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左から、長期インターン生の山崎さん、現地教育局パートナーのアクロさん、自分、長期インターン生の金井さんです。

こんにちは、今年(2019年)の8、9月に、フィリピンでの短期インターンシップ生としてe-Educationのお世話になりました、松本 向貴と申します。

IT系の民間企業で1年半勤務した後、文部科学省に転職して数年働き、現在はアメリカの大学院に在籍をしています。e-Educationの典型的な「学生インターン」とはだいぶ異なる形ですが、大学院の夏休みを利用して、現地の活動に参加させていただきました。

約1か月半の短い間でしたし、滞在中はフィリピン担当職員とフィリピンの方々にお世話になりっぱなしだったのですが、「社会人のキャリアの合間のインターン」という形から得られた学びはとてつもなく大きかったです。

また、これまでの経験を活かして、現地に対してほんのわずかながら貢献できたかな?と思いましたので、今回レポートをさせていただきます!

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1.インターンのきっかけ

「世界を知っている」って一体どういうことなんだろう?

アメリカでの留学生活を通じてこう感じたことが、最も根本的な理由だと思います。

もともと留学には興味があって、「アカデミックな知見を活用した教育分野の政策形成」「教育資源の配分方策」といった内容を学ぶため、スタンフォード教育大学院のInternational Education Policy Analysisというコースに進学をしました。このコースはその名のとおり、様々な国の教育制度・政策について学べるコースで、大量の文献を毎日のように読んで、自分自身も1年間で論文を書くという、なかなか「ガリ勉」なコースでした。

勉強の内容はまさに期待していたとおりのことで、「国際的に見た学力と経済成長の関係」、「生徒の健康面や家庭の経済状況が学びに与える影響」などを、アメリカに限らず、世界各国の分析から知ることができましたし、そもそもそういったリサーチはどうやって行われるべきなのか、どう指標を設定するべきなのか、といったことまで学ぶことができました。

ですので、学びの内容に不満や不足があったわけでは何らないのですが、同時に、「この(大量の)文献に書かれている世界のことを、自分はどれだけきちんとイメージできているのだろう?」という思いが、学期を進むごとに強くなってきました。

「学校」という言葉で書かれているものは、本当に、自分が日米の学校を見てイメージしている「学校」なのだろうか?

「学力」はどの国でもペーパーテストの結果のことなのか?

世界的な研究の関心はまだまだ就学率や学力にあるということは分かったけれども、では「教員の働き方」のような問題は、日本でしか発生していないのだろうか?

そして、子どもたちは何を考え、何のために学校に行っているのだろうか?

日本の中でも「学校」「子ども」は地域によって本当に多様ですから、世界のことはなおさら、論文を読むだけで分かった気になってはいけないのだろう、という気がしていました。

そして同じ頃、少しブームに遅れて、書籍「ファクトフルネス」を読み、自分が持っていた常識を揺さぶられました。

若干のネタバレで恐縮ですが、この20年で極度の貧困にある人の数は半分になり、今や世界の8割の人が何らか電気を使える状況にあると。傾向だけで見れば、明らかに世界は豊かになっているのでしょう。教育に関する指標も話は同じです。

にもかかわらず、自分の修士論文のテーマを設定する時を振り返ると、無意識に「『先進国』について調べた方が日本の参考になるかなあ…」という思いが働いていたと思います。

結果的にアメリカの政策を中心に研究を行うことにして、日本との共通点も相違点もたくさん見つかったので、学びは多かったですし、歴史的に見て、比べるなら「先進国」の方が類似点は多いのかもしれませんが、いずれにせよ、「先進国」「途上国」というくくりでは見えていないものがあるのかもしれない。

要は、「International」の名を冠した学科に留学をして、世界中から集まるクラスメイトと一緒に国際的なトピックをたくさん学んでいるけども、それだけで「世界を知っている」と本当に言えるのか?と思い始めたわけです。

