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みなさん、こんにちは。e-Educationミャンマープロジェクト4代目担当の宮崎大学2年の土持(つちもち)です。

今ミャンマーの中心地ヤンゴンは、40度を超えることもあるくらい暑くなっています。ミャンマー料理もスパイスが効いていて、味も気温もホットなミャンマーに来てインターンをしていますが、もともと私は海外に行くような学生ではありませんでした。

この記事では、なぜ私が初海外でミャンマーに留学することを決めたのかをお話しさせてください。

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宮崎生まれ、一人きりの学校生活

宮崎生まれ、宮崎育ち。

小学生の頃は生まれつき身体が弱く持病も災いし、体育はほぼ欠席、学校にもあまり出席できませんでした。

クラスメイト、というより周りの人たちにあまり興味を持てなくて、常に一人の学校生活でしたが、特に辛いと思ったことはありませんでした。

いじめられているわけでもなく、特に困ったこともありません。ただその頃の私は、そんな自分の”問題”を分かっていませんでした。

“おしゃべり”が分からない小学生

“問題”に気づいたのは4年生の頃。

進級してクラスが変わり、たまたま私の前の席にいたショートカットの女の子。なぜか彼女は私に話しかけてくれました。なぜ話しかけてくれたのか、今になっても分かりません。

いつも一人で学校生活を送っている私のことを、私のクラスでの立ち位置のことを、彼女は知らなかったのかもしれません。

ただ、そんな積極的に話しかけてくれる彼女に対して、私は”おしゃべり”ができませんでした。

家族以外の人間とほとんど話してこなかったため、彼女と何をどう話していいか分かりませんでした。

話しかけられることに慣れていなかったので、時々パニックになり、発声すらまともにできなかったことを今でもたまに思い出せます。

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私の故郷の風景

人生で最初の恋心

そんな自分に対して事あるごとに話しかけてくれる彼女が、私の中で特別な存在になることに時間はかかりませんでした。想いを伝えたい私でしたが、もちろん人と、ましてや好きな女性となんて話せません。

そんな状況にある中、急に転校の話が決まって私は転校することが決まりました。引っ越しまでのタイムリミットが近づく中、私はなかなか告白することができずにいました。彼女と話しはするものの、なかなかうまくいきません。

そして、結局想いを伝えることはできませんでした。

「この先もたくさん時間がある。いまできなくてもいい」

そんな風に考え、手紙に頼ってしまいました。

もう後悔したくない

転校してすぐ、私は手紙に頼ったことを後悔しました。途方もなく、深く心をえぐるような後悔です。

彼女ともうずっと会えないかもしれないという事実が、より一層好きだった気持ちと後悔する気持ちを膨らませ、自分のことが嫌いになりました。

なんで、言えなかったんだ、この馬鹿野郎。臆病者。そんなことを自分に言っても、もう取り戻せません。

「こんな思いをすることになるんだったら、自分を捨ててでも行動するべきだった」

この思いが、強く自分の中に残りました。

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祖母の神社近くの滝、よく遊びに行っていました

昔の自分との決別

「もう二度と、こんな後悔をしたくない」

そんな思いから、転校後は人と関わりを持つようになりました。むしろ今までの自分を知られずにすんだので、大きなチャンスだったかもしれません。

転校前と一転して、友達も作ることができ、そのまま中学、高校へ。友達を知らなかった私にとって、彼らといる時間はそれはそれは楽しいものでした。そして私も今までの時間を取り戻したくて、仲間といることに必死でした。

そうして自分の居場所ができ、仲間と一緒にいることが当たり前になっていきました。昔の一人だけの自分とは違う、仲間といる自分。昔の自分に対してどこか勝ち誇った気持ちがありました。

そして、高校二年の夏、大学受験が徐々に現実味を帯びてきたころ、友人たちの中から県外の大学に行きたいという人が出てきました。もちろん私も、レベルの高い県外の大学へ行きたいと思っていました。

「本当に、そう思っている?」

実は大学なんてそっちのけで、友達と一緒に居たいんじゃない?
もしかして、今あるものが変わってしまうことが怖いんじゃない?
結局変化を恐れている昔と変わらないんじゃない?

そんな不安が、私の心に浮かび上がりました。

結局私は県外の大学受験に失敗し、地元の大学に進学することになりました。県外に行きたがっていた友達もほとんどが同じ地元の大学に進学することが決まり、少しホッとしている自分がいました。

大学生になって自分の時間が増えると、できる限り仲間といることにその時間を費やしました。ですが、あの時の不安は消えることなくずっと心に残ったままでした。

e-Educationとの出会い

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そんな中、大学の国際協力の講義でe-Education三輪さんのプレゼンに出会いました。ふわふわとした日常と不安を抱えていた私にとって、e-Educationの講義ははあまりにも衝撃的でした。

自分の知らない考えたこともない世界の端で、勉強したくても勉強できない同年代の学生たち。そんな学生たちへ必死になって最高の教育を届けようと命を懸けている日本の人々。

三輪さんの言葉一つ一つが心に響き、思わず涙してしまいました。そんな人たちを知って、途上国の子供たちの支援を通して自分も変われるかもしれない、私も参加したい、そう思いました。

ただ、e-Educationに加わるということは日本から離れるということで、海外に行ったことのない私にとって、途上国というものは不安でしかありませんでした。そのとき頭に浮かんだのは、結局自分はあの小学生の頃から何も変わっていないんじゃないかという気持ちでした。

「自分は昔とは違う、もう絶対に後悔したくない」

そう言い聞かせました。

もしかしたら、地元から出たことがなく、海外に出たことがない自分だからこそ、途上国の村の子どもたちの気持ちがわかるかもしれない。

宮崎で育った自分だからこそ、途上国の子どもたちだけでなく、昔の自分のように悩みを抱えている地元の人たちにも何か還元できるかもしれない。

そんな気持ちが、私をe-Educationインターン応募に踏み切らせました。

そしてミャンマーへ

それからミャンマーに来て、日本では体験できないことがたくさんありました。

毎日のように刺激的な出来事が目に飛び込んできて、半年いる今でも慣れることなくエキサイティングな日常を送っています。もちろんトラブルや嫌なこともありました、でもそれを乗り越えて自分に少しずつ自信をつけることができました。

今は胸を張って以前の自分とは違う、そう言い切ることができます。

これからもこのチャレンジ精神で頑張っていきますので、どうぞ応援よろしくお願いします!

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ミャンマーの活動については、また次回ご紹介します


途上国の教育課題を若者の力で解決する

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