7月にe-Educationスタッフの紹介も兼ねて「人生に誇りを、社会には想いやりを」というe-Educationのビジョンに通ずるエピソードを3週に渡って配信していました。
(前回の記事【vol3.シェルパ絢子の#My episode】原点は、自分の両親〜人生に誇りを、社会には想いやりを〜)
好評につき、第4弾をお送りします。
今回は、バングラデシュの大学受験支援を現地メンバーだけで自走できるようにし、安定した経営基盤を作るために現地パートナーBacBon(バックボン)の皆さんやインターン生を導きながら奮闘してくれているカントリーマネージャーの塚本将貴(つかもと まさき)さんの #My Episode です。
広報担当の私、鬼澤 絵美(おにざわ えみ)によるインタビュー形式で塚本将貴さんのこれまでの人生や価値観にも触れながらお届けしたいと思います。
塚本 将貴 / カントリーマネージャー
岐阜県出身。名古屋大学工学部を卒業後、トヨタ自動車に入社し北米地域の営業企画を担当。 その後、同社にてフィリピン出向を経て、2022年にe-Educationに参画。
教育を通じて様々な環境に置かれている人が、それぞれが持つ可能性を最大化できる環境を作りたいという想いを持ち、現在カントリーマネージャーとしてバングラデシュとフィリピンを担当。
鬼澤:塚本さんは自分自身を一言で表すとしたら何が思い浮かびますか?家族や親しいご友人から言われることなどでも良いです。
塚本:冷静とか、安定とか、ひょうひょうとしている、という事をよく言われます。
けど意外に熱くて、色々な想いを内に秘めるタイプとも言われますし自分でもそう思います。
逆に自分ではあまり思わないけど周りに言われるのは“頑固”ですね。
鬼澤:ちょっと意外です。私は塚本さんが”頑固”だと感じたことは今のところ無いのですが、どんなところが頑固と言われるのでしょう?
あと、今はほとんどないですが、子どもの頃は周りの子がどう思っているのかとか気にしていました。
それもあって自然と人の気持ちを読み取れるようになっていたのかもしれません。
自分が評価されているか?というよりかは、人の機微を気にしていたような気がします。
この人不満そうだな、怒ってそうだな、とか。
鬼澤:それ、ちょっとわかります。後になって、あの時のあの表現、誰かを傷つけてしまったかな?とか、自分を振り返って勝手に自分で反省しちゃうことがあります。
塚本:僕もしょっちゅうあります。
鬼澤:一緒ですね。でも読み取りの力と、相手に合わせて自分がどういう立ち位置でどう振る舞うかって、またちょっと違う能力ですよね。
塚本さんはそのどちらもバランス良く持っている気がします。
塚本:それは、これまで副代表とかサブリーダーという立場でずっと生きてきたというのもあるかもしれませんが、僕は、誰かの右腕的な立場が一番合うタイプなんですよね。
今の立場もそうなんです。
だから、もしかしたら自然と自分に合った働き方が出来ているだけかも知れないです。
鬼澤:今のe-Educationでの立場は合っているということですが、今までで1番自分がイキイキとしていたなと思うのは、いつ、どういう立場の時でしたか?
塚本:大学1年の終わり頃だったと思うんですけど、僕、航空宇宙工学専攻で、先輩と同期とNAFT(ナフト)って宇宙開発や宇宙教育に取り組む団体を立ち上げたんです。
先輩が抜けた後、僕が副代表的な立場になって、その時がすごく楽しかったし面白かったです。
元々、「何か面白いことやりたい」という想いから始まって、先輩たちと宇宙の写真を撮るようになりました。
実際、高度30キロ、飛行機が飛ぶところよりも3倍ぐらい高いところからスペースバルーンで自分たちで地球を撮ったんですよ。
※スペースバルーンで撮影された写真
鬼澤:すごい!