アメリカの大学に居て分かるのは、その大学のことと、関わりある企業や組織のことです。クラスメイトやその友人たちは自分の視野をぐんと広げてくれる最高の存在ですが、「その大学にフィットする人たち」の集まりが「世界の縮図」とは言えません。(「アメリカの縮図」とすら言えません。留学して強く思ったのは、少なくともアメリカは「こんな教育」「こんな社会」と一般化するのが極めて難しい、何もかもが多様な国だということです。例えば交通ルールすら州によって微妙に異なります。)

それでも十分「世界を知っている」と言いうるとも思いますし、現場に行かなければ論文を読む意味がないかというと、全くそんなことはないので、自分の納得感と、好奇心が満足するかどうかだけの問題なのですが、とにかく、日本とアメリカ以外のどこか、特に「途上国」と呼ばれてきた国の教育現場に、自分は行ってみたいなと。

そんな時に、たまたまe-Education代表の三輪開人さんとスタンフォードでお会いしたことを思い出し、思い切って「無給インターンさせてもらえませんか?」とストレートにお願いしたところ、ビデオミーティングを経て最終的にご快諾をいただきました。

e-Educationのこと自体は、前から創業者の税所篤快さんの本を読んで知っていたので、日本のNPOの取組を、利害関係ない立場から体感したい、という思いもありました。

インターンが終わった今では、そんな当初の願いを100%叶えられるものだったと思っていますし、期待をはるかに超える刺激的な体験も、たくさんさせていただきました!

2.フィリピンで感じたこと、学んだこと

取り組んだことを書き並べてもあまり面白みがないと思うので、最も強く感じたことを3点だけお伝えします。

大きな格差

インターン中は主に、フィリピンで5番目に大きな街、ミンダナオ島のカガヤンデオロ(Cagayan de Oro)市で活動しました。人口約70万人と言われています。皆さんは、「フィリピンで5番目」と聞いて、どのような街を思い浮かべられるでしょうか?

到着から2日目、街を歩いていて見たのはこんな風景でした。

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道端に生きた鳥が並んでいたり…

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市場で肉や魚が所狭しと売られていたり…

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川辺に行けば野生の牛にも会えます。

いかにも東南アジア、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

そして、そんなエリアから10〜15分も歩けば、こんなショッピングモールに到着します。
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…とても綺麗、ですよね。中には、レストラン、服屋、フードコート、おもちゃ屋、ボウリング場、ゲームセンター、24時間営業のジムなど、なんでも詰まっています。来てすぐの頃、物価の安さ、ご飯のおいしさ、人がすし詰めになった乗り物など、色々と印象的な点はあったのですが、一番驚かされたのは、この「差」かもしれません。

さらにそこから徒歩20分ほどのエリアの写真がこちらです。
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高床式になっている家々の下に散らばっているのは、ほとんど全てゴミです。アジアっぽいとかそういう話ではありません。一軒や二軒ではなく、あたり一帯がこういった家なのです。言葉もありませんでした。

アメリカ(=いわゆる先進国)でも、高層ビル街のすぐ近くに治安の悪いエリアがあったりしますし、都市部で仕事がない人は路上での生活を強いられたりします。しかし、ここまでインフラが整っていないエリアは見たことがありません。

また、首都ないし国の経済の中心地ならば、お金がいくつかの箇所に集中するのも、ある意味では「ありがちな」現象だと思うのですが、人口100万人ない街でもこうなるのか…と、予期していなかった光景に大きな衝撃を受けました。

極度の貧困にある人は20年で半分になったという話を先ほどしましたが、きっと、大きな街では、多かれ少なかれ「置き去りにされている」人が存在しているのだと思います。

<余談1>フィリピンのMaaS(Mobility as a Service)事情

フィリピンの大きな街では、Grabというアプリでタクシーを呼び、精算は現金、クレジットカード、どちらでも行うことができます。カガヤンデオロ市では、通常のタクシーと同じように、走った時間と距離に応じて降りる際に運賃が決まりますが、マニラでは固定料金を支払うプランも選べました(アメリカのUber、Lyftと全く同じ仕組みですね)。

