チンの友達と東京で

みなさんこんにちは、e-Educationの古波津です。

僕の地元の沖縄はもう梅雨入りし、ミャンマーでももう雨季が始まっています。6月に再渡航をするのですが、雨季になると毎年心配なのが地方までの道路状況。去年は土砂で道がなくなってしまったところもあったようで、少し気がかりです。

さて、前回の記事ではどうして僕が途上国の教育支援に携わりたいと思ったのか、e-Educationになぜ入ろうと思ったのか、についてお話しさせていただきました。

e-Educationに入ってからもう一年。何度もミャンマーに足を運び、地方の子どもたちに会い、彼らの夢に寄り添えるサポートを行うため、現地パートナーと共に「最高の授業」を届けようと歩みを進めてきました。少しでも彼らの力になりたい。そんな僕が、日本にいるミャンマー出身者に対して関心を持ち始めるのも、当然の事でした。

今日はこの数ヵ月、日本で生活する海外出身者と触れ合う中で感じたことをお話しさせていただきます。

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ミャンマーで出会う子どもたち

この話をする上で、海外での出会いは欠かせません。まずは、僕がミャンマーで出会ってきた子どもたちの話をさせてください。

大都市ヤンゴンからバスで20時間。たどり着いたシャン州のある村では、高校生たちが寄宿型の学校で集団生活をしながら、朝5時から夜10時まで、高校卒業試験合格に向け、一生懸命勉強をしていました。

自分の高校生時代を振り返っても、ここまで一生懸命学ぶことに対して向き合っていただろうかと、少し恥ずかしくなりました。

ミャンマーの学校にて

教室で熱心に特別に準備をした講演を聞く生徒たち

彼らの夢も様々。学校の先生になりたい、歌手になりたい、お医者さんになりたい。そう希望に満ちた答えの中に、一つ、耳を疑った言葉がありました。

「ぼくは将来、兵士になりたい。自分たちの家族を、民族を守りたいんだ!」

135もの民族が共に暮らしているといわれているミャンマーでは、今でも地域によって民族対立が続いています。この地域で生まれた子どもたちは、おそらく対立感情を持った民族と出会った事も無いまま、コミュニティの中で兵士が尊いと言われ育ってきたんだろうと思い、なんとも言えない気持ちになりました。

教育支援で彼らの「夢」を応援している立場にいるはずなのに、素直に、100%彼らの望みを応援してあげることが出来ない自分の揺らいだ気持ちを、どう表現していいのかわからず言葉に詰まってしまったのです。

そんな彼らのような少数民族の子たちが日本にも多くいることを知ったのは、e-Educationミャンマー現地パートナー、ジョセフが日本に来日した時でした。

滝を下る

村の子どもたちと一緒に滝下り。ビショビショ、ドロドロになるぼくに対し、汚れ一つない姿の子どもたち、たくましい

日本で出会ったミャンマーの少数民族の友達

きっかけはe-Educationのミャンマー現地パートナーであるジョセフが、2016年12月に日本へ来日した時の事。チン州というミャンマーでも最果ての地出身の彼は、90%が仏教と言われるミャンマーでは珍しく、クリスチャンでした。

「たいち、東京にもチンのコミュニティがあるんだ、教会に行ってみない?」

そうジョセフに誘ってもらい、訪問したチン民族の人たちが集う教会。

礼拝含め、言葉は全て民族語で行われるため、意味を理解することは出来ませんでしたが、同世代のミャンマーチン民族の子たちがこんなにもたくさん身近に生活をしていたことに、驚きを隠せませんでした。

Chin Natioanl Day

2月19日、チン・ナショナル・デーのお祝いに参加させてもらいました。
総勢150人ほどが集まり、会場は強い一体感に包まれました

何人もの彼らと触れ合う中で感じた事。それは当然かもしれませんが、日本で生活する彼らも何ら僕たちと変わらない20代の若者だったことです。

でも中には「いつも学校と家と仕事の往復ばかりで、東京に住んでいるのに東京の事全然知らなくて」という声や、「日本1年近く住んでいるけど日本人の友達が出来たのは初めてだよ!」なんて声もありました。

日本語学校に通い、必死で難しい日本語を習得し、一生懸命話してくれる彼ら。夢を追う姿も、日本の学生と何一つ変わらない姿がそこにはありました。

でもやっぱり、日本人と同じようにはいかないことも多々あります。日本語学校を卒業した後の進路、就職、住む場所を探すことの難しさ。ここまでたくさんの壁がぼくが生きているこの街にも存在する。それに気付けたのは彼らと話が出来たからでした。

技能実習で日本へ、彼らの想い

今アジアでは日本語学習熱が本当に高いです。僕もミャンマー滞在中にたくさんの日本語学校を見ましたし、ヤンゴンでは毎月のように新しい学校が開校しているとか。

日本へ希望を持って渡航する彼らの目的や想いは様々です。厚生労働省のデータ(2016年10月)によれば、日本で働く外国人のうち、約2割にあたる20万人がこの技能実習制度を利用して日本で働いているのです。

「日本の文化が好きで、日本語を学ぶのがとても面白くて!いつか日本の大学で学んでみたいな」
「仕事がしたい。この国じゃまだまだ限られてるからね」

理由はそれぞれ。でもどこかしらで日本の事に興味を持ってくれて必死に頑張っているその姿は、日本人の一人として嬉しくもあり、応援したくなるものです。e-Educationが長年お世話になっている会社さんの繋がりで、日本に来ている技能実習生の子たちと触れ合う機会がありました。

ほとんどが20代前半、中にはぼくと同い年で奥さんと子どもを地元に残してまで日本へ来ることを選んだ子までいました。そこで出会った同い年の彼は、子どもの写真を見せながら日本へ来た決意を、学びたての日本語でぼくに語ってくれました。

これから3年間、日本で生活していくにあたり、日本語学習のサポートは最初の1ヵ月だけ。渡航前に日本語を半年近く学んできているとはいえ、十分でないことは容易に想像がつきます。日本をもっと好きになってもらいたい、日本語が理解できるようになったらもっとたくさんの日本の文化も、人も知れるのに。こうやって仲良くなれるのに。

同世代の僕は彼らの背負った大きな想いを、少しでもサポートするためにSNSで日本語のやり取りを始めました。

僕:「今日はご飯を食べましたか?」
技能実習生:「今、料理を炊いています、おいしいか」
僕:「いいですね!おいしいご飯つくってくださいね」
技能実習生:「いいえとてま まずかったですよ。」

どうやら美味しくないものが出来てしまったみたいです。笑

こんな些細なやり取りの中からも、彼らの支えになることが出来るかもしれない、そう感じさせてもらえる瞬間といくつも出会ってきました。

ベトナムの二人

技能実習生の2人、研修お疲れさま!

また、あるNPOさんの行っている在留外国人向けの日本語ボランティアにも週一回、参加させてもらっています。みんなバックグラウンドも、日本にいる理由も本当にそれぞれ。

でも、彼らが安心して日本で生活をして、社会のメンバーとしてコミュニティに入っていくためにはどうしても日本語って必要だと思うんです。

「先生、これはどうしてこの答えになるんですか、よくわかりません」

母国語が日本語である僕にとって、外国語としての日本語を文法から構造を教えるのは想像以上に大変な事でした。時には生徒に出す宿題だけでなく、ぼく自身も宿題として持ち帰り、翌週に備えて説明できるよう準備をします。

彼らにわかってもらうために準備をする事とか、今日はどこまで新しい表現を学んでもらおうかとか、漢字勉強してきたかな、とか、考えてるのもなんだか心地良くなるほど。彼らも先週わからなかった表現や文法が分かるようになって、「先生、それは簡単です」なんて。彼らも、僕も、お互いに一歩一歩学んでます。

「先生」なんて呼ばれるのはすごくくすぐったいけれど、距離も少しずつ近くなっていきます。日本にいながら感じるこの国際交流の瞬間を大切にしたい、そう強く感じるようになりました。

日本語ボランティア

日本語ボランティアでの一コマ

日本に住む外国人に対して、いつからか僕は、特別な思いを感じることはなくなっていました。東京で生活をしていると、毎日のように出会いすれ違う彼らは他の大勢の日本人と同化し、ぼくたちと何一つ変わらない生活をしている。どこかでそう思い込んでいたからかもしれません。

でもここ数ヵ月での多くの日本に住む外国の方たちと触れて、彼らのバックグラウンドや日本に来た決意、日本文化や僕たち日本人に対する想いに、何度も心をゆさぶられました。

それは、日本にいる彼らの一生懸命な姿勢に触れたから。

それは、まだまだ多くのサポートが必要なのにもかかわらず、日本語面に関しても、生活面に関しても十分なサポートがなされていない現状を目にしたから。

彼らとの出会いによって、教育で世界を変える一歩は、電車に乗って20分の距離にもたくさんあることに気づかされました。

少しでもその力になれるならと、今ぼくは日本語教育の教科書を手に取っています。


途上国の教育課題を若者の力で解決する

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