Hola! e-Educationパラグアイプロジェクト担当の田才諒哉です。日本の反対に位置する国パラグアイにて、南米初のドラゴン桜を咲かせるために活動しています。
前回は、パラグアイ出発までの国内での準備期間のことについてお話致しました。
いよいよ今回から、ゼロから飛び込んだパラグアイでの活動についてお話させて頂きます。
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1年ぶりにパラグアイに到着!
首都アスンシオンのシルビオ・ペッティロッシ国際空港
日本から片道約35時間。飛行機を3回乗り継ぎ、ようやくパラグアイに着いた頃にはどっぷり疲れが。
それでも、1年ぶりのパラグアイに心は踊っていました。
空港に到着し、出迎えてくれたのは、去年パラグアイで友達になった日系パラグアイ人の2人でした。
「久しぶり!」「長旅お疲れ様!」
そう、彼らは日本語を話すことができます。地球の反対側で日本語が使われているなんて、ちょっと不思議な感覚です。僕がパラグアイに再び帰ってきたいと思った理由の一つには、日系パラグアイ人との出会いもありました。
パラグアイの日系社会
パラグアイには、いくつかの日系移住地が存在します。78年前よりパラグアイへの移住がスタートし、現在も7,000人を超える日系パラグアイ人が住んでいます。
移住地によっても差はありますが、日本語を話すことが出来る人も大勢います。日本の文化を失わないために、積極的に日本語教育、文化伝承も行われているのです。
移住地で行われる運動会の様子。ソーラン節を踊っています。
パラグアイはとても親日な国です。それは、これまで日系人がパラグアイに果たしてきた貢献の現れだと思います。
2011年の東日本大震災の際にも、「豆腐100万丁プロジェクト」と題し、日系移住地の一つであるイグアス移住地を中心に、被災地に豆腐100万丁分の大豆が送られました。
日本の反対に位置する南米パラグアイ。実は、遠いようで凄く日本に近い存在なのです。
まずは教育の現状を知ることから!
とにもかくにも、まずはパラグアイの教育の現状を知ることから始めなければなりません。
さっそく教育関係者の方々にインタビュースタート!…できたら良かったのですが、今の自分のスペイン語力では到底無理でした。パラグアイに到着してから、様々な場面でパラグアイ人と話す機会がありましたが、スペイン語がまったく分かりません。
パラグアイ人:「◎△$♪×¥●&%#?!」
僕:「Sí…(はい…)」
着いてすぐの頃は本当にこればかり。
パラグアイで使われるスペイン語はカステジャーノと呼ばれ、スペインで使われるスペイン語とは異なります。また、同じ南米でも地域によって発音やイントネーションが違ったり、単語の意味の使われ方が違ったり。日本にいる間に必死に勉強したものの、実際に使ってみるとこれほどまで使えないとは…。この状態でパラグアイ人にインタビューするのは絶対無理でした。
ではどうすれば良いでしょう?
答えは冒頭でお伝えした通り!
パラグアイにはたくさんの日系パラグアイ人が住んでおり、現地の大学に通う日系人ならきっと日本語でインタビューができるはず。こうして現地の大学事情について調査するべく、日系人の大学生探しが始まりました!
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