タクシーの初乗り運賃は40ペソ(約80円)。サービスはアメリカと同等のものが提供されている一方、賃金や物価は安いまま…といういびつさも、フィリピンの発展の仕方を象徴しているのかもしれません。
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「教育」への情熱と課題

そうした「置き去りにされている人々」―アメリカではMarginalized Groupsという言葉をよく耳にします―が、単に本人の努力不足によって置き去りになっているのなら、話は簡単です。しかし、少なくとも自分が会った人たちに関して、全くそんなことはない、と、滞在中のあらゆる場面で思わされました。

インターンの最初の仕事は、日本の方がこういったエリアの家庭などを訪問するツアーの補佐でした。いわゆるフィールドスタディツアーですね。家庭訪問だけでなく、市内の小中学校やゴミ集積場を訪ねたり、青年団体との意見交換をしたりと、盛りだくさんの行程でした。おおまかな日程は現地入りした際すでに決まっていたため、私の仕事は、スケジュールの最終チェックから始まり、当日、タイムマネジメント、意見交換用の資料の作成、日英の翻訳などでした。

そうした運営業務をしつつ、各行程では、参加者の方々とほとんど同様に、現地の方とたくさん交流させていただきました。例えば、家庭訪問などでは、実際に家の中に入れてもらって、20分ほどお話をさせていただきました。平日の中学校訪問では、試験をやっている教室の中に堂々と入らせてもらって、テスト中の生徒に「その問題難しい?」「将来の夢は?」など気軽に質問をさせていただいたり、先生には進級率などの指標の推移について色々と教えていただいたり。

土日は、「オープンハイスクールプログラム(OHSP)」と呼ばれる、早期妊娠や仕事、障害など様々な事情で平日学校に行けない子のための教育課程を、3つの中学校で見学させていただきました。(少々長いですが、スタディツアーの様子はこちらの動画をご覧いただけると分かりやすいかと思います!)

また、8月下旬には、日本企業による教材導入事業の現状確認などのため、これまた公私4つの学校に行く機会がありましたし、9月には、カガヤンデオロ市から半日かけて着くカミギン島という島で、先生が家庭や近隣へ訪問をする「モバイルオープンハイスクールプログラム(MOHSP)」という授業などに同行させていただきました(MOHSPの目的や対象は、OHSPとおおむね同じです。大きな違いは、先生が生徒の家などに行く形である点だけです)。

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MOHSPの先生、生徒、e-Educationインターン生、そしてその周りで遊ぶ子どもたち。「学ぶ」という行為は、こんなにもゆったりとしたものになり得るんだなあ、と思いながら、一緒に時間を過ごしました。

その全ての行程で一貫して感じたのは、
・生徒は学びたがっているし、
・保護者は子どもに学んでほしいと思っているし、
・先生は渾身の情熱をこめて教育をしている
ということでした。

「平日はマッサージ師の仕事をしながら、休憩中に宿題を解いて勉強しています。日曜は、ボートを30分漕いで学校に来ています」 日曜日に訪問したOHSPでの生徒の言葉です。

カミギン島のMOHSPで訪問した生徒は、妊娠9か月ですが、「出産後はすぐ高校に行って、将来は教師になりたい」と言っていました。

また、先ほどゴミだらけの写真を紹介した地域では、子どもたち、先生、保護者から、歌って踊って、それはもう熱烈な歓迎を受けて、顔も知らない人のために、こんなにも全員が全力になれるのであれば、きっとこの子たちにできないことは何もない、という気にさせられました。本当に、これほどバイタリティとホスピタリティに溢れた空間は久しぶりでした。

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そして、先生方もとにかく情熱的でした。OHSPは、それを修了すれば「中卒」になる、オフィシャルに認められた教育課程なのですが、カガヤンデオロ市では専任の教員が配置されていないので、先生方は平日も授業をやって、かつ、土曜または日曜にOHSPの生徒に教えに来ています。

