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こんにちは。

現在、南アジアヒマラヤの国に滞在中している、e-Educationネパール2代目インターン生です。

今回は、なぜ4年生となった今、大学を1年間休学してe-Educationプロジェクトに挑戦するのか、その理由と僕の想いをお伝えいたします。

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大嫌いだった質問

「あなたが将来やりたいことはなんですか?」

皆さんならこの質問に、なんと答えますか。

綺麗に言葉にして言える人も、なんとなくふんわりしたものはある人も、あるいはそうでない人も、人それぞれだと思います。

私は小さいころ、この質問があまり好きではありませんでした。

小学生の時に作文で将来の夢を聞かれれば、大工、インテリアデザイナー、野球選手などその時その時なんとなく思いついたものを書いては、周りの友達はなんでやりたいことなんて決まっているのか、不思議に感じていました。

小学校の卒業式、一人ずつステージ上で夢を語らされた時、みんなの前で言うのに、心から思っていない、納得できないことを言うくらいなら言わない方がいいと考えて、当日は楽しかった思い出だけを話しました。

中学校の卒業制作はビデオカメラの前で、将来の夢を語るというもの。僕が話したのはその時も高校野球についてのみ。

友達といる時間も楽しいし、野球も楽しい。悩みなんて特になかったけど、将来の夢を聞かれた時だけは、持っていない自分が悪い気がして、気持ちが悪く、その質問が好きにはなれませんでした。

なんとなくいつかはみんなみたいにやりたいことが見つかるんじゃないか。

この気持ちは大学に入るまで変わりませんでした。

目の前の目標をひたすら追いかけた高校時代

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高校時代の僕は、その時間のほとんどを高校野球に費やしました。

チームで定めた目標に向かって、ひたすら仲間と一緒にがむしゃらに走り、バットをふり、野球に打ち込む日々は本当に青春で、かけがえのない時間でした。

そんな時間はあっという間に過ぎていくもので、気がつけば高3の夏。部活を引退した僕を待ち受けていたのは、大学受験でした。

部活を理由に大学受験から目をそらしていた自分は、当たり前ですが受験勉強についていけません。とりあえず解いてみたセンター試験の赤本に惨敗し、半年間で覚えなければならない英単語や文法、日本史の量に絶望を覚えました。

そして、ここで追いうちをかけてきたのがあの質問。

「将来やりたいことにつながる大学を第一志望校にして受験勉強、対策をしなさい」

誰からみても高校野球を引退したばかりの丸坊主の僕は、そんなことを急に聞かれてもわかるはずないという反抗心にも近いものすら持ちながら、考えることをも放棄していたかもしれません。

結局、志望校が決まったのは引退してから1ヶ月後。校舎長のアドバイスだけで決めました。

志望校は高い方がいいという単純な理由でしたが、目標が決まってからはひたすらスケジュールを元に対策授業や過去問題を解き続け、なんとか合格することができました。

自分で立てた目標ではなかったにしろ、がむしゃらに毎日勉強し、第一志望校に合格できたことは素直に嬉しかったです。やりたいことはわからないけれど、大学に行けば何かわかるだろう、そう思いながら卒業式を迎えました。

一歩を踏み出すきっかけとなったアメリカ留学

大学1年目、僕はあの質問を考える大切さに気づきました。

これまで、ある意味では部活でも受験でも、他から与えられた目標に向かい、目の前でやるべきことが明確にあるという特殊な環境の中で努力することができました。

しかし、その環境がなくなり、自由な時間だけが増える中で、やりたいことが見えず、SNSで友達の充実した姿だけが目に入る気がして、何かを頑張らないといけない気はするのに何もできない自分が嫌になる日々。

大学受験でお世話になった予備校にチューターとして関わりながら高校生をサポートする中でも、自分がやりたいこともわからないのに、その質問を高校生にし続ける中で、自分の中の矛盾を感じて、どうにかしたいという気持ちがどんどん強くなりました。

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大学2年目、現状を変えたい、自分は何がやりたいんだろう、そんな気持ちで僕はアメリカのカリフォルニアに留学しました。

なんとかして目標を見つけなければと毎日を過ごしていた中で、初めて自分が育った環境とは全く違う世界に触れた時にふと、自分の当たり前が当たり前ではないんじゃないかと気づいた瞬間がありました。

同じ教室にいる留学生のクラスメートたちは、ほとんどが自分よりも年上。一度就職したのちに、自分のお金で勉強したいこと、将来やりたいことのために留学している人たちが数多くいました。

自分は両親からお金を出してもらって、目標もないまま留学している。同じ時間、場所を共有しているのに、そこまでにかけてきた想いや努力の量が全然ちがいます。

両親から面倒を見てもらい、野球も受験も好きなだけやり、自分のことを真剣に考えてくれる先生や部の顧問、予備校の人たちと出会えたことは実はとても幸運だったということ。

やりたいことはわからないまま、目の前のことに取り組んでいただけだとしても、今こんなに素晴らしい経験をさせてもらえている自分はそれだけでとてつもなく恵まれているということ。

