IMG_1521

みなさん、こんにちは。e-Educationインドネシア6代目担当の原昇です。

早稲田大学の1年生ですが、今は大学を休んでインドネシアに来ています。思えば私の人生は、次から次へと自分の世界を広げることの繰り返しでした。

村はずれから、村の中心部へ。村を出て地方都市へ。地方から大都市へ。そう考えれば、次なるフィールドとして海外で活動することを選ぶのは必然だったかもしれません。

まんごー?うれすぎたあけびだら?(熟し過ぎたあけびでしょう?)

IMG_4487

現在、早稲田大学1年生の私。実を言うと、大学入学前にも1年間浪人をしているため、休学と合わせて2年分高校の同級生たちに遅れをとっています。

彼ら彼女らの多くが今や大学3年生となり、いよいよ現実味を帯び始めた「就活」という二文字に怯えているころ、私はいよいよ近づいてきた「帰国」の二文字に怯えています。

日本でじゃがいもを買うくらいの気軽さでマンゴーを買え、タクシーの初乗りが60円(2017年現在)、1年中半袖で暮らせる南国インドネシアでの生活。

そんな生活から、グァバジュースが10倍高く、タクシーの初乗りが数百円に引き下がったことがニュースになり、インドネシアで最も気温が高い地域の暑さと最も気温が低い地域の寒さを1か所で併せ持つ(原調べ)東京に戻って本当にやっていけるのでしょうか。

東京でNPOっちゅうもんに出会ったに(出会ったよ)

IMG_0208

さて、話を戻します。自分の人生において、次から次へと世界を広げてきた話でした。まずは、私の生い立ちについて簡単に説明させてください。

私は長野県南部の山村の、そのまたはずれに生まれました。村に当時3つあったうちで最も小さい小学校に通い、卒業後は村中心部の村立中学校に進学しました。

村の中心部には塾がありました。カラオケがありました。コンビニがありました。中学を卒業すると、隣の地方都市の進学校に進学しました。市には衛星予備校がありました。ハンバーガーチェーン店がありました。電車がありました。高校を卒業した私は、東京の大学へと進学しました。東京には三大予備校がありました。標準語がありました。本格イタリアンのチェーン店がありました。

新しいものと出会う感動と共に私が強く感じていたのは、なぜそれが地元にないのか、という悔しさです。悔しさを感じたのは地下鉄や何とか風ドリアや標準語がないからではありません。

塾や予備校がないことに対してです。

住んでいる地区に塾がなく通えない生徒がいる一方で、大手の予備校の中から行きたい塾を選んでいる生徒もいる。地方の受験生が夏休みの講習を受けに東京へ行く高速バスの交通費とホテルの宿泊費を気にしているころ、都市部の受験生は塾へ行く安い定期券の路線を考えている。その差の大きさに衝撃を受けました。

そんな思いがくすぶっていた大学1年の春、国際協力に関する講義である団体の存在を知ります。それが、e-Educationとの出会いでした。

でもさすがに1年生で休学するのはどうなんだら(どうなのだろうか)

IMG_0795

その講義では、毎週様々な分野で活躍する方の講演を聞き国際協力の様々な在り方を考えるというものでした。そこに、ある週のゲストスピーカーとして招かれたのがe-Educationの代表、三輪でした。団体の概要と、これまでの海外インターン生たちの活躍を中心に講演が進んでいきます。

特に目を引いたのが、バングラデシュにおける4万人もの教師不足や大学に行きたいと涙を流す高校生たちのお話、さらにバングラデシュ以外にも世界には日本より大きな教育格差を抱える国がたくさんあるという事実でした。

それを聞いて私は居ても立ってもいられなくなりました。e-Educationという団体の一員として、世界の至るところに存在する教育格差を解消するための活動をしたいと強く思った瞬間でした。

しかし、それでもなお1年秋の時点で1年間休学して同級生からさらに1年間の遅れをとるということへの不安は拭い切れませんでした。そんな臆病な自分の背中を押したのは、これまでの自分を変えたいという思いでした。

1年遅れなんてあんじゃない!(大したことではない)

見栄っ張り。自分の性格を一言で表すならこの言葉が正しいでしょう。

高校も大学もネームバリューで選んできました。高校受験では地元で一番進学率の高い進学校を受験しましたし、大学受験でも偏差値日本一と名高い某大学を受験しました。高校受験こそなんとか突破したものの大学受験では完敗を喫します。2回もです。

ネームバリューにこだわるというのは、肩書きの立派さをもとめるということ。つまり、自分に自信がないことの裏返しです。なぜ自信が持てないのかと言えば、自分の自信を裏打ちするはずの努力をして結果を残した経験というものがほとんどないからです。

中学時代は柔道漬けの3年間でした。兄の影響で始めた柔道にのめりこんでしまい、勉強などそっちのけで一生懸命練習しました。しかし、最後の夏の大会では県大会の序盤で負けてしまいました。目標としていた上位大会には進めませんでした。

高校では受験との兼ね合いで迷ったものの、柔道を続けることにしました。ただ、うちの高校の柔道部は廃部寸前、部員は自分1人でした。それでも柔道が好きな一心でやめることなく毎日道場に通います。練習相手の不足に悩まされながらも、2年の春には念願の北信越大会に進めました。

しかし、そんな柔道も、最後の大会に出ることなく2年の冬にやめてしまいましす。生徒会活動が忙しさを増すなかで何とか時間を作って道場に行っても、思うように練習ができない。来年の夏に北信越大会で勝ち上がるには、こんな練習ではいけない。そんな焦燥感を抱えていたときに、偶然先天的な病気を持っていることが判明します。

柔道を続けるにはなるべく早いうちに手術を受けなければいけないことでした。葛藤の上、柔道をやめるという決断をくだしました。そして、大学受験についてはすでに述べた通りです。

このように、自分の努力が実を結んで望み通りの成果を出した経験がないせいで、見栄えのいい学校を選んできてしまったのでしょう。

それほどまでにネームバリューにこだわる私が3年後どんな未来を辿るかは目に見えています。それは、受ける就職先を名前を基準に選ぶ未来です。

それだけはしたくない。自分の仕事に誇りが持て、やりがいを感じながらできる仕事に就きたい。そんな思いが募る中で出会ったe-Educationという団体。e-Educationに参加して1年間体当たりでこの問題へ取り組み、結果を残すことができればきっと大きな自信にもなるはず。そう確信しました。

インドネシアへ行っといな!(行っといで!)

当時募集していたのは、2016年8月の採用から半年後の2017年4月に渡航となる4か国のインターン生に加え、採用から1か月後の2016年9月に渡航となるインドネシアのインターン生。1日でも早く活動を始めたかった私は、迷わずインドネシアを選びました。

そして運良く内定をもらい、大学入学からわずか5か月後の9月3日、1週間前に受け取ったばかりの真新しいパスポートを握りしめ、全く未知の土地インドネシアの入国ゲートをくぐったのでした。

IMG_1619

写真は早速直面した困難の一つ、永遠にも感じられるLCCの乗り換え時間です。東京ジャカルタ間の乗り換え地クアラルンプールにて

以上が、私がe-Educationに出会いインドネシアに渡航するまでの経緯になります。そして渡航後も色々な困難や葛藤がありながらこれまで8か月の間インドネシアで活動してきたわけですが、その話は次回以降に回したいと思います。

ありがとうございました!


途上国の教育課題を若者の力で解決する

SPONSERD LINK