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【インタビュー】支えられる側から支える側へ:私だからこそできる支援の形

昨年、私たちは日本に住む海外ルーツの子どもたち(越境児童)の支援プロジェクトをスタートしました。本当に多くの方に応援、ご支援いただき、確かな成果が見えてきた一方で、いまの仕組みだけでは解決できない課題——「心の孤独」も浮かび上がってきました。

 

海外ルーツの子どもたちは、言葉もわからない・知り合いもほとんどいない中で、
日本の学校生活を始めなければなりません。

友達ができにくい、安心して話せる人がいない――。

心細さを抱えながら、日々を過ごしている子どもたちが少なくありません。

 

そんな「心の孤独」を解消し、学びを育むためのメンターモデルを届けるため、e-Educationでは6月2日より「ひとりじゃないから、学びは育つ。」と題して日本に住む海外ルーツの子どもたちを支援するためのキャンペーンを開始。7月31日まで100万円のご寄付を募っています。

 

今回はこのキャンペーンに合わせて、虹の架け橋の卒業生で、現在虹の架け橋のスタッフとしても活躍しているAさんにお話を聞きました。虹の架け橋 菊川小笠教室は、来日直後の越境児童に日本語や文化を教え、公立小学校・中学校への編入を支援しています。

 

【インタビュー】支えられる側から支える側へ:私だからこそできる支援の形

—— 本日はインタビューよろしくお願いします!いま「虹の架け橋」では、どんなお仕事をされていますか?

現在、虹の架け橋で、小学1年生から中学3年生までの子どもたちに、算数や数学を教えています。特に、生徒が日本語で理解できないときは、私が英語やタガログ語を使って説明を補うようにしています。

日本語の授業も担当しており、ひらがなをカードで覚えたり、日常生活で使う単語を学ぶカードを使った授業も行っています。

また、まだ母語がしっかり形成されていない小学1年生くらいの子どもたちには、母語(タガログ語・ヴィサヤ語・英語)での授業も行っています。たとえば、スペルをどこまで覚えているか、日常の単語を読めるかどうかなどを確認しながら進めています。

Aさん
Aさん

—— タガログ語・ヴィサヤ語・英語で指導もしているんですね。そこに加えて日本語も使っていて4つの言語でお仕事をされていて、すごいですね…!虹の架け橋でお仕事をする中で、楽しい瞬間はどんな瞬間ですか?

授業中も休み時間も、子どもたちと関わることがとても楽しいです!日本での生活の中で一生懸命に勉強している子どもたちの姿を見ると、嬉しくなります。自分自身も同じような経験をしてきたことから、生徒から質問を受けることもあり、実体験に基づいてアドバイスをすることもあります。

たとえば、「日本の生活に慣れるために、こういうことをするといいよ!」だったり、「日本の学校にずっといても、フィリピン人とばかり一緒にいたら日本語は伸びにくいよ!勇気を出して話しかけてみて!」といったものです。

実際に小学校に通い始めないと、日本の学校のイメージは付きづらいですから、こうした私の実体験に基づいた話をしたりします。

 

——ご自身の実体験からお話しされているのですね。Aさんご自身は小学3年生の時に日本に来たと伺いましたが、その頃のことを少し教えていただけますか?

小学3年生のときに日本に来ました。当時、フィリピンでは成績も良く、友達もたくさんいたので、日本に来ることにはあまり前向きではありませんでした。正直なところ、「日本には行きたくない!」という気持ちでした。虹の架け橋に通い始めた当初は、フィリピンが恋しくて仕方がありませんでした。

ただ、虹の架け橋での毎日はとても楽しく、当時すでに在籍していた海外ルーツの子どもたちが助けてくれたことをよく覚えています。

 
ひらがな
ひらがな

半年ほど通った後、いよいよ日本の公立小学校に編入しました。
クラスメイトは全員日本人で、周りに同じ境遇の子どもがいなかったため、誰に頼ればいいのか分からず、とても心細かったです。休み時間には、クラスの子たちが私に関わろうとしてくれていましたが、日本語がよく分からなくて、うまく会話ができず、もどかしい思いをしました。

授業では、黒板に書いてあることをメモするのがやっとで、漢字も読めないものが多くありました。虹の架け橋で掛け算や割り算を学んでいたので、算数の授業にはなんとかついていけましたが、そのほかの授業はとても大変でした。

たとえば、ある日「転校する友達にメッセージを書こう」というイベントがあったのですが、私はそれを勉強の一環だと思い、「これは何の勉強なんだろう…?」と混乱し、結局何も書けずに提出してしまいました。

給食もつらいものでした。フィリピンの食事と味が違いすぎて、無理して食べて吐いてしまったこともあります。毎朝起きるたびに「学校に行きたくない」とお母さんに訴えていました。それでも、お母さんが励ましてくれて、なんとか通っていました。

転機は小学校4年生になる頃。「このままじゃ嫌だ!自分からもっと関わって、話していこう!」と決意しました。来日してから、日本語がうまく話せないことでからかわれることもありましたし、自分の意見が言えなくて悔しい思いもたくさんしました。

その経験があったからこそ、「自分の伝えたいことを伝えたい」「友達とちゃんと関わりたい」という気持ちが強くなり、日本語の勉強にも一層力が入りました。

 

—— 日本に慣れていく中で、支えてくれるような人たちとの出会いはありましたか?

小学5年生ごろから、だいぶ日本での生活に慣れてきて、学校生活も次第に楽しくなっていきました。クラス全員でドッジボールをして、そこから自然とみんなと仲良くなることができたり、休み時間もみんなと積極的に関われるようになりました。

以前は授業中に分からないことがあっても、恥ずかしくて質問できなかったのですが、友達との関係が深まるにつれて、気軽に質問できるようになりました。

また、ちょうどその頃から小学校で英語の授業も始まり、今度は逆に自分が友達に教える場面も出てきました。助けてもらうだけでなく、教える立場になることで、お互いに助けあえる関係を友達と築けるようになっていったと思います。


—— クラスメイトに恵まれたのですね。同時に、そこにはAさん自身の努力があったからこそ、クラスメイトも応えてくれたのではと感じました。学校の勉強については難しいことはありましたか?

小学4年生から5年生の半ばまでは、学校内の日本語教室に通っていました。そこでは先生に国語や理科といった科目勉強のサポートをしてもらいながら学んでいました。その後、通常の授業にスムーズに参加できるようになるための準備をするために、日本語教室のサポートを受けることを終了しました。

日常会話の日本語のレベルはだいぶ上がってきていましたが、それでも授業はやはり難しく、苦労もありました。特にテストでは赤点に近い点数を取ることもありましたが、そんなときは友達が一緒に勉強してくれたので、とてもありがたかったです。

 
にほんご
にほんご

中学校に入ると、漢字の数も一気に増え、国語の文章もさらに難しくなりました。そこで、自分なりに予習をして、教科書にふりがなをふったり、家で先取り学習をしたりして、少しでも理解を深めるために努力しました。

国語の授業で、みんなの前で音読をしなければならない場面では、「スラスラ読んでいる姿を見せたい!」という思いがあったため、家でふりがなをふって練習するようになりました。周りの人の3倍以上の努力をして、必死に毎日の授業やテストに臨んでいました。

 

——現在、虹の架け橋教室で海外ルーツの子どもたちと接していて、勉強以外の話をすることはありますか?

休み時間によく話しています。

虹の架け橋で自分と似た境遇の子どもたちと接していると、「自分もこんな気持ちだったな」と共感することがあります。
たとえば、子どもたちが友達や先生とどう接したらいいのか悩んでいたり、学校でどんな行事があるのか分からなかったりする様子を見ると、昔の自分と重なります。

 
Asan2
Asan2

私自身も、日本の小学校に入ったばかりの頃は、朝の会で日直が何をするのか分からなかったり、委員会活動やクラブ活動、運動会の話し合いなど、日本特有の学校文化に戸惑うことがたくさんありました。日本語がよく分からない中で、どう動けばいいのか分からず、不安な気持ちになっていたのを覚えています。

生徒からは「日本の学校ってテストはどうやるの?」「中学校にはどんなテストがあるの?」といった質問を受けることもあります。
そのときは、「中学校になると期末テストがあるよ」と伝えつつ「最初はできなくて当たり前だよ」とも伝えるようにしています。
「自分ができることから少しずつ始めてみようね」と声をかけるようにしています。

友達との関わり方について相談されることもあります。日本人の友達と過ごすときには、遊び方やコミュニケーションの取り方などがフィリピンとは違い、気を使うことが多いという話もよく出ます。

そうした話を一つひとつ聞きながら、自分の経験をもとにアドバイスをするようにしています。


——今回、e-Educationでは新しく”オンライン・メンターモデル”を始めようとしています。このメンターモデルが始まったら、どんな風に後輩たちを支えていきたいですか?

子どもたちには「たくさんの経験をしてほしい」と伝えたいです。自分自身の経験からも言えることですが、「みんなと会話できなくて悔しい」「もっと日本語を学びたい!」という気持ちから、新しいことにチャレンジする気持ちが生まれることもあります。
何事にも前向きに挑戦できるような後押しをしていきたいと思っています。

学校の勉強だけでは、なかなか日本語は上達しません。だから、勉強だけにとらわれず、楽しいことに意識を向けながら、日本語で友達と関わったり、大人たちと話したりする中で、言語や日本の文化を自然に身につけていけたらいいと思います。

日本語や文化がよくわからないという理由で、自分は他の子と違うからとクラスの友達から距離を置いてしまうのは、もったいないことだと思います。助けてもらうことは大事ですが、それだけでなく、自分も友達に対して行動で示し、頼られる存在になってほしいと思っています。そうした双方向の関係性をつくれるよう、メンターとして後輩たちを支えていきたいです。

 

——最後に、今この記事を読んでくださっている支援者の方に伝えたいことがあれば教えてください。 

支援者の皆さま、いつもあたたかいサポートをありがとうございます!皆さまのご支援が、子どもたちの学びに直接つながっていると、虹の架け橋教室で日々感じています。

 

自分の経験をこう話すことは初めてだったので、記事にしてもらえてとても嬉しいです!私と同じような境遇の子たちが、一人でも多く前を向けるように、引き続き越境児童のことをサポートしていただけると嬉しいです。

 
集合写真
集合写真

編集後記

いかがでしたか?Aさんの「人の3倍努力して勉強した」という話や、「このままじゃ嫌だ!」と勇気を出して友達に話しかけたエピソードには、胸を打たれました。

もし自分が同じ立場だったら、そんなふうには行動できないかもしれない——そう感じた方も多いのではないでしょうか。

越境児童の数は年々増え続けています。

今まさに孤独を抱えている小学生・中学生には、「今」、ロールモデルとなる先輩の存在が必要だと私たちは考えています。

必要なタイミングで、必要な支援を届けるために。オンライン・メンターモデルの確立に向けて、活動資金を集めています。

目標金額の100万円が集まると、今年支援予定の生徒に対して、通常のプログラムに加えて、メンターモデルを届けることが可能になります。



Aさんがすでに示してくれているように、「自分もあんなふうになりたい」と思える人に出会えることが、越境児童が自分らしく生きられる人生を切り開く力になると信じています。
そしてその循環は、未来の越境児童たちの人生も大きく変えることのできる”うねり”に繋がるのではないでしょうか。

現在e-Educationは、日本以外の4カ国、バングラデシュ、ネパール、フィリピン、ミャンマーでも引き続き活動を続けています。

最高の教育を世界の果てまで届けるために、ぜひ寄付で応援していただけますと幸いです。

 

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