これらのことに気づいた時に、自分がそうであったように、自分のやりたいことに気づいていてもいなくても、気づけない環境にいたとしても、一人一人の人生には無限の選択肢があり、その可能性に挑戦できる社会にしていきたいと純粋に思いました。

これまでに経験した自分の過去が意味を持って今に繋がっているように感じ、この目標のもとになら、自分で想いを持ちながら行動していける気がして、ワクワクしながら帰国しました。

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一歩踏み出すからこそ見えるものがある

帰国後、自分の想いに近づくために少しずつ行動する中で見えてきたものがありました。それは、行動するからこそやりたいことは見えてきて、想いは強くなる。その想いが次の行動につながる出会いを引き寄せてくるということ。

アメリカ留学からの帰国後、行っておくべき場所はどこかを考え、実際に途上国に足を運び、現地を見ることでたくさんの人々、ストーリーに出会い、その度に子どもたちへの教育を通して想いを実現していきたいという気持ちが強くなっていきました。

日本で育った僕には限られた環境に映る場所で、それでもたくましく生きる子どもたちに出会い、人が求めるような目標なんて持たなくてもいいから、彼らが心から幸せだと思えることを見つけられる手助けをし、見つけた時にはそこに向かって全力で挑戦できる土台を用意してあげたいと感じるようになりました。

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大学を休学し、e-Educationへ

アメリカへの留学や途上国を訪れる中で、僕は自分が進みたい道を見つけることができました。

しかし、僕は大学4年生に休学し、ネパールで1年間過ごすことを決めました。進みたい道があるなら、早く社会に出た方が最短距離で進んでいけるかもしれません。僕がそうしなかった理由、それは、ただそうすることができなかったからです。

こんなことを言うと、本当にただの甘ったれに聞こえると思いますが、僕は今まで大きな挫折や失敗がなかったことが逆に一種のコンプレックスのようなものになっています。

それは、つまり、大きな失敗や挫折と感じられるほどに、何かに本気で最後までやりきったことがないということ。

目標もそれに向けてやることも明確に見えている中で頑張る部活や受験と違い、どこに進むかもどう進むかも自分次第という大学生活。そこで経験してきたことは、失敗を覚悟で限界まで挑戦するようなものではなく、他人の顔や都合を考えながらどこか着飾り、間違いも失敗のない選択の連続だった。そんな気がしてなりません。

その背景には、自分の中に出来上がった自尊心というかプライドみたいなものが揺らぐことを避けるために、失敗しそうになったり、今の自分に乗り越えられなさそうな壁に直面するとなんとなく他人事にし、全力を出していなかったことを言い訳に、やり過ごしてしまう自分がいました。

そんな自分に気付きながらも、大学3年生、就職活動を始めた僕は、過去を飾り、自分自身まで欺きながら話しているうちに、こんな状態で就職活動をやり切るのは無理だと感じるようになりました。心を偽ったまま社会に出る自分の未来を、僕は受け入れることができませんでした。

だから僕は、休学をして1年間海外で挑戦するという選択をしました。

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「今までの自分を変える、これが最後のチャンスかもしれない」

e-Educationのインターン選考では、ありのままの想いを伝えました。

胸をはり、自分の気持ちに覚悟と責任を持って、僕のやりたいことは子どもたちの可能性を広げることだと言えるようになるために挑戦したい。素直に気持ちを伝えたところ、結果は合格。半年の準備期間を経て、担当国のネパールへ。

ネパールに着いて3週間、何もかもが新鮮で来たことだけに満足しそうになり、今までの自分のままでいたとしても1年間という時間は簡単に過ぎ去ってしまうということを痛感しました。でも、これがダメなんです。

目の前には路上で暮らす子どもたちがいます。2年前の震災で家も仕事も失った人たちがいます。これまでの自分ではどうにもなりませんし、1年で全ての課題を解決できるとも思いません。

でも、こういった課題から、課題を見て言い訳しそうになる自分から、もう逃げないと決めました。失敗を恐れず、挑戦し重ね、挫折しても絶対に行動し続ける。そう心に誓いました。

言葉で書いてしまえばたった数行かもしれませんが、僕は、目の前の大きな課題から逃げず、やりたいことも自分自身も偽る必要のない自信を身につけるために、1年間ネパールで挑戦して来ます。

ネパールの子どもたちが思いっきり彼らの可能性に挑戦できる、そんな未来への架け橋になれるように。そして、僕自身がやりたいことを全てやり切れる、理想の未来への架け橋としての1年間になるように。

ネパールに渡った今、できることは行動あるのみ。頑張ってきます!

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【ネパール震災より2年。4/25イベントのご紹介】

2017年4月25日でネパールの震災から丸2年が経ちます。震災から2年という節目に、これからのネパールの復興のこと、いま私たちにできることをネパール料理を食べながら一緒に考えてみませんか?

東京、大阪の2都市で同時開催します。ぜひ興味のある方はイベントページをチェックしてみてください!

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途上国の教育課題を若者の力で解決する

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