現地教育局パートナーのアクロさんによれば、はじめこのプログラムを導入するときは、「月曜から金曜まで山のような問題に対処しなければならないのに、なぜ土日にまた問題を持ってこようとするんだ」と多くの関係者から言われたそうですし、今でも同じような声はあるそうです。

しかし、それでもなお「生徒を助けたい」と思って、休日に有志で教えに来ている先生は、全員、とてもエネルギッシュでした。本来、1クラスは25人程度に収めないといけないらしいのですが、あるクラスでは、50人くらいの生徒がいたかと思います。

それくらい需要がある制度であるにもかかわらず、人手は常に不足している状況です。先生方は、そういった状況にも音を上げることなく、一人ひとりの学びをサポートしています。こればかりは、言葉でいくら表現しても伝えきれる気がしないのですが、先生は常に、その環境でのベストを尽くしている、と心から感じました。

ある学校では、「平日の課程と同じ内容を学ぶ」ことが生徒のモチベーション維持のために重要なようで、それを全科目でいかに徹底できるか心を砕いていましたし、別の学校では、問題演習の時間をきちんと確保できるよう、カリキュラムを工夫していました。

そもそも平日より少ない授業日数でいろいろな単元をカバーしなければなりませんし、突発的に休まなければならないような生徒も多いでしょうから、スケジュール管理と教材の準備だけでも大変だと思うのですが、それらに加えて、各学校、生徒の個別の事情に応じた指導がなされていたのを覚えています。

一方、こうした先生方の情熱に大きく感銘を受けると同時に―日本の教育の事情にお詳しい方ならもうお気づきかと思うのですが―「教員の働き方」「教育のためのリソース」のような話は、悲しいことに、ここフィリピンでも既に顕在化してきているのだな、とも感じました。

フィリピンでも、先生は忙しいです。上述のようにOHSPは先生の献身的な取組によって支えられていますし、朝7時に学校が始まるところもあるなど、平日も大変です。また、もともと予定していた教員研修の開催直前になって、同日のスポーツ大会の運営補助に先生が駆り出されることになり、研修への参加者が大幅に減ってしまった…ということもありました。

また、「数年前に施行されたカリキュラムの教科書の草稿がやっとできて、いま政府で検定をしている。それまでは子どもに配れるものはない」「印刷費が足りないから、古いカリキュラムに則した問題集を今でも使っている」といった話も聞きました。

しかも、スポーツ大会の運営補助のような話は、先生を多忙にするだけでなく、そもそも「授業」という、生徒の学習のために貴重な時間的資源を奪ってしまっています。多くの学校で、やるべき単元が全部網羅できていない、という調査もあるようです。

さらに、OHSPの生徒の話を伺っていると、「学校がある」ことと「学校に行ける」ことの間には、大きなギャップがあることを感じさせられます。

フィールドスタディツアー中、あるグループインタビューでは、「大学に行くためにはお金がかかる」ということは半ばもう分かっていたので、「お金以外で困っていることはあるか」という質問をしました。

返ってきた答えは「通学が大変だ」という話だったのですが、よくよく聞くと、「平日毎日学校に通うための交通費がないから、OHSPに通っている」と。「お金以外」という限定を付けて質問しても、結局、問題はお金の面に帰着しているわけです。

加えて、OHSPの存在を誰から聞いたか尋ねると、「親戚」という答えだったりします。できてから数年の制度なので、いま働いている子どもも、雇用者も保護者も、存在を知らない恐れは十分にあると思います。知らない学校に行くことはできません。

カガヤンデオロ市のことを悪く言いたくはないのですが、こういった状況では、「どこに生まれても平等に教育の機会がある」と言い切れません。たまたま学校の近くに居て交通費がかからないとか、OHSPの存在を知っている人が周りに誰もいない中で働き続けているとか、そんな事情が教育段階を決めてしまうのであれば、本人の努力不足でいい仕事に就けていない、とは口が裂けても言えないな…ということをまざまざと感じさせられました。