塚本:大きい風船にスマホや小型カメラをくっつけて、発泡スチロールなんですけど、ワイヤーとかいろいろくっつけて。
その活動をしている時がすごく面白かったですね。
”学生初”を目指していたので、それこそテレビ取材してもらったこともあって。東海テレビとか、ラジオに出演したこともありました。
みんなと新しいことに色々取り組むことも楽しかったし、成果も少しずつ出て、周囲からも注目してもらえたりもしたので、やりがいがあったなと。
鬼澤:自分1人で没頭できる方が好きな人と、複数の人と協力しながら何かを成し遂げていくことが好きっていう人とに分かれると思うのですが、塚本さんは1人より複数で取り組む方が楽しいしイキイキできるのでしょうか?
塚本:そうですね。1人よりも、みんなで何か成し遂げる方が自分としてはイキイキしているし、楽しいなって思います。
鬼澤:塚本さん、小学生の頃からサッカーをされていたそうですが、サッカーもまさにチームプレーですよね。その時はどのポジションを担っていたんですか?
塚本:最初はフォワードで、その後センターバックでした。
鬼澤:塚本さん的にはどっちの方が良かったですか?
塚本:ディフェンスの方が自分の性格に合っているなと思いました。
フォワードで成功している人はエゴイストな傾向があって、ディフェンスの人は上手くみんなをまとめるとか屋台骨的な感じなんですけど、そっちの方が僕は合っていたなって。
鬼澤:なるほど。e-Educationではカントリーマネージャーという立場ですが、自分の性格にハマるなって思うところはありますか?
塚本:そうですね、サッカーで例えるなら三輪さん(e-Education代表)や健さん(副代表)とかって圧倒的フォワードだと思うんですよ。
鬼澤:確かに、「行くぞー!」って感じですよね(笑)
※バングラデシュのパートナー企業BacBonの皆さんと三輪(最前列の右から2人目)
塚本:100Corp.(ワンハンドレッド/ フィリピンのパートナー企業)でもBacBon(バックボン/バングラデシュのパートナー企業)でもそうですけど、2人の仲介役っているじゃないですか。今その立場になってる気がするのでそういう意味では性格にハマっているのかなと思います。
鬼澤:なるほど。じゃあサッカーで例えたら、塚本さんは今e-Educationで言うと?
塚本:やっぱりセンターバック。ディフェンスの真ん中な気がします。
鬼澤:自分の得意な位置で、性格も活きている感じですね。
塚本:そんな感じしますね。
鬼澤:ご家族のことも聞かせてください。塚本さんのお父さんお母さんってどんな方なんですか。
塚本:母親は、強い感じですかね。あと責任感が強くて、やると決めたことは全部やりきる努力ができるタイプかなと思います。父親は自由奔放な感じです。
鬼澤:自分のこういう部分、親のDNAを感じるみたいなところはあります?
塚本:そうですね、僕めちゃくちゃ楽観主義なんですね。それは母親譲りかも。
鬼澤:例えば?
塚本:全ての物事に対して楽観的ではあるんですけど、例えば、それこそe-Educationへの転職はまさにそうかなと。
給料は3分の1ぐらいになるし、でも、この決断というか変化は、絶対良い方に行く、絶対将来どうにかなるっていう謎の自信というか感覚があるんです(笑)
鬼澤:何事も基本ポジティブに捉えられる塚本さんでもこの先が心配になった事や、しんどかった事って何かありますか?
塚本:大学受験で落ちた時はしんどかったですね。
その時が、人生どうなるのかなって思った瞬間ですね。
鬼澤:人生どうなるのかなっていうのは、どういう心境で?
塚本:受かると思っていた第一志望の大学に落ちて「嘘だろ?」って。
”自分ってそんなもんか”とか、”努力が足りなかったのかな”って、負のスパイラルにハマっていました。
受かった子を見ると羨ましいなって気持ちもありましたし、”また受験したところで受かるだろうか”とか、”親にも迷惑かけちゃうな”とか、1ヶ月ぐらいネガティブな状態でした。
鬼澤:そのネガティブな負のスパイラルからどうやって抜け出していったんですか?
