皆さんこんにちは。e-Educationプロジェクトでインドネシアを担当している坂井健です。僕の連載もいつの間にか10回目。ここまで続けられているのもひとえに皆様のおかげです。
「頑張ってね」「いつもみてるよ」「シェアは任せて!」などの声をいただくととても嬉しく、現地での励みとなっています!引き続きインドネシアプロジェクト応援の方よろしくお願いします。
さて、前回の記事は編集作業を通して自分なりに工夫した点をお伝えしました。インドネシア編最後の記事となる今回の記事では、インドネシアに1ヶ月滞在して感じたことを綴ろうと思います。
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VISAの延長手続きで最後の関門
撮影が終わる少し前、僕はタクシー乗り場でインドネシア人の友人を待っていました。今日は移民局に行く日です。
僕にはやることがもう1つ残されていました。それは、移民局(パスポートセンターのようなもの)でVISAの延長手続きをすること。インドネシアのアライバルVISAは1ヶ月の滞在が許されていますが、僕の出国は1ヶ月を過ぎてしまう予定だったので、この日は移民局にその延長をしに行くことになっていたのでした。
友人が到着し、一緒に移民局へと足を進めます。渋滞に巻き込まれず15分たつと、目の前には大きな建物が。誰が見ても移民局だとすぐにわかるものでした。
さっそく手続きをしようと思い、中に入ろうとすると入り口で人に止められ、いきなり大声で何か叫ばれました。なぜだか明らかに僕に怒っています。
何もしていないのに、なぜ怒られてるのかわからないまま友人が翻訳してくれ、「移民局などの公共の場は半ズボンじゃいけないんだよ。それを怒っているみたい。」とのこと。
なるほど。。僕は何も知らないまま移民局に半ズボンで来てしまったのです。自分の勉強不足を悔やむと同時に、文化の違いを大きく実感しました。
僕はインドネシアで色々な壁にぶつかりましたが、中でもこの文化の壁が大きかったです。当たり前のように遅刻する文化。左手で人からモノをもらってはいけない文化。食事の時のマナーなどなど。
特に宗教関連は人間関係を圧迫する場合もあることを知りました。日本人はしばしば無宗教と言われますが、これがいかに特異なことであるかを海外に来ると実感します。
インドネシアでの滞在を通じて、やはり外国に行くときはもっとその国の文化について勉強しようと思いました。
インドネシア滞在最後の日
何とかVISAの延長も終わり、あとは出国の日まで待つのみとなりました。お世話になった先輩、友人に挨拶を済ませようとインドネシア大学に向かいます。
「頑張ってね、応援してるよ。」
「たけると遊べて楽しかったよ!」
「また絶対インドネシア戻ってきてね!」
たくさんの仲間に囲まれてインドネシア大学を後にしました。思えばこの1ヶ月、僕の活動はこのインドネシア大学が中心でした。
お昼ご飯を食べるとき、ミーティングするとき、誰かと待ち合わせするとき。
そんな思い出の詰まった場所を大好きな友人たちに囲まれて、僕は大学を後にしました。渋滞を考慮に入れて少し早めに宿を出て、タクシーで走ること2時間。
タクシーは見覚えのある空港の前で停車しました。そういえば1ヶ月前、この場所から僕の物語は始まったんだ。
インドネシアにさようなら
日本とはうって変わって、ジャカルタはかなり暑いのです。そんな3月10日の夜、空港に降り立った僕は1人の日本人女性を探していました。
するととある女性に「坂井さんですか?」と声をかけられました。
思えば、出国の1週間前までインドネシアには1人も知り合いがいませんでした。Facebook等でインドネシアにゆかりのある人を聞いて、何とかたどり着いた1人の女性。そこから留学生、企業の方、現地の大学生など色々な方々に出会うことができました。
とある恩人の方には寝床を提供してもらい、友達にインドネシアの見所を教えてもらい、日本の救世主にパソコンを提供してもらい、撮影場所もまた人の暖かさに助けられました。
インドネシアで感じたことは人とのつながりの大切さ。誰1人として欠けてはインドネシアを乗り越えられませんでした。
全ての人の思いが詰まったこの授業をマレーシアに無事持って行き、子どもたちに提供するのが僕の仕事。ちっぽけなUSBを空港で見ながら、今までの事を思いふけっていました。
時刻はもう夜8時。真っ暗な一帯を飛行場だけがあたりを照らす。
「また会いに来るよ。」 そうつぶやきながら飛行機内に入っていくのでした。
—インドネシア編・続く
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