他にも、学習インフラ(机のスペースが30×30㎝くらいしかないなど…)や、より細かいシステム面のことなど、仕事柄感じた点は多々ありますが、それを書き始めると長くなりすぎるので割愛します。とにかく、生徒も先生も情熱があり、そして、情熱だけでは解決できない構造的問題がはびこっている、というのが、滞在中を通じての感想です。

フィリピンへの「貢献」

ここまで、ある意味では「誰でも書ける」ことを書いてきました。途上国で貧富の差を激しく感じた、現地の関係者の情熱に触れた、教育の充実が求められる。自分の拙い表現力もあって、「色んな海外体験記に書いてあることと同じではないか」と我ながら感じてしまう部分もあります。

しかし、社会人として数年キャリアを積んだこの時期にインターンをすることには、普通の海外体験とはまた異なる独自の価値があったと思っています。それは、現地に対して「貢献」できたという実感があることです。

この1か月半、最も感情が揺れ動いたのは、上述のような生徒・先生方の情熱に触れた時ですが、最も充実感を感じたのは、①フィリピンの先生方へのプレゼンテーションをさせていただいた時と、②OHSP、MOHSPに通う生徒へのリサーチづくりに携わらせていただいた時でした。

①プレゼンテーション
現地教育局パートナーのアクロさんから「なんでもいいので、教育局と先生たちに、日本の教育についてしゃべって」と言われたのは、8月、割と来てすぐだったと思います。発表は9月上旬でした。

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数十人の先生、教育局職員の方の前で40分程度発表しました。

「なんでも」というのは一番難しいもので、日本の教育の全てを自分一人で話すことなど到底できませんし、小学校が6年あって…教科は国語算数理科社会…という話だけをしても、「ふーん」で終わりそうな気がします。

近年の政策の話は、これまでの取組とその目的が共有されていないと、新しさや意義が伝わりません。教育目的が違えば、アクティビティや指導法を紹介しても役に立ちません。

色々考えて、自分が留学で学んだトピックこそ、どの国の人でもある程度興味が持てるのではないか?という結論に達しました。冒頭書いたとおり、「国際的に見た学力と経済成長の関係」、「生徒の健康面や家庭の経済状況が学びに与える影響」などですね。

ということで、アイスブレイク的なトピックの後に紹介したのは、以下のようなグラフです。
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※出典:Hanushek, E. A., & Woessmann, L. (2016). Knowledge capital, growth, and the East Asian miracle. Science, 351(6271), 344-345.

左のグラフは、「教育を受けた年数」と経済成長率、右のグラフは「国際学力調査のスコア」と経済成長率の相関を取ったグラフです。(生の数字ではなく、「他の条件が同じなら」という仮定を置いた値です。)1960~2010年までのデータを使っているので、最新とは言えないのですが、ここから読み取れるのは、
・教育年数が増えたからといって、国全体の経済成長率が伸びるわけではない。
・テストスコアと経済成長率は強く相関する。

ということです(なぜそう読み取れるのか…ということに興味が湧いた方は、ぜひ原典をお読みください!論文はWeb上に公開されています)。

むろん、テストスコアがいいから経済成長したのか、逆なのかは、議論の余地がありますが、経済成長が全ての原因なのであれば、教育年数もテストスコアも、同じような相関図になりそうなものです。論文の著者の一人Hanushekはスタンフォードの教授なのですが、彼は、テストスコアが経済成長を牽引している、と主張しています。

この図を用いたのは、フィリピンがかなり目立つからで、教育年数は増えているのにテストスコアが伸びておらず(=クオリティを引き上げられておらず)、アジア諸国(赤色)の中で、唯一経済の伸びが悪い国になっています。

先生方が教える内容が変わるわけではないので、こんな話はあまり興味がないかもなあと恐れていたのですが、プレゼン後、一人の先生がわざわざ話しかけてくださり、「テストスコアのグラフが興味深かった、クオリティが重要ということが分かった」とコメントしてくださいました。

