外で弁当、ソロ

初めまして、北海道出身、早稲田大学文化構想学部2年の大石慎治です!

現在休学をしてe-Education Projectのインドネシア担当として活動しています。今日は僕がe-Education参加を決意した理由についてお話させていただきます。

拙い文章ですが、最後まで読んで頂ければ幸いです。

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「やればできる」

札南体育館

「やればできる」

みなさんはそう思ったことがありますか?

今までの僕のシンボルのような言葉です。
この言葉がずっと僕の隠れ蓑でした。

「勉強?やればできる」
「英語?留学すればできる」

口では大きなことばかり言っているのに何の努力もなし。勉強でもスポーツでも、ちょっとでも難しいことに出会うとすぐに逃げてきました。

どれも「やればできる」と言うだけでした。

弟であるということ

兄貴

兄の大石俊太郎。南米にて。

生まれつきこのような性格であった訳ではありません。

こうなった理由は優秀な兄です。

僕は兄を尊敬していると同時にひどく妬んできました。小さいころから勉強もスポーツも自分よりできる兄。負けず嫌いだった僕にとっては、なにをしても兄に勝てないことがとても辛かったです。

もちろん親は優しいので絶対に比べたりしません。

しかしその分、僕は自分で勝手に比べて自分で自分を傷つけてきました。そして負けては負けて、比べては比べていくうちに、もう負けることが怖くなったのです。

気づけば努力をすることすら怖くなっていました。

高校も最初のテストで兄のような点数が取れなかったことがきっかけで「努力してもできない」ことが怖く、あえて落ちこぼれる道を選び親にもたくさんの迷惑と心配をかけてきました。学年ワースト3に入ることもありました。

育ってゆく劣等感

そんな自分を守ってきたのが「やればできる」の言葉だったのです。

嫉妬や劣等感という汚い感情を周りに気づかれるのが怖くて、壁から逃げ続ける自分が恥ずかしくて、常に自信満々の自分に見せたくて、ごまかし続けました。

上手いこと理由をつけて「やればできる」と言えば周りの目は何とかごまかすことができました。

自分の心も最初はごまかすことができました。
しかし時が経つに連れて劣等感は成長していきます。
だんだんと心が押しつぶされそうになっていきます。

どんどん置いていかれる

早稲田

大学に入っても僕は何も変わりません。

周りの人々はさらに色々なことに挑戦していきます。

しかも大学に入るとfacebook等を通して、友人たちの輝く姿がどんどんと入ってきます。サークル、スポーツ、インターン、ボランティア、留学、日本一周や社会企業×世界一周というテーマでの世界一周をする兄。

ここまでくるともう劣等感に耐えられなくなりました。
世間から自分をシャットアウトしたいくらいでした。

「やればできた」へ

そして大学1年の6月、自分を変えるきっかけが訪れました。

サークルを離れることになったのです。

大学1年の6月なので友達も全然おらず、自分に何もありません。大学には居場所はなく、ひたすら家でもの思いにふけりました。

駒込の家

このベッドからの景色ばかり見る日々でした

「本当に自分にはなにもないんだな」

口先だけで張ってきた虚勢。劣等感しかありません。

「もう逃げられない」

そう思いました。

このままなにもせず過ごしていたら、これから先ずっと苦しむことになる。もうこんなに周りを羨ましく思いながら生きたくない。僕だってやりたいことに堂々と挑戦して生きたい。家で兄を見て肩身が狭い思いなんてもうしたくない。

「やればできる」を「やればできた」に変えるのは今しかない。

今まで逃げてきた壁より大きな壁に挑戦して、一番やりたかったことに挑戦して、嫌な自分にしっかり別れを告げたい。こう思ってようやく「一歩」を踏み出す覚悟ができました。

海の向こうにある壁

将来「教育」に携わりたいと思っていたこともあり、e-Educationのことは友人から聞き、知っていました。

海の向こうには、先生がいないという致命的なハンデを抱えながらも、大学受験という壁に立ち向かっている子どもたちがいます。周り不可能だと言われ思われながらも、未来のために頑張り、僕が逃げてきた壁なんかよりも遥かに高い壁に挑んでいる子どもたちがいます。

「彼らと一緒にもっと高い壁を超え、“やればできた”と言いたい!」

次の「一歩」が決まりました。
もう迷うことはありません。

こうして僕は、e-Educationの扉をノックしました。

不可能といわれる大勝負

インドネシアでは現在、マスターという学校でプロジェクトを行っています。

マスターは正式な学校ですらありません。大学受験を教えられる先生はいません。あるのは寄付されたパソコンだけです。

おそらくほとんどの人はマスターからインドネシアの難関大学へいくなど不可能だと言うでしょう。

僕がインドネシアに到着すると受験までちょうど3ヶ月。前述の通りマスターはかなり厳しい環境ですが、そのぶんそこで咲く合格の花はきっと今まで見たこともないくらい美しいはず。

僕はもう逃げません。

インドネシアでドラゴン桜を、咲かせてきます!

お知らせ

現在e-Education Projectは一緒に海外で挑戦する新しい仲間を探しています。

募集は7/31の23:59まで。良かったらぜひをご覧下さい!

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途上国の教育課題を若者の力で解決する

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