こんにちは。e-Educationフィリピン担当の秦大輝です!フィリピンの首都マニラのスラム街に住む高校生たちに、大学受験対策の映像授業を提供するために日々走り回っています。
マニラのスラム街近くでニーズの種を見つけた経緯は、前回の記事でご紹介しました。今回はその続きを書き綴りたいと思います。
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「沖本さん、1ヶ月半おつかれさま!!」
12月13日。トライアルが成功に終わった次の日。一緒に頑張ってくれた沖本友香さんが就職活動のため、日本に帰らないといけない日がやってきました。
苦しかったミンダナオでの撤退。大学で100人以上に飛び込んでインタビューした事。そしてやっと本当に心から取り組みたい課題を見つけた喜び。
いろんな事を思い出しました。1ヶ月半、楽しいときも、つらい時も一緒に頑張ってくれました。
「e-Educationやれて良かった!これで満足して日本に帰れる!本当にありがとう!!」
そう言ってくれた事が純粋に嬉しくて、本当にやってきてよかったなと思いました。そして、こんなことを僕は沖本さんに言いました。
「一ヶ月半、本当にありがとう!後は任せて!絶対成功させるから!」
僕は歩みを止めてはいけない。なぜなら、一緒に頑張ってくれた仲間がいるから。その期待が僕の動かないといけない根拠になっていくんだなと思いました。
予備校街に突入
フィリピンにも日本と同じように予備校は存在します。有名どころで言うと、MSAやLSCやAHEAD。それ以外にもマニラの予備校街には多くの予備校が存在していました。
トライアルの効果も相まって、実施する高校は口約束ではありますが、実施する約束を取り付ける事が出来ていました。次の目標は、最高の授業を撮影すること。
かつて国内最高峰の授業の作成のために、バングラディシュやヨルダンでは、予備校の先生の協力を得ていました。
なので、マニラでも予備校街に訪問して、コンテンツの作成とナンバー1講師の出演依頼をすることになりました。
もちろん、コネもないので、僕のやる事は1択!飛び込んでいくことでした。
沖本さんとお別れした翌日。提案書を持って、ナンバー1の予備校のMSAの前にたっていました。
「飛び込みこえ〜怒られたらどうしよう・・」
決心がつかず、予備校の前を行ったり来たりしながら、10分くらい経っていました。回りを気にしながら中の様子をうかがっている姿は客観的にみると、不審者そのものだった気がします。
逃げる理由を探す自分を押し殺し、思い切って飛び込んでいきました。
“踏み出さないと何も変わらない”
この旅で学んだ一つの大きな事実が僕の背中を押しました。
受付の人がキョトンとした顔でこっちに気づきました。そして、いきなり受付に来た僕、相手からみると外国の人が言った突拍子もない言葉、
「あっ、あの!こんにちは!!そっ、相談したいことがあるんですが!!!社長いますかっ!!?」
すばらしいプロジェクトだね!じゃあ・・
しどろもどろになりながらプロジェクトについてと依頼したいことについて、受付の人に事業を紹介しました。
「おお!すごいいいプロジェクトじゃん!!取り次ぐよ!」
「えー!!ほんとに?」
まさかの展開に興奮しました!その日、オーナーはいないということだったので、次に会う日程について相談しました。するとまさかの返答。
「オーナーはクリスマス休暇で、今年はもう休みに入っているから、”来年”きて!」
「来年!!?クリスマス休暇長過ぎでしょ!」
そんなことを言いましたが、どうしても来年でないと調整できないということでした。MSAの次は国内2番手LSCにいってみました。そこでもこう言われました。
「すごいいいね!じゃ来年、来て!」
4日間、予備校を大量に回った結果、言われたことは全て同じ事でした。
「じゃ来年にまた来て!」
クリスチャンが大半を占めているフィリピンと言う国では、クリスマス休暇というものは恐ろしく盛大で長期にわたるものだったのでした。帰り道、フィリピン大学で出会った友人偶然会ったので、それについて聞いてみるとこう答えました。
「クリスマスは仕事しないよ!もちろん学校も休みだしね!」
それは僕にとって恐れていたこと。つまり、その事実は、「3週間プロジェクトが進まない」という事を意味していました。
最悪のクリスマス
もうプロジェクトが進まなくなって1週間が経ちました。あの日の後、学校もやすみに入り、アポイントも全く取れないようになってしまいました。
1週間、部屋に閉じこもっていました。パソコンをずっといじっていました。
ここまでプロジェクトは順調でした。3月までにプロジェクト基盤が完成する事なんて、余裕だと思っていました。スピードを持って、事を進めている事実に大きな充実感がありました。
ただ今、物理的に進めることができない状況。全く何も進みません。
心では、しょうがないと思いながらも、何もしないできないことにあせりと罪悪感を覚えていました。
「このままでいいのか・・出来なかったら、仲間に何て説明しよう。」
ベッドに横になると、そんな風にいつも思っていました。できない理由を探すようになっていました。
イルミネーションでいっぱいの街。浮かれて踊っている人たち。そんなロマンチックでにぎやかで素敵な風景。ただ今の僕にはそれをどうしても好意的に思うことが出来ませんでした。
事が進まないことがこんなつらいことがとは思いませんでした。気持ちは日に日に沈んでいきました。次第に外に出る事がいやで、部屋に閉じこもるようになってきていました。
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