みなさんこんにちは!全ての高校生にフェアな教育機会を提供するためにルワンダでe-Educationプロジェクトを進めているドガです!
先週の記事では、立ち上げなのにルワンダe-Educationの最悪な現状について書かせて頂きました。今週は、そんなネガティブスタートの中、僕がルワンダ渡航までにした様々な準備に関してお話させて下さい。
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初めてのアフリカ行き
これまで、東南アジアの発展途上と呼ばれる国には何度か行った経験がありました。そして、このギャップイヤー期間中にもアジアの途上国どこかで何か出来たらなと考えていました。
そのため、トントン拍子に未知の大陸アフリカ行きが決まった時は、まず何をしたらいいのかまったく分かりませんでした。
残念なことに、自分もその時「アフリカ」を一国として考えていたような面があり、「アフリカ=紛争/民族/貧困/ジャンボ/サファリ・・・」などといった悲しい固定概念に流されていました。
しかし、ルワンダについて調べていると驚く事に治安は、アフリカの中でも良く「アフリカのスイス」とまで呼ばれているキレイな国ということが分かってきました。
ルワンダといえばジェノサイド
両親からは、ギャップイヤーを取るのはドガの自由だが、絶対に日本から出て何か活動しなさいと言われていました。
たぶんインドのバンガロールで知り合いのNGOで働くかもしれない、バンコクのスラム街で何か立ち上げるから、などとアジアで活動することを自分含め、両親も考えていました。
そのため、僕が「ルワンダに行くから!」と言った時は少し驚いていた様でした。さっそく母親が、使い慣れ始めてきたiPadで「ルワンダ」と検索しました。すると、出てきたのはやはり、1994年に100日の間に80万人以上もの人が殺されたといわれるジェノサイドの話ばかり。
もちろん僕もこの大虐殺のことに関しては勉強していました。しかし、今は「奇跡の国」と呼ばれるほどの、年7%の経済成長率を誇り、20年前の面影は全くと言っていいほどありません。
しかし、いくら僕が急激に発展している現在のルワンダの話を両親にしても、特に母親の方は心配でなりません。映画「ルワンダの涙」をTSUTAYAで借りてきて家で鑑賞した後には、「アジアとアフリカは大違い!」と言われたことを覚えています。
Now or Never
僕のボーディングスクール時代の先生が、必ず試験前に言う口癖です。
「It’s now or never(今やるか、一生やらないか)」
僕はこのフレーズを、何かするかしないかで迷っている時には心の中で唱えています。
今回のルワンダでのe-Educationの立ち上げ、しかもマイナスからスタートできるという滅多にないチャンスはもう一生巡ってこないかもしれない、ここで逃してしまっては一生後悔するかもしれない。
恩師である今井賢一先生の存在
最初の記事で、僕をe-Educationに導いてくれた藤原和博先生のお話をさせて頂きました。そして幸いにも、僕のもう一人の恩師がルワンダ渡航を後押しして下さりました。
一橋大学名誉教授でスタンフォード大学名誉シニアフェローでもある今井賢一先生は、数年前にルワンダへ行かれた事があり、現在のルワンダの急激な成長を熟知しておられる日本の経営学者です。
今井先生に僕からルワンダに行く事を告げると、「それはいい、ルワンダのような今後絶対に注目される国にいま行って、さらにこのようなプロジェクトを立ち上げることは君の将来に大きく役立つだろう」と言って下さいました。
そして父親も、アフリカというホットな場所。さらにルワンダという急成長を遂げている国に、この時期に行っておくことで、僕の今後の進路を決めるに当たってもとても有意義な経験になるであろうということで説得することができました。
今井先生は、僕がルワンダで「ICT×教育関係」のプロジェクトを立ち上げる、と言ったら「途上国×ICT」のスペシャリストで国際的な知名度も高い方をご紹介して下さったりしてくださいまして。また、これから僕がルワンダでプロジェクトを進めていくにあたり、的確なアドバイスもたくさん下さり、大変感謝しております。
アフリカはアフリカ
ルワンダも言ってしまえば、アフリカの一国です。
僕の渡航前には数回手榴弾事件が首都キガリで勃発しており、自分も初アフリカということで少し怖かったです。そして、都内の病院で数十本ほどの予防接種も受け、改めてアフリカに自分がこれから行く事を実感しました。
もう行くしかない、投げ出すのはあり得ない
ここまで、僕のルワンダ渡航までに様々な人にお会いして話を聞いたり、アドバイスを頂いてきました。それが僕にとっては「このプロジェクトを途中で投げ出すことなんて考えられない!」というプレッシャーに次第に変わっていきました。
しかし、この逆境を乗り越えた時の達成感のことで、自らを駆り立てていました。そしてルワンダで僕に待ち構えていた数々の壮絶なバトルのことなど想像もしないうちに、日本を発つ日がやってきたのでした・・・
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