Voyage kanzaki

フィリピンのゴミ山。日本の児童養護施設。タイでの農村地域。

神﨑愛子さんにとって、それらはバラバラな体験ではなく、自分の生き方を決めていくターニンギポイントになりました。

現在、公益社団法人シャンティ国際ボランティア会で働く神﨑さん。シャンティで働くまでに体験した数々の物語を伺いながら、彼女が歩んできた道のりを遡ります。

これまでどんな道を選んできたのか?そしてこれからどんな道を進んでいくのか?

神崎さんの挑戦、そして素顔に迫ります。

(聞き手:杉山裕美)

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フィリピンのゴミ山で見た「たくましさ」

ーー公益社団法人シャンティ国際ボランティア会に所属されていますが、もともと国際協力を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

長い話になってもいいですか?(笑)

“海外”というものに初めて出会ったのが、フィリピンだったんです。大学1年生の19歳の時で、ちょうど湾岸戦争が起きた時でもありました。色々な大学のメンバーが入っているサークルに所属していて、アジアに目を向ける活動をしていました。春休みに、ミンダナオ島でワークキャンプをするという活動に参加したことがきっかけです。

そこで、全く知らない私を受け入れて、家族のように接してくる人たちと出会いました。。また、マニラのスモーキーマウンテンというゴミ山で生活する人々を見て、こんな状態でも人々は何でこんなに明るいんだろうと思いましたね。強く生きている人たちを見て、「すごいな」と衝撃でした。

恩返しと言ったら変ですけど、何かその人たちとやっていくことはできないかと思って、大学4年間は、一緒にペンキを塗ったり、セメントこねたり、レンガを積み上げたりするワークキャンプを行っていました。

でも心に思うことは、自分主体で「大したことできてないな」ということ。いつか、海外の人のために、一緒に働くことがしたいと思っていたのです。

ーーフィリピンに行くまでは、海外に触れる機会はなかったのでしょうか?

実家は猿の出るような山のふもとにあるんですが(笑)、実家で、知的障がい者の施設をしています。

ボランティアで海外の方が来ることがあって、幼い頃から、外国の人を見ては、大きな人がいるなと思いながらも、色んな人が自分の周りにいるということが普通でした。

海外の人、障害のある人、そうじゃない人、様々な人が混ざり合うコミュニティの中で生活をしていたので、フィリピンに一歩踏み出す前から、物怖じはしない子どもだったと思います。

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児童擁護施設で学んだ「共に生きる」の価値

ーーシャンティ国際ボランティア会に入職される前は、児童養護施設で働かれていたのですね。

大学で社会福祉を学んで、コミュニティの中で障がい者の方と生活をしてきたので、22歳の時に、2歳~18歳の子どもが40人生活する児童養護施設で保育士、ケースワーカーとして6年間勤めました。

母親が保育士ということもあって、自分の将来の夢は、ずっと保育士だったんです。大学出たばかりで22歳の時に、4歳しか歳が違わない18歳の高校三年生の男の子や女の子の親代わりみたいなことをするんです。

子どもは正直に人を見るので、「この人は本当に自分のことを分かっているか」と試してくるんです。“心を開いてくれない子”、“返事もしない子”、“昔からいる先生の言うことしか聞かない子”と様々でした。

その心の距離を縮めていくために、私は、何があっても「屈しない」、「私はここにいる」という姿勢を分かってもらうことが行動の基盤にありましたね。

悪いことは悪いとはっきり言い、厳しいことも言うんですが、一緒に生活しているので、お風呂にも一緒に入るし、ごはんも一緒に食べます。夜の時間は、一番小さな2歳の子に添い寝しながら読み聞かせをする時間があって、その子が寝た後は高校生の子と勉強しながら話す、という生活でした。

「共に生きる」

今所属しているシャンティと繋がっているなと、ふと思います。全てをそこにつぎ込み、生活の場をそこに置いた6年間で、日本の子どもたちのいろいろなケースを見ました。

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タイの村から「フェアトレード」を

ーーその後に、日本国際ボランティアセンター(JVC)でのインターンシップでタイに行かれたのですね。

東北タイに行ったのですが、そこは土地がやせています。粘土質で固い土地で、主食であるもち米は、自分たちが食べる分はありますが、売るほどはありません。そのため、現金収入はゼロに近い状態でした。そうするとどういうことが起きるかというと、どんどん出稼ぎに出ていくんです。働き盛りの人たちは、バンコクやチェンマイ、海外に行ってしまう。そういう村に私は入りました。

タイは暑く、家は高床式になっていて、どの家の軒下には織り機がありました。織り機には埃がかぶっている状況でしたが、高い技術と自然界のものを使って草木染や織物ができる人たちだったので、“収入向上のためにグループを作ろう”と立ち上げた人たちがいて、私はそのグループに入りました。

グループのメンバーの家にホームステイをして、運営のお手伝いをしながら、染や織りの勉強させてもらいました。そこで織物を習ったおかげで、老後の楽しみができました(笑)

ーータイではどのような体験をされましたか。

私から見たら、ただの草木、実ですが、それを染料にします。木肌を剥いで、煮立てて糸を染めていく。染料にもなるし、食べ物にもなるし、薬にもなるんです。知らなければただ通り過ぎるだけですすが、、身の周りに使えるものがあるということを知っている人はすごいなと思いました。

しかし、そういった技術をもっていながら、出稼ぎに行っても安い賃金しかもらえないという現実があります。作ったものも売る場所がないので、店の主人や仲介人に非常に安くたたかれる。それでも現金が入った方がよいと、みんな売ります。農作物に関しても同じです。そこで、村に人が作ったものをフェアトレード商品としてシャンティが買って、パートナーとなって日本で売るという仕組みに加わることにしました。

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すべてが繋がり、シャンティへ

ーーシャンティボランティア会に入職されて、大変だったことは何ですか

アルバイトから始まって、13年になります。

フェアトレードに長く関わっていて大変だったのは、「知ってもらうこと」に加えて、「それを売っていく」ことが求められることです。ノルマもありますし、商品開発や広報でいつも苦戦していました。

毎年、どういう路線でカタログを出すか、どんな商品をつくるか、イベントをコラボでするとか、プレスリリースの書き方や営業の仕方とか、面白いエッセンスを入れながらやっていました。

ある時は、シャンティのことを知ってもらう、民族のことを知ってもらう、フェアトレードとは何かといった、ひとつのパッケージとなっているワークショップのプログラムをつくることもしました。挑戦した成果が目に見える(売れる)体験は、非常に苦しいけど、面白いです!

ーー国際協力の分野も様々ですが、なぜ「本」なのですか。

児童養護施設で、日本の子どもたちと関わったのが大きいかもしれないですね。

文字が読めない子どもたちに読み聞かせをする。好きな本は、子どもたちは、暗記しちゃうんです。自分で「読んで」と持ってきたのに、自分で読んじゃう(笑)覚えて私に聞かせてくれる子がいたりします。

ひとりの女の子は、話せる年齢ではあったのですが、言葉を話しませんでした。少し障がいがあり、施設に入所して来た時は言葉が話せない。「あー」とか「うー」としか言えなくて。しかし、本を読み聞かせたり、人がどんどん関わって愛情を与えることによって、少しずつ話せるようになってきたのです。

大好きなお話しを通して語りかけることによって人はどんどん吸収していくんだなと感じた体験が大きいですね。本を読み聞かせる時は、添い寝したり、抱っこしたりするので、ぬくもりが生まれます。子どもたちと心を通わせてくれたものが、本だったと感じるんです。

文字を習ったことがないアジアの子どもは、本を読んでもらう時に、図書館員の横にべたーっとくっついて、図書館員の声とかぬくもりをかんじながら、そのお話しに入っていっています。

暑い国なのに、肌を寄せ合ってみんな本を読みます。難民キャンプ、ミャンマー、カンボジアでもそういった姿を見ました。知らない世界が広がっている本。だんだん自分で読めるようになってくると、声に出して読んでみたり、みんなの居る中で読む子もいれば、ちょっと離れて読む子、ひとりで黙々と読む子もいる。自由ですよね。

本を読む時間と決められてはいないし、自分が本を読みたくて、真剣に読む。読みたくて来る。そんな姿をよく見ます。本を読むときは、環境に縛られる必要もなく、みんな自由なんです。

ーー本が与えるチカラはどのようなものを感じますか

私の性格は自由人で何かを制限されることで苦しさを感じることがあります。好きなものを見たり、選んだりする生活が当たり前なのですが、途上国の子どもたちは、逆の立場です。

何かを知りたいと思った時にも、インターネットが普及しているところではないので、文字で書かれたものから情報を得ないといけない。しかし、情報は少ないし、限られたところにしかないという状態。絵本から、「この国にはこういう人がいる」と初めて知る。誰からも教えてもらえないので、本がひとつの出会いになると思います。

また、文字を読めないお母さんに、子どもが本を読むこともあったりして、お母さんも識字教室で、文字が書けるようになってるんです。知りたい人は知ることができる。また、情報を知った人はそれを知ることができない人に伝えることができる。それが本のチカラではないでしょうか。

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35年分の感謝と想いを、次に繋げる仕事

ーー支援者リレーションズとはどのようなお仕事ですか

シャンティを支えてくださる方に感謝を伝えることを大切にしています。

今年で35周年ですが、35年前に難民キャンプに入った方に直接お話しを聞く機会がありました。カンボジア難民キャンプで医療チームが使っていた、点滴をするカテーテル(ビニールの管)が捨てられていました。その方は、それを使って何かできたらいいなと思ったそうです。与えられいつも「ありがとう」と言ってばかりなので、「ありがとう、これは私たちの感謝の気持ちです」と自分の作ったもので御礼ができないかと考えました。

そして、カテーテルを割いて、紐にして魚の飾りをつくって渡したというエピソードでした。自分の意思で何かをしたいという想いが必ずある。その想いを叶えることにシャンティが関わっていたんだなと思って嬉しかったですね。こういったお話しを聞くと、35年間に色んな人が関わってくださっていると改めて感じます。そういった方たちと直接会って、当時のことを教えてもらい、また、対話を通じてアジアの国につなげていくのが役割です。

ーー今後どういったことに挑戦していきたいですか?

シャンティのことを伝え続けることですね。35周年のこの時に、10万冊の本をアジアの子どもたちに届けたいのです。

子どもの成長に時間がかかるように、必要があれば活動を続けていかなくてはいけない。「そろそろ知れ渡りましたね」ということはないんです。私たちは困難な子どもたちがいる場所に拠点を移していきます。現状、教育が生きていくためには、必ず必要ということを地道に言い続けていこうと思っています。その継続の力になっているのは、やはりこれまで出会ってきた子どもの顔です。

日本の養護施設で出会った子、アジアの国々で出会った子どもの顔です。途中でやめることも、違うことを始めることも、当然できるのですが、誰かが続けていないと、途切れてしまいます。形は変わっても続けることに意味があると思っています。

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ーークラウドファンディングにかける意気込みを一言

今年、5か国の子どもたちに10万冊の本を届けたい!それがひとりひとりの子どもの力になると信じていています。達成に向けてがんばっていきます。

(インタビュー終わり)

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