みなさん、いつもトジョウエンジンをお読み頂きありがとうございます。インドネシアプロジェクト担当の島田颯です!
私たちe-Educationは、昨年のインドネシア大学合格者2人のドキュメンタリー映画を作り、さらにその2人を日本に招いて上映会を開催するためMoonshotクラウドファンディングに現在挑戦しています。
本日はこの合格者2人についてご紹介させていただきます!
SPONSERD LINK
2人の生い立ち
写真一番左がドド。インドネシア担当・島田と職員吉川、インドネシア大学生たちと共に
ドド
ドドは6歳から11歳まではほかの人と同じように公立の小学校に通っていました。しかし彼が11歳、小学校5年生の時に彼の父が経営していた貿易会社が倒産。家を失い、両親も離婚、そして経済的な問題で学校に通えなくなってしまいました。ドドと彼の家族は、仕事を探しに歩いて国を歩き回り、スマトラ島へ移動。そんな生活を2年間続け、13歳の時にスマトラ島の村で仕事を見つけ、ドドも村の学校に通い始めることができるようになりました。
中学校は村から出て、町の優秀な学校へ通うことになりました。中学生のときも、家計を支えるために工事の仕事をしながら、学校に通っていたといいます。8年生(中学2年生)の時に参加したトラディショナル・ミュージック・フェスティバル(全国大会もある大きな大会)という大会で見事、入賞。この音楽での功績が認められて、ドドは高校の推薦をタレント枠で得ました。そうして、推薦で高校に入学します。
こちらでドドがインドネシアのテレビ番組に出演して演奏している様子が見れます。
しかし、彼の父がドドの高校入学とほぼ同じタイミングで再び失業。ドドは家計を支えるために、高校を入学して3日で止むを得ず退学しました。またも仕事探しの日々が始まりました。父と弟とスマトラ島を回り、なんとか耐えしのぐ生活。
一番思い出に残っている仕事は学校の前でチョコレートケーキを売る仕事だったそう。学校に行くことができているほかの子がとてもうらやましかったと振り返ります。1年半の間、スマトラ島でこうした生活を続け、その後ジャワ島のボゴール(ジャカルタから2時間ほどの街)へ移動。当時20歳、ボゴールで新聞売りの仕事を始めます。
ある日、ふと自分が売っている新聞をみると、そこに無料で通うことができるマスターという学校がデポックにあるという記事を見つけました。父に「この学校にいきたいんだ」とお願いし、弟と行くことに。そうして、マスターに通い始めます。最後に学校に通っていたのは高校のはじめ3日間。ドドは大学進学を希望し、その年に受験を決意しました。高校3年間の内容を1年間で学習し、国内最高学府のインドネシア大学の伝統ある経済学部(インドネシアの多くの官僚も経済学部出身)に挑戦しました。
とはいっても、家計は依然として苦しく、ストリートミュージシャンとして働きながら、大学合格を目指し必死に勉強しました。マスターで大学進学のプログラムの存在を知り、参加。振り返ると、辛いこともたくさんあったけれど、なにより勉強できる喜びと、大学進学へのモチベーションで乗り切ることができたと。1年間の努力の末、見事合格しました!
シンティア
写真右
シンティアは生まれたと同時に両親が離婚。母は家計を支えるために出稼ぎ労働者としてマレーシアやシンガポールで過ごしていたといいます。シンティアは祖母の家で育てられ、7歳の時に母が出稼ぎから帰ってくるまで、母とは会ったことがなかったそうです。
小学校、中学校までは公立の学校に通っていました。しかし、シンティアが高校生になった時に、祖母が高齢になり一緒に生活することが難しくなり、いとこの家族とともに暮らすためデポックへ移動。高校生活の最初の1年は専門学校に通うも、入学金2万円、毎月4000円の学費に制服や靴などの費用はすべてシンティアのいとこ家族に負担してもらっていることを申し訳なく思っていました。
1年を終えた時に、これ以上負担をかけたくないと思い、学校をやめることを決意。無料で通うことができて資格がとれる学校を探し、実際に訪問します。その中でマスターに巡り合い、進学を決意。
はじめは夜間の部から通学を開始しましたが、ある日、ボランティアで来ていたインドネシア大学の医学部の学生に「シンティアは優秀だから夜間ではなく昼の部に通って大学進学を目指したら?」と言われて大学進学を目指すことにしました。
加えてマスターの活動でソシアル・サイエンス・オリンピアという大会に参加。まわりは公立学校や私立学校の学生ばかりで自分たちの学力をすごく不安視していたが、サポートに来てくれていたインドネシア大学の学生たちにモチベートされ、志高く大会に臨みます。結果、数ある高校の中で3位入賞という結果を残し、自分の学力に自信が持てるようになったのです。
結局、どんな環境にいてもやるかやらないかは自分次第!と思い、インドネシア大学への受験を決意。1年目は挑戦の結果、残念ながら不合格。ただ、やはり、インドネシア大学への夢をあきらめられず、浪人を決意。翌年、ドドと同じ大学進学のプログラムに参加し、見事、インドネシア大学・社会文化学部の合格を勝ち取りました!
なぜインドネシア大学をめざしたのか
ドド
現在、世界銀行で働くSri Mulyaniさんというインドネシア大学経済学部の出身の女性を尊敬し、あこがれを抱いた。彼女のように賢く、ハードワーカーな人間になりたいと思い彼女と同じ学部を志望しました。加えてインドネシア大学は奨学金のシステムが一番整っており、経済的な負担は少なく、国内トップの授業を受けられるから目指したといいます。
将来は経済学者になって、インドネシアを持続可能な発展、開発に貢献し、裕福と貧困の不平等さを減らしたい、国民の全員が食べて、働いて、学校へ通える世界を実現したいという夢をかなえる為、インドネシア大学で勉強に励んでいます。
シンティア
インドネシア大学は国内最難関の大学であり、仕事やイベントで先輩や企業とのつながりが強く、また奨学金の制度が整っているため通いやすいという理由が挙げられます。
卒業後は家族から独立し、世界を旅してまわりたいという夢を持っています。加えて、大学で学んだことをもとに、社会学者になってほかの国のことを学び、インドネシアへ持ち帰りたい、貧困の連鎖を断ち切るようなソーシャルシステムを構築して、その一つとしてマスターのような学校をつくりたいという夢を彼女は持っています。
2人を応援していただける方を募っています
このようなインドネシアの未来を担って活躍する2人を応援していただける方を現在クラウドファンディングで募っています。
ぜひご支援ご協力のほどよろしくお願いいたします!
SPONSERD LINK