塚本:なんか納得いかなかったんですよね。結果もそうですし、受験生活で100%の努力を出来ていたかといえば、イエスと言えない自分がいたんで、心残りもあって。
ただ、妥協して別の大学行くのは自分を裏切っている感じもして嫌だったので、浪人生活になったとしても1年間やりきったと言えるようにしようと決めたんです。
鬼澤:決断した時のことをもう少し詳しく聞かせてください。
塚本:大学落ちたってわかった時に、母親がボソッと、「好きな大学にいけるように、1年間だったらいいから、自分で決めなさい」って言ってくれたんです。
“両親に申し訳ないな”って思っていたから、その言葉でプレッシャーから解放されたのかわからないですけど、人生で初めて母親の前で泣いた気がします。
で、心を入れ替えて頑張ろうって思いました。
鬼澤:その後の1年間はどうでした?
塚本:その後の1年間はですね、僕、マイルールを作りまして。
朝7時に必ず起きて、予備校へ行く電車の中で英単語帳を何ページ分やる、予備校から帰ってきたら何時にご飯食べて、何時に自分の部屋行って、何時まで勉強してっていうのを1年間やりました。
鬼澤:すごい。それを徹底できるのはマイルール好きな塚本さんの強みですね。
塚本:はい、やれない自分が嫌なので。
今でも家族の間では、あのときは狂気の沙汰だったって(笑)
夜の7時半になったら必ず自分の部屋に行くっていうのを、大晦日だろうがどんな日であろうとルールにしていて、それは本当に365日やりきりました。
納得いって1年間終われたなと思います。
鬼澤:すごい。アスリートですね。
塚本:本当、浪人アスリートでした(笑)
鬼澤:その1年間は塚本さんの中ですごい重要な時期になりましたね。
塚本:はい、自分の自信にもなったし、自分の弱さも自分の強さもわかった気がします。
鬼澤:自分の弱さと強さとは?
塚本:浪人生活をきっかけに、本番に弱いなとか、詰めが甘いなと思ったんです。
弱みは、問題をもっと理解しなきゃいけないところを70%くらいの理解度で終わっていたんだろうなとか、詰めの甘さ。
強さは、決めたことをやりきる力とか、ひたすら努力できるところですね。
鬼澤:なるほど。私も楽観的な性格なんですけど、楽観的な人は何事も何とかなるだろうって思える分、詰めの甘さに繋がることもある様なので、強みが弱みになる事もあるけど、その逆もあると思います。
でも失敗を機に、自分に不足していたことを見つめて目標を達成するためにやりきった経験は貴重だと思います。
その時の経験を今活かせているなって思うことはありますか?
塚本:そうですね。“ここでやりきれば何でもできる”みたいなことは思うときがありまして、例えば、前職時代、そんなに英語は得意ではなかったのですが、1年目から英語での会議を1人でやれと言われた時、内心逃げ出したいなと思う一方で、“いや、やればできる”って謎の自信が湧いてくるんです。
しっかり努力すれば、やれるはずって思えるのは、浪人してでもやりきった成功体験からかもしれないです。
鬼澤:これも1つの誇れるエピソードですね。やりきることが出来た成功体験が、その後の塚本さんの誇りになり、何事もやれば出来ると思える良い影響を与えているのだなと思いました。
では、塚本さんに良い影響を与えてくれた“人”はいますか?
塚本:NAFTを設立した時の大学の先輩ですね。
2人いるんですけど、人生を考えるきっかけにもなりました。
今までは、いわゆる優秀なコースを歩んでいて、良い成績をとって、良い大学に入って、みたいな感じで、ただ生きていただけだったのが、その先輩たちに出会って、こんなにキラキラして、熱くて、すごい人たちがいるんだって思ったんです。
鬼澤:どういう熱い想いを持った先輩だったんですか?
塚本:宇宙教育をもっと身近にして立場を変えたい、将来は国際的にこういうふうに活躍したい、自分の人生の中で成し遂げたいんだって熱い想いを持たれていて、実際にそれを叶えていってる姿を見て、僕もそうなりたいなって。
刺激を貰うというか、僕のキャリア感を変えてくれた人たちで、めちゃくちゃ影響大きかったですね。
鬼澤:その先輩方は、今何をされているのでしょうか?
