photo credit: World Economic Forum via photopin cc
皆さんこんにちは。ルワンダでe-Education Projectを進めている土雅(ドガ)です。
前回の記事では、ルワンダの文化と生活についてお話させて頂きました。
ルワンダは1994年の大虐殺の後、劇的な経済成長を遂げ「アフリカの奇跡」とも呼ばれています。今回は、プロジェクトにも大きく影響し、その成長の原動力ともなった政治に関して紹介させて下さい。
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20年で劇的に発展
「ルワンダ」と聞くと、多くの人が一番に思い浮かべるのは1994年の大虐殺を描いた映画「ホテルルワンダ」や「ルワンダの涙」だと思います。わずか100日間で約80万人以上が虐殺され、それは当時のルワンダの人口の20%だったとも言われています。
この大虐殺(ジェノサイド)は、絶対に風化させてはならない事実ですが、ルワンダの現状を見ると、わずか20年前にこの地で本当にジェノサイドが起きたことは到底信じがたいです。
「奇跡の国」ルワンダは急激な発展を遂げ、その一番の原動力となっているのがルワンダ大統領の政策とリーダーシップと言えます。
鍵は強いリーダーシップ
2000年に大統領に選出されたポール・カガメ氏は、ルワンダ愛国戦線(RDF)の将軍でした。
言うまでもなく、大虐殺後のルワンダは、想像を絶するほどに”崩壊”していました。大虐殺の指揮を執ったほとんどの者が、当時の軍の将軍レベルや政府の上層部の人間で成り立っており、彼らはジェノサイドの後「ジェノシデール」と呼ばれ、その数は優に10万を超えていたそうです。
そのため、大統領になったカガメは「全ジェノシデールを苛酷に罰すると国が崩壊する」と判断し、2001年以降、最も重罪となる虐殺扇動者を除く犯罪者を大幅に減刑し、「ガチャチャ」と呼ばれる一般市民による裁判制度を開始。
さらにカガメ大統領は、虐殺時に国外にいたルワンダ人「ディアスポラ」をルワンダに呼び戻し、海外経験豊富な人々を優遇しました。そのため”汚職蔓延”というアフリカではメジャーな習慣がここルワンダでは払拭された、と言えます。
今、ルワンダが「アフリカ一平和な国」と謳われるいくつかの理由の一つとして、”汚職が少ない”ということが挙げられ、国際透明度指数でも、アフリカで腐敗していない国の一つとして位置づけられています。
「汚職を無くす」というのはカガメ大統領就任時から焦点を置いている政策で、この「クリーンガバメント」は、ルワンダの経済発展にも大きく関わってきました。
カガメ大統領(右)
Photo: Rwanda Broadcasting Agency
独裁ではない開発独裁!?
カガメ大統領は虐殺以降、経済成長を優先し、トップダウンで政策を決め、実行してきました。このようなモデルは、”開発独裁”と呼ばれています。しかし、現在のルワンダは政治的に安定しており、民主主義国家として成長を続けています。
2006年以降、ルワンダのGDP成長率は年率6%を維持しており、これはむろん貧困層の激減にも大きく貢献し、国民の生活水準を大きく引き上げました。1日1.25ドル以下で生活する貧困層は2001年から10年間で10%以上も減少しました。
ルワンダは、国会における女性の進出率が世界一でもあり、全国会議員の半分弱は女性となっています。プロジェクト当初、僕は教育省関係者の方々とお話していたのですが、中央政権が”独裁的”というわけでは決してなく、地方でも議員の皆さんが学校訪問を定期的に行なったりと活発でした。
ルワンダ国内では、カガメ大統領の写真が多くのレストランやお店に飾ってあり、強いリーダーシップが日々うかがえます。しかし、国民が一心となって同国の成長を目指しており、そのリーダーがカガメ大統領です。ちなみに、犯罪率だけみると首都キガリより東京の方が高く、その治安の良さも政治的に安定した国を表しているでしょう。
プロジェクトもその流れに乗る
この国でのプロジェクトは、これらの劇的な”変化”に順次対応していかなければなりません。その中で重要になってくるのが、現地の事情を熟知しているパートナーの存在です。このパートナーを見つけられるかどうかがプロジェクトの行方を左右すると言っても過言ではありません。
ルワンダという急成長国で、政治を理解し、その国のルールにのっとったプロジェクトの運営を日々心がけていきたいです。
ありがとうございました!
『アフリカ・奇跡の国ルワンダの『今』からの新たな可能性 ~ジェノサイドから20年を経て~』
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