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「看護師として国際協力を」

珍しいキャリアではない。途上国では日々多くの人たちが命を落としており、その命を救うために世界中の医師や看護師がボランティアとして各地を訪れる。

ただし、彼らの活動期間は限られている。数日間から数週間、青年海外協力隊として活躍する人たちの任期も2年間である。

これに対して、17年間東南アジアで訪問介護の仕事をしてきた赤尾和美さん。現在は、NPO法人フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANに所属し、ラオスで病院を立ち上げる大きなプロジェクトに関わっている。

もともと国際協力や看護師というキャリアに興味もなかったと話す赤尾さん。彼女はなぜ17年もアジアで看護の仕事を続けることができたのだろう?

彼女が国際協力の道を歩き始めたキッカケとは?そして次の10年先に何を見るのか?

赤尾さんの生き方、そして素顔に迫ります。

(聞き手:徳永健人)

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ハワイからカンボジアへ

ーー現在、ラオスで看護師として活動をされていますが、もともと国際協力を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

もともと国際協力をしようなどとは一切思ってなかったですし、看護師になるとも思っていませんでした。むしろなりたくなかったです(笑)

自分が働けるところで働くというのが普通でした。自分の成り行きの中でなんとなく看護師になったので、数年国内で勤務したのですが、やはり自分のやりたいことがあまり見えなくなってしまいました。そうした中で好きだった人がアメリカにいたこともきっかけで(笑)

渡米することを決断し、アメリカの看護師のライセンスを取ることしました。その後ハワイのHIVクリニックで勤務したのですが、看護師と医師の立場が日本とは違って、看護師も医療に対する意見を求められる機会が多々あり、目からウロコが落ちました。さらにそこではいろんな人種の方が同じ国で同じ職場で働いていて、ものすごく新鮮に感じました。

そこでしばらく働くことになったのですが、ある転機がありました。ライセンスを取った時に行った看護プログラムの校長先生がカンボジアのアンコール小児病院の看護部長になったんです。現地の看護師を教育するための看護士が必要で、2か月でもいいからカンボジアに来てくれないか、と言うのです。

ーー突然のお誘いですね。それでカンボジアに行かれたのですか?

はい。とはいえ、1998年~99年の当時は、カンボジアについて今のようにネットで調べられるということはなく、ちらほら見るのはバックパッカーの記事や危険地帯の案内ばかり。ですが、行ってみたいという気持ちもあったので2か月であればどんなに嫌なことがあっても我慢できるかと考えて、実際にカンボジアでお手伝いをすることになりました。

しかし、2か月が経つころ、私の考えは変わっていました。どうしても(ハワイに)帰りたくないなと思う自分がいました。というのもカンボジアでの生活は思っていたものとは全く違い、常に五感を刺激されるような環境に身を置けることを気づかされたからです。

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帰りたくない

ーー「帰りたくない」ですか。よっぽどカンボジアの生活が新鮮だったのでしょうか?

そうですね。例えば「きれいなものを見る」、「いい香りをかぐ」という感覚だけでなく、「汚いものを見る」、「臭いものをかぐ」という感覚は、おそらく日本やアメリカで暮らしていては感じることができなかったでしょう。

それらを感じるチャンスをもらったことによって、むしろ心地よくさえ感じたのです。その後一度ハワイに戻りはしましたが、カンボジアで感じたものが失われてしまうのではないかと思い、ハワイでの仕事を辞めてカンボジアに移り住むことにしました。

ですので、もともと国際医療を目指していたというわけではなく、たまたまそういう環境に身を置いたことによって気づかされた、というのが大きなきっかけです。当時はその活動が国際医療であるという認識もありませんでしたし、そういう目的などもありませんでした。

看護師としての生活の成り行きの中でもっとこの経験を得られる環境に身を置きたいとの想いで、今の活動につながっていったのだと思います。

ーーやはり、今の活動を続ける原動力になっているのは、活動への使命感などによるものでしょうか?

「私が助けなきゃ」とかそういう使命感みたいなものではありませんでした。カンボジアに行ったとき、忘れてしまっていたすごく大事なものを思い出させてもらった経験から、もう少し自分の身を置く必要性を強く感じました。

私がハワイでのうのうと暮らしているこの瞬間にも同じ時間に世界のどこかにこういう現実があったってことを知らないままでいたことにびっくりしましたし、そこの中にもう少し入り込みたいという気持ちが強いです。

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ラオスの医療現場の課題

ーーラオスの医療事情は実際どのような状況なのですか?

かなり遅れています。

ある方からお聞きしたところ、保健関連の会議の中でもアフリカの1か国とラオスが際立って遅れていると報告がされたこともあるようです。これまで地理的な要因などでいろんな支援が入りにくかったということなどもありました。

国自体が(他の国と比べて)知名度が低く、外国からの支援をこれまで阻んでいたなどの長い歴史もあります。今のラオスの現状はカンボジアの10年前などの様子とどこか似るところもあります。

ーーやはり外国からのの支援が拒まれるのであれば、現地に入り込んで活動するNPOの立ち位置が重要となっていきそうですね。

そうですね。そして活動としてはやはり人材を育成しないといけません。

とはいえ、ただただ教育さえ受けさせればいいかというとそうではなく、「根付くもの」といった風に考えていかないと現地でそのノウハウが残らないという状況があります。

例えば、医療機器メンテナンスのできる人材の育成のためにタイで研修を受けさせたとしても、根付かせるようなフォローアップがないのです。今では倉庫で医療機器がほこりをかぶってしまっているような状況で、研修へ行ったその方は、わきのコンピュータでゲームをしていたり・・・。その方がラオスに戻って来た時にその知見を根付かせる体制というのも必要ですね。

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葛藤すら楽しかった

ーー苦労したこと、大変だったことはありますか?

よく聞かれるんですがあまり感じたことはないです(笑)むしろその状況を楽しいとさえ思います。私は「不便の心地よさ」と呼んでいるのですが。カンボジアとかラオスで活動していても、長いプロセスに立ち向かう必要があったりですとか、時には逆戻りしながら進めていく必要があります。

私にとってはそれがとてもやりがいでした。強いていえば、アメリカや先進国から来たボランティアの方が、自らの価値観とか方法論を途上国側に押し付けようとするのを、「そうじゃないんですよ」って説得するのが一番難しかったですかね。

ーー途上国で医療行為を行う中で、相当難しいことがあると思うのですが?

苦労はないと言いましたが、葛藤はありました。やりたいことと、できることというのは違います。そこまでお金がなかったりとか、人材がいなかったりとか。スキルがなかったりとか、術(すべ)がなかったりとかいうところで、できないことが多くてそこで葛藤を起こすことはすごくありました。

今でも思い出して何かできなかっただろうかと思うことは何度もあります。それを一般に苦しいことというか、苦労と捉えることなのかもしれませんが、その葛藤を自分の中でどう納得していくかというプロセスもやっぱり学びの場にはなっていました。そのプロセスが楽しかったのかもしれません。

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カンボジアとラオスを通じて17年間活動してきた

10年先を見据えて

ーー活動の拠点がカンボジアからラオスに広がり、今後どんどん活動規模が大きくなると思うのですが、今後のビジョンはありますか?

現在ラオスで進めているプロジェクトは10年間のプロジェクトです。すでにスタートして1年が経つのですが、9年後にラオスの政府に引き渡すということが決まっています。そうすると「引き継げるものをつくる」ということが重要です。

あまり規模を大きくさせて現地のスタッフが引き継げないようなものをつくるとその10年が無駄になってしまいます。「引き継げるものをつくる」、そこを見据えた上で、何ができるかというところが重要です。

かといって、もちろん現状のまま維持をしたのでは意味がないので、そこが一番難しいところではあるかと思います。なので、一応あと9年で引き渡すにあたってどこまで進めていくのがいいかというのは、たとえば外来ではこの程度のことをしましょう、院来ではこのようなことをしましょうというようにそれぞれの大まかなプランで進めています。

ーーそして昨年、病院をオープンされたんですね。

はい。去年の2月11日にオープンした病院では、外来からオープンしました。一気に全部オープンはできないためです。そして8月に入院病棟をオープンして、11月に救急部門をオープン、今年はクラウドファンディングにも出している手術室だとかICU・救急治療室をオープンしていきます。少しずつそのできることと規模が大きくなっています。

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ルアンパバーンに開院した「ラオ・フレンズ小児病院(LFHC)」

しかし、単純にその手術室を拡張するかというとそうはできません。このコンパクトな中に質の高いものを埋め込んでいく、それで9年後に引き渡せるものを完成させるというのが目標です。そのときにローカルスタッフが他のローカルスタッフに教えることができるような人材に育ってくれているということが目標です。

あと、私が専門でやっているのが院外の訪問看護ですとかアウトリーチといって村に出ていく仕事なので、その仕事はやはり継続していきたいと思います。それについてもやっぱり、今ラオスの政府がアウトリーチでやっている活動の中で将来的には全体の底上げができるようなプロジェクトを実施していきたいと思います。

ーークラウドファンディングにかける意気込みをお願いします

私たちは初めてクラウドファンディングへ挑戦します。

今までチャリティマラソンなどは個人でやったことはありましたがやはりとても大変でした。その時の経験から、目標金額を達成することの難しさとうのはとても実感していますし、今回こういうチャンスをいただけたので是非とも達成させたいと考えています。今回成功させて次へどんどんつなげていきたいと考えています。

成功してHEPAフィルターユニットが手術室に入ることになるとおそらくラオスで初めてなのではないかと思いますし、病院の評価も上がります。それだけたくさんの子どもを手術して述語も経過よく過ごしてもらえるのではないかと思います。(成功するか)ドキドキしています(笑)

『VOYAGE PROGRAM』での挑戦

『VOYAGE PROGRAM』は、国際最大規模のクラウドファンディングサービスを手がけるREADYFORが新たにはじめた国際協力活動応援プログラムであり、NPO法人フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANは第一回参加団体に選出されました。

赤尾さんたちは「年間800人の命を救う、清潔で安全な手術室をラオスに作りたい」というプロジェクトの成功に向け、現在活動資金を集めています。

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途上国の教育課題を若者の力で解決する

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