塚本:1人はJAXAで働いています。
もう1人は会社経営で、自動搬送ロボットの事業で成功してアメリカ進出もしています。
当時からすごく優秀だなと思っていましたけど、まさに大学時代に言っていたことを着実に実現していて、そういう姿に刺激を受けますし、かっこいいなって思います。
鬼澤:塚本さん自身は、大学で航空宇宙工学を専攻していたのは、何か夢があったからなのでしょうか?
塚本:元々、飛行機のパイロットになりたかったんです。
ありきたりですけど、中学校の頃かな、かっこいいなと思って。
航空宇宙に興味もあったので学びたいなって思って行き着いたのが名古屋大学です。
鬼澤:なるほど。めちゃくちゃ主観ですけど、塚本さんパイロット顔ですよね(笑)
塚本:そう、それ、めちゃくちゃ言われます。
航空会社の採用面接でも言われて、「君、うちの会社にいるよね」って(笑)ただ、僕は目のピントを合わせる力が弱いらしくて左目だけ基準に満たなかったんです。
最終面接も終わって「採用」って言われていたんですけど、最後の身体検査で目のことで引っかかってしまって。
「どうしても通したいから」って、再々検査まで受けたんですが、どうしても無理ってなって、「総合職で入らないか?」とも言ってくれたんですけど辞退しました。
でも結果トヨタに入ってよかったと思っています。
※トヨタでフィリピンに駐在していた時の同じグループメンバーと打ち上げした際の写真
鬼澤:
パイロットからトヨタ、そしてe-Educationって、それだけ見ると全然繋がりがないように見えますが、塚本さんの中ではキャリアの軸というか共通点はどんな事がありますか?
塚本:そうですね、やっぱり、人のために何かしたいというのがあって。
その提供の仕方は色々あると思うんですけど、トヨタに入ったのはケニアに行った時のことがキッカケで、中古車ですけど、当時トヨタの車めちゃめちゃ走ってて、現地の人たちが「トヨタすごいな」とか「トヨタの車買ったら、すごい人生が変わったよ」って言ってる人もいて。
今はもう無くなりましたがトヨタの工場の周りには、寮ができて、コンビニができて、スーパーができて、トヨタによって街が出来ていくという話も聞いて、実際にトヨタの工場も見に行きました。
”現地の人たちに愛されて、さらに雇用を生み出しみんなが豊かになっていくなんて最高じゃん、この会社”って思ったんですよね。
トヨタってそんな社会的意義もあるんだなって興味が湧いて入社しました。
※フィリピンで子会社設立に伴うパーティーに参加した際の写真
鬼澤:街が出来るってすごいインパクトですね。
ちなみにケニアにはどういう理由で行かれたのですか?
塚本:当時、名古屋大学と現地にあるナイロビ大学が提携を結んだのですが、その時にお世話になっていた先生から「大学を代表してケニアで何かプロジェクトを立ち上げてやってくれ」という風に声をかけてもらったんです。
そこで考えたのが密猟プロジェクトです。
現地で密猟がすごく問題になっていたので、NAFTでお世話になっていた会社が作っていた飛行船を使って監視システムを構築するというプロジェクトを提案して、現地の大学生と一緒に1年間取り組んでいました。
※ナイロビ大学にてNAFTの活動紹介をした際の写真
鬼澤:面白いですね。その時にトヨタの工場にも行かれて、その後トヨタに就職されたわけですが、トヨタではどういう部署で、どういう人たちと働いていたんですか?
塚本:僕、たまたま運良くてですね、北米担当だったんですけど、会社内でも花形の部署で、先輩や上司は社内で評価されている人たちばかりでした。
そんな優秀な人たちからノウハウを学べたのはラッキーだったなって思います。
鬼澤:塚本さんは、その部署でどういう事をされていたのでしょう?
塚本:北米地域の車の価格決めとかマーケティングとか収益を管理したり、なんでもやっていて、トヨタの中でも屈指の多忙な部署でした(笑)
鬼澤:そうなんですね。
では、トヨタの時も含めて、仕事を通して誇れることって、どんなことが思い浮かびますか?