卒業してもらうだけでも大変であるとしても、学力の向上を引き続き目指していくことが大事…というメッセージを届けることができたのかなと思っています。

また、健康面が生徒の学力に影響するというのは、直観的にもわかりやすい話ですが、中国の農村部で、視力の悪い子にランダムにメガネを配ったところ、中退率が半減したという調査があります。

そんな論文を紹介しつつ、「生徒の視力を把握していますか」という質問をしたところ、手を挙げたのは1人だけでした。そんな話につなげて、日本では健康診断が毎年あって…健康や物理的な学習環境は大事で…公立小中学校で空調を設置する予算を最近確保して…というお話をさせていただきました。

空調をすぐ先生が設置するのは無理ですが、いずれにせよ、「教えても学力が伸びない=教え方が悪い」と結論づける前に、健康、環境面など複合的な要素を考慮に入れるべき…ということが、その場の校長先生などに伝わっていれば幸いです。

そして、先生の熱意によって教育現場が支えられていることに感動したと同時に、行き過ぎると、教員の長時間労働という問題を引き起こすこと(OECDの調査でも既に指摘されています…)や、何でも先生がやるのではなく、家庭・学校・地域の協働が大事で、例えば日本では、多様な形で学校と地域が連携しており、公立学校では、地域とコミュニケーションを取るための組織の設置が努力義務化されている…といった話をしました。(ちなみに、学校・地域連携は、文部科学省による英語のパンフレットにも載っています。)

こうしたコンセプトを端的に表したものとして、プレゼンの最後に、スタンフォード教育大学院の学長の

You need to make a change with people, not to people.

という言葉を紹介したのですが、終了後のアンケートでも、この言葉を引いてコメントをくださる方がいて、少なくとも趣旨は伝わったかな?と思いました。

長々と書きましたが、要は、「日本の制度面の知識なんて面白くないだろうな」「大学でも制度面を中心に学んでいるしな」とはじめ思っていたのですが、いざ話してみると、思った以上に、そういった視点からの話も歓迎してもらえたし、日々の業務や教育活動にとって身近な話題を、少し変わった角度から提供できたのかな、という気がしています。プレゼンの資料は、後でほしいとアクロさんからも言ってもらえて、人生のこの時期にフィリピンに来てよかったな、と感じました。

②リサーチの企画立案
もう1つ「よそ者」であることが役に立ったなと思うのは、OHSP、MOHSPに通う生徒へのリサーチの企画立案です。正確なデータは、支援の対象、ニーズ、今後の取組などを決めていくためになくてはならないものですが、定量的な分析に使うための調査を設計するのは、意外と難しいです。

また、生徒へのアンケートを伴うものは、後から「あれも知りたい、これも知りたい」と言って追加するわけにはいかないので、内容を精査しておく必要があります。

ちょうど、OHSP・MOHSPとも、今後の支援活動の方向性を考えるために、まず現状把握をしっかりしようとしている時期でした。質問項目を現地スタッフと一緒に考えていたのですが、これは、留学で論文執筆を通じて学んだことが、そのまま役に立ちました。

何をなぜ知りたくて、結果何になるのか?という基本的な枠組みをセットするところから、どんな仮説を持っているのか、それを検証するためには選択式と記述式どちらがいいのか、複数選択と単一選択ではどちらが分析の目的に合うか…など、現場のリサーチ方法に付加価値を提供する役割が果たせたと思っています。

NPOでは…とまで一般化できるのか自分の知識では自信がありませんが、少なくともe-Educationでは、職員の方々は皆それなりに多忙です。4か国それぞれ文化も慣習も異なる場所で多様なプロジェクトを同時並行で運営しなければなりませんし、日本側で、ファンドレイジング、広報、中長期計画の作成などやることも多いと伺っています。慣習的にインターン生ひとりに裁量も多く与えられています。

そんな中で、どんな業界にせよ、そこそこ職歴のある人間が入っていって、知っていることや素朴な感想を伝えることには、小さいけれども意味があったと思っています。それは自分の能力がどうとかではなく、そこそこ職歴ある「よそ者」であれば発揮できる、ある種お手軽なバリューなのかもしれません(もちろん、その小さな貢献は、長期間にわたって、たくさんの方が汗を流してきたからこそあるのですが)。

<余談2>異文化交流で貢献(?)

