はじめまして!
e-Education Projectインドネシア担当、一橋大学の尾崎綜志です。
これからトジョウエンジンで現地での活動の様子をご紹介していきます。初回は、僕のバックグラウンドや、なぜe-Educationに参加したのかについてお話しさせて下さい。
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強烈な虚無感
高校の頃、僕はサッカー部でした。
引退が決まった最後の試合、僕はベンチにいました。泣き崩れる仲間たちがいる中、正直に告白すると、僕には何の感情も生まれませんでした。悔しくもなければ、嬉しくもない。強烈な虚無感だけが残っていました。
「この空っぽな気持ちは、試合に出られなかったからだ」
そう思った僕は、とにかくレギュラーになって活躍したいという思いを抱えながら、一ツ橋大学へと進学しました。そんな中でピンときたのが、大学の中で最も「体育会」と言われる男子ラクロス部でした。
「尾崎が?まさか体育会?」
高校の友人たちからは笑われ、驚かれましたが、自分の中では譲れない挑戦でした。
初めての大泣き
一橋大学のラクロス部は、思っていた以上に「ガチ」でした。
入部した年に初めて全国制覇を果たし、イメージとのギャップを感じながらも半ば周りにつられるようにしてのめり込みました。0から少しずつ上手くなってことが本当に楽しく、ひたすら練習した結果、1年の最後の新人戦ではオフェンスリーダーを任されました。
実はこの新人戦、退部者が続出して練習試合も全く勝てず「最弱の世代」と言われていた状況を見返す最後のチャンスでした。そのリーダーを務めるということで、かなり責任感を感じる日々。厳しい通常練習に加え、大会用の練習を導入し、余った時間は自主練や筋トレに打ち込みました。思い出したくないほど忙しかったです。
しかし、肝心の本番は点を決められずに予選敗退。「最弱」の烙印が押される結果となりました。
「あれだけ頑張ったのに、あれだけみんなに努力してもらったのに・・・」
そう考えると申し訳なく、本当に悔しく、試合が終わった後、生まれて初めて大泣きしました。
ただ、この経験は自分にとって非常に大きなものでした。自分が「単なる一員」ではなく、初めて主体的になれた経験であり、自分が変わったと思える瞬間でした。
「最弱の世代」の快進撃
悔しさをバネに、僕は部活を4年間続けました。
もちろん道のりは順調ではなく、自分自身挫折したり、失敗したり、チームに迷惑をかけたりもしました。それでも、このまま「最弱」で終わりたくないという想いは強く、部活に明け暮れました。
そして迎えた部活最後の年。最初はボロボロの成績でしたが、学生王者を目標に掲げ、毎日ラクロスのことだけを考えて過ごしました。練習試合では必ずしも良い結果ばかりではなかったものの、迎えた大会本番は今までの鬱憤をはらすがごとく連勝、ついに無敗で大会決勝にまで進みました。
迎えた大会決勝、僕たちは全力を尽くしました。
しかし結果は5−8。惜しくも勝つ事が出来ませんでした。それでも気づけば、あの全国制覇した代に次ぐ成績となりました。
自分はというと、常にレギュラーという訳ではありませんでした。サポートにまわることも多かったです。それでも引退が決まった瞬間は多いに泣き、多いに笑いました。
高校の時に感じた虚無感は、レギュラーで活躍できなかったからではなく、本気で取り組めなかったからでした。そのことを実体験として理解できたことは大きな財産であり、新たな環境に飛び込んで頑張り抜いたことは大きな自信になりました。
迎える就活と転機
部活を4年間やり終えた後、僕は皆より1年遅れて就活を本格的に始めました。就活を始めると、部活の時に会えなかった人たちに会える機会が増え、社会に触れることにワクワクしつつも、不安が押し寄せてきました。
「大学生活は、部活だけで良かったのか?」
自分が社会で活躍するイメージ像が浮かびません。就活ではラクロス部の経験の中から社会人として使えそうな要素を切り出して自己PRしましたが、正直なところ、本当にそれが役に立つのかなんて分かりませんでした。
「自分には何ができるのだろうか?社会人になる前に、せっかくある大学5年目の期間に、なにかしら社会に働きかけ、プラスの影響を与えることはできないか?」
そんなことを考えていた矢先に飛び込んできたのがe-Education Projectの募集記事でした。
e-Educationの衝撃
実は以前からe-Educationの話を聞いたことはありました。友人から話を聞いた時は、「そんなこともやってるのか、すごいな」という程度だったものの、改めて募集記事を見て、メンバーがみな同じ大学生であることを知り、衝撃を受けました。
ブログを読み、本も読み、「自分も負けられない!」と思った瞬間、自分でも驚くほど迷いなく応募フォームに記入していました。
1度面接に落ちましたが、ここは元ラクロス部。何が敗因だったかを分析し、足りない部分をしっかり磨き、あきらめずに再び応募しました。
そして迎えた最終面接。ありったけの想いを伝えました。
「このまま大学生活を終わりたくない。大学最後に、もう一度、大きな挑戦をしてみたいです!」
結果は合格。インドネシアプロジェクトを担当させてもらうことになりました。
全く新しい挑戦へ
部活一本だった僕の、インドネシアで始める新たな挑戦。
今まで海外経験なんてほとんどなく、そういう世界と正反対の位置にいた人間です。わからない事だらけですが、部活で、そして今までの人生の中で、生かせることがきっとあるはず。
インドネシアでは、前任の坂井が見つけた候補地はあるものの未確定で、ほぼゼロからプロジェクトを立ち上げていくことになります。
目標は、2014年6月の大学試験で成果を出すこと。大学進学率が10%程度のインドネシアにおいて、大学に入ること自体珍しいことです。
でも、大学という新たな環境に飛び込んで、自分で自分の人生を変えてたいと思う生徒がいるならぜひ応援してあげたいし、大きな目標に挑戦する素晴らしさをぜひ伝えたい。
こんな想いを胸に、インドネシアで新たな挑戦を始めます!
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