
何もかもが今まで経験したことのないことばかりでした。
ホームステイ先の台所にて
ランナー時代に得た3つの宝「根性・忍耐・持久力」
協力隊員としての2年間は、まさに長距離走のようでした。
言語や文化、価値観、気質等、全てが違う中、物事を動かす難しさを痛感することが何度もありました。くじけそうになり止まることがあっても、また立ち上がり前を向いて突き進む。それを支えたのは、陸上で培った「根性」と「忍耐」と「持久力」だったと思います。
観光プロジェクトのアイデアを話すべく、初めて市長に会いに行った時のこと。
1時間かけて家から市役所まで徒歩で行ったにも関わらず、市長との面会時間はたったの1分。それでもあきらめず、根気強く何度も市役所に通い続けた結果、話を聞いてもらえるようになり、市長とは信頼関係を築くまでになったのです。最終的には市役所をはじめ、政府機関や大学、民間機関をプロジェクトに巻き込むこともできました。
また、周囲の人に「観光プロジェクトのプレゼンを大統領にする」と勢い良く宣言していたところ、それが本当に実現することになったのです。
それを聞いていた政府機関の方の縁で、サプカイ市の鉄道の鉄工所にて大統領と多くの人々が集まる中、プロジェクトの説明をする機会を得ました。誰に何を言われても、諦めずに忍耐強く自分の信念に従って行動した結果だったと思います。
当時のパラグアイ大統領ルーゴ氏と
異文化の中でたくさんの壁にぶつかりながらも、2年間の協力隊活動を全力で走りきれたのは、陸上を通して得た根性と忍耐力、そして持久力のおかげだったと思います。
活動最大の困難
持ち前のガッツで物事を進めていた中で、困難な場面に遭遇したこともありました。
観光省の協力を得て、鉄工所の敷地内に日本庭園を作る計画を進めていた時のこと。パラグアリ県庁で計画についてプレゼンテーションをしていると、参加者の一人から、「鉄道の鉄工所及びイギリス村は国が認定している文化遺産だ」との発言がありました。市役所の人も、プロジェクトに参加している人も誰一人その事を知りませんでした。
そして急遽、庭園計画は中止。そして、歴史資料館修復プロジェクトの見積もりも見直すことになりました。
その結果、予算が申請した額の2倍に膨れ上がったのです。肝心な事を調査・確認もせず、勢いだけで物事を進めていた私。その日から途方に暮れましたが、最終的には多くの方の協力があって必要予算を確保し、難事を逃れることができました。
たくさんの人の愛に支えられた2年間
未知の世界に飛び込み活動した2年間。今まで触れた事のなかった「文化・人・空気」全てが新鮮で初めての事ばかり。右も左も分からなかった私に、多くの人が手に余るほどの持ちきれない愛情を注いでくれました。
私にとって、家族の一員として常に愛情を注いでくれ、いつも家に帰ると出迎えてくれるステイ先の家族の存在は、とても大きかったです。また、活動で行き詰まったとき助けを求めると、多くの人が親切に対応し、アドバイスや意見をくれました。
そんな環境の中で2年間、自分自身が最終的に得たものは、愛から生まれる「信頼関係・絆・学び」です。
それがその後の糧となり、新たな人生のスタートラインに立つ原動力となりました。この世に自身が存在する、意義・意味を深く考えさせられた、ぎっしり実の詰まったとても素敵な時間でした。
ーー中編おわり。
こうして原田さんの2年に渡るパラグアイでの協力隊活動が終了。日本に帰国することになりましたが、再びパラグアイの地に舞い戻ることになります。
次回のインタビューでは、原田さんがNGOを立ち上げ、現在に至るまでの経緯についてお聞きします。どうぞお楽しみに!
【後編に続く】
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