フィールドスタディツアー中はどの学校でも本当に歓迎してもらい、お返しに参加者有志でソーラン節を踊りました!めちゃめちゃ久しぶりでしたが、勢いでやりきりました。音楽とダンスを通じた文化交流ができて、プレゼンやリサーチの企画立案の次に充実感がありました!
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3.「社会人」×「インターン」

思い返すと、民間企業から文部科学省に転職するときも、1か月ほど自由な期間があったので、ロサンゼルスに語学留学をしてとても刺激的な日々を過ごし、「いつか今度は学位を取りに留学しよう」と決意をしました。

今回のインターンでは、自分の将来の道が決まるようなことはありませんでしたが、自分が今までやってきたことが、何かしら他のフィールドでも役に立ちうるというのは、大きな発見であり、喜び、達成感、自信など、色々なポジティブな感情を抱くことができました。

また1年間アメリカで勉強をしたり、公務員として仕事を続けていくにあたって、大きなモチベーションの1つになるだろうと思っています(公務員からNPO・民間に転身、という道を選ぶ方もそれなりにいらっしゃいますが、自分は転職するつもりはなく、まず留学の成果をきちんと政府に還元したいと思います。)。

「社会人の学び直し」「リカレント教育」という言葉が使われ出して久しいですが、リカレント教育の舞台は、大学に限定されていません。社会人として数年を過ごし、有形無形のスキルを身に着けてから、短期で別の組織に飛び込むというのは、大きな気づきと学びのある「リカレント教育」の一形態になり得るのではないかと思います。

ちなみに、フィールドスタディツアーでは、理系の研究職からIT関係に転身された方が同じグループにいらっしゃいましたが、その方の分析的な視点や資料作成のスキルもまた、ツアーの最終プレゼンをまとめるために、なくてはならないものでした。もしその方が1か月以上カガヤンデオロ市にいらしたら、いったいどんなバリューが生まれただろう…と、想像しただけでワクワクします。

もちろん、たとえ転職休職がしやすい業界にいてもなお、まとまった期間別の組織で過ごすというのは、そんなに簡単ではないと思います。自分自身、そもそも留学中の夏休みという特殊な時期があるからこそできたことですし、航空券から宿泊費交通費まで、滞在中は全部自腹です。

物価が安い国のためなんとかなっていますが、出費がかさむライフステージにいらっしゃる方にとっては、厳しい面もあるかと思います。ですが、1年2年仕事を離れることは難しくても、1か月前後ならなんとかなる…転職の合間なら有休消化で時間がとれる…といった方がもしいらっしゃるのであれば、「社会人」×「インターン」は、ご自身と受け入れる団体がWin-Winになり得る、大きなポテンシャルを秘めた取組だと思います!!業種・職種を問わず、思いもかけないところで、社会人としてのスキルは生きるはずだと、私の個人的な体験からは思います。

まとめると、自分にとって、e-Educationのインターンは、「世界を知りたい」という当初の素朴な願いを叶えてくれるもので、学校教育の現場もそれ以外の現場も、「この目で見てきた」としっかり言える経験ができました。かつ、「自分の職歴学歴を通じて現地に小さな貢献をする」という、社会人ならではの刺激的な体験でもあったと思っています。貴重な機会をいただいたことに感謝して、この学びを、留学2年目の勉強、そしてその後の仕事に活かしていきたいと思います!長文にお付き合いいただきありがとうございました!

※この記事には、所属する・していた組織の見解を代表する内容はございません。Picture1


途上国の教育課題を若者の力で解決する

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