塚本:色々ありますが、トヨタ時代では、カナダで売る車の価格を決めた後、現地のディーラーさんに説明しに行った時に、価格について「Wonderful!(素晴らしい)」と言ってもらえて。
鬼澤:それは価格のどういう点を評価していただいたのですか?
塚本:この価格だったらお客さんに伝えやすいし満足してくれるということで「Wonderful!(素晴らしい)」と言ってくれたんですけど、自分がまさに現地のことを考えてこの車の価格で表現したかったことをディーラーの方々が汲み取って評価してくれたのが認められた感じもあり、現地の役に立てているという実感もあって、それは誇れることですね。
鬼澤:それは嬉しいですね。
塚本:はい。カナダで一番売れている車の価格を担当させてもらって、新聞とかにも取り上げられて、車が発売されたら価格の講評があるんですけど、自動車ジャーナリストからも価格を褒めてもらったりとか、自分のやったことが、みんなの為になっている実感を初めて得られました。
鬼澤:現地のことを考えて試行錯誤してアウトプットしたものが、実際にみんなの為になって、それを実感できるというのは誇れるだけでなく本当幸せなことですね。
e-Educationではどうですか?
塚本:今はやっぱり、バングラデシュの大学受験支援ですかね。
僕は業務の中で生徒と会うことは本当にたまにしかないんですけど、レミやラジョンといったBacBonメンバーとインターン生のみんなの成長にコミットすることで、みんなが頑張ってくれて、その結果生徒の成績が伸びて、生徒が大学に受かって、生徒もハッピーだし、BacBonメンバーやインターン生みんなが生徒の合格をすごく喜んで僕に報告してくれるのを見ると、僕も嬉しいですし、頑張った成果が生徒の結果にも出てるなって。
すごく良い仕事だなって思います。
鬼澤:まさに誇りの循環がそこに生まれているんですね。
インタビューでは、主に塚本さん個人の経験や価値観に触れる質問をさせていただいていました。
その中で、塚本さんが楽しいと感じるコトも、逆に心配するコトも、そこには他の誰かの存在がありました。
誇りに感じたコトも、自分の成果や評価よりも、周りの“みんな”がハッピーになり、役に立つことが出来たからでした。
私たちe-Educationをサポートしてくださっている皆さまも、日本から遠く離れた途上国の子どもたちを想い、寄付という形で、ご支援を続けてくださっています。
そして、皆さまの子どもたちへの想いやりが、子どもたちの未来を変え、子どもたちの誇りにも繋がっています。
サポートくださる皆さまや、塚本さんのように、主語を“僕”や“私”から、“みんな”に広げることが出来たら、世界はもう少し優しく、誇りの循環も広がっていく様な気がしました。
塚本さんの誇りのエピソードにも出てきたバングラデシュの大学受験支援は、バングラデシュの中でも特に学習環境に恵まれない貧しい農村部の高校生たちの人生を変えています。
出身大学によって職業の選択肢に大きな差を生むほど超学歴社会のバングラデシュでは、難関大学への合格が貧困脱却の足がかりにもなるのです。
2010年にスタートしてから毎年連続でバングラデシュ最高学府のダッカ大学合格者が誕生し、累計641名もの生徒たちがバングラデシュ国内TOP5の難関大学に合格し、未来を切り拓いていっています。
しかし、新型コロナウイルス感染症拡大(以下、新型コロナ)以降、私たちe-Educationのオンラインでの大学受験支援を求める声は増え続けています。
そんな中、近年の円安によって、支援するために必要な資金は、生徒一人当たり約2倍近くにもなり、支援して欲しいという高校生を断らなくてはいけないほどになってきています。
バングラデシュの特に貧しい農村部の高校生たちにとって、大学受験=自分だけでなく家族の人生をも180度変える唯一のチャンスであり、希望でもあります。
次回の大学受験は、来年の3月〜4月にかけて行われます。
今、e-Educationの大学受験支援を受けられるかどうかで、バングラデシュの農村部の高校生たちのこの先の人生が大きく変わってきます。
どうか、支援を待っている高校生たちの未来のために、皆さまのお力をお貸しください。