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みなさん、はじめまして!フィリピンのミンダナオ島にてe-Educationプロジェクトを担当している佐藤建明です。「教育開発」という夢を掲げ、昨年8月から映像授業を活用した教育プログラムを現地行政と提携しながら展開しています。

今週から毎週連載させていただきます。第1回目となる今回は、なぜ僕が「教育開発」という理想を掲げミンダナオ島プロジェクトの立ち上げを決意したのかについて、恐縮ながら少しお話させていただければと思います。

みなさんにとっての自分を突き動かす「エンジン」は?

突然ですが、みなさんは一体どんなことにワクワクし、悲しんだり怒りを覚えたり、はたまたエネルギーが溢れてきたりしますか?

この自らの「感情」あるいは「心」を突き動かすモノを、僕は自分なりに自動車なんかで言う「エンジン」という言葉で表しています。

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こうした「エンジン」は当然人それぞれであり、その大小や、それがシンプルな作りか複雑な作りか、またどんな「燃料」で動くのかでも違いがあると思います。

さて「人生とは旅である」と昔からよく言われていますが、その「旅」を満喫するためには、環境などの外的要因に過分に左右されることなく、自らが「主体的な」原動力たる自立駆動のエンジンを持っていればそのパワーは無尽蔵だと思います。

そしてその自立駆動エンジンの原動力となるものが「旅」の「目的」、言い換えれば人生における「夢」であると僕は考えています。

「教育開発」という「目的地」

とはいえ、なかなか「やりたいこと」や「夢を持つ」というのは簡単なことではなく、僕自身どこに自分のエネルギーを注いで良いのか分からず、ずっとモヤモヤとしながら学生生活を送っていました。

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これまでの僕の短く拙い人生を振り返ると、小中高校時代は剣道に打ち込み勉学に励みながら、自分の「エンジン」をじっくり作り鍛えていていた時期でした。

そして大学に入り、ものすごい自由な環境の中で、空手や男声合唱、広告研究会の活動に参加したり、またバックパックで旅をしたりフットサルサークルを友人と立ち上げてみたり。とにかく「いろんなことに挑戦してみたい」という気持ちの向くがままに行動していました。

また神楽坂のとあるお店で働きながら義理堅く人情味溢れるマスターにたいへんお世話になって男泣きをしたこともあれば、はたまた人並みの失恋を経験してまた泣いたりしていました(実はこの一時期ショックのあまり学校に行かずいろいろほっつき歩いており、まさに吉田拓郎の『どうしてこんなに悲しいんだろう』状態でした笑)。

要は自分の「エンジン」をいろいろと試験していたのかもしれません。

今振り返ると、実に自分勝手で気ままな学生生活であり、世間で言うと完全に「自分探し」あるいは「夢探し」なるものをこじらせていました。ずっとモヤモヤしながらも、なんとか真剣に自分のエンジンにとって最適な「原動力」を見出そうとしていました。

そして紡ぎ出した結果が「教育開発に関わりたい」という想いでした。

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教育開発に関わりたい理由は、ブラジルと親父

理由をシンプルに言うと2つあります。

1つは「新興国」が最も自分にとってワクワクする環境であると考えたこと。そしてもう1つは「教育」という分野が最も自分にとってやりがいを感じることができると考えたことでした。

1つ目の「新興国」に関しては、小学校時代にブラジルで過ごしたことが最も大きな「原体験」となっています。

実は僕の父親は牧師をしており、色々な国を飛び回っています。僕が小学4年生時には、父の仕事に付いていきブラジルのジャングルを切り拓いた大農園で世界中のクリスチャンの方々と共同生活をした時期があります。

毎週末には文化祭や運動会なんかもあったりして、当時の僕は10歳ながら「国際協力」「異文化理解」とはなんと面白いんだと大変に興奮したのを今でも忘れることができません。

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そして2つ目の「教育」に関しては、先ほど申し上げた牧師である父親の影響が大きかったと思います。

僕は現在、「宗教」においてはリベラルな立場を心がけながらどんな信条・哲学も人それぞれで尊敬されるべきものであると考えています。また一方で「宗教」ほど複雑で人間社会に深く関わっているテーマは他になく、またある種の「教育」形態の1つであるとも思います。

高校・浪人時代はこのテーマにかなりエネルギーを費やしながら悩み、大学時代もこの複雑で悩ましいテーマへの反発心に似た気持ちを「とにかくいろんなことに挑戦してみたい」というエネルギーに換えて行動していたと思います。

もっとシンプルに言えば、特定の教義やルールに依拠するのではなく、「もっと自由で高い目線から自分の人生を捉えよう」と自分なりにもがいていたのです。この悩む過程の中で自分を客観視するように方向付けてくれた「入口」が僕にとっては公教育で提供される学校という環境であり「世界史」や「古典・現代文」なんかの勉強であったわけです。

また、自分をこれまでよりさらに「自由で高い目線から物事を捉えることのできる世界」の1つに、つまり大学に行かせてくれたのも「教育」でした。こうした背景から、僕は「教育」ほど人間にとって影響力のある分野はないと考えています。

以上の「新興国」と「教育」という二軸。そして、あれこれとほっつき歩きながらたくさんの人に助けられた大学時代を通じ、何かやるなら「世のため人のため」という想いから、「教育開発」こそが最も自分の人生という「旅」を満喫できる方法でありかつ自らのエンジンの「原動力」たり得ると考えたのです。

代表アツさんへの直談判

さて「教育開発に携わる!」という突拍子な夢をぶち上げたものの、大した経験もない僕。そこで、とにかくまず「教育開発」の現場に触れるために、世界的な学生団体であるアイセックのインターンへの参加を決めました。

海外のアイセックメンバーらと

海外アイセックメンバーらと

またかねてより「e-Educationプロジェクト」の存在とそのインパクトの大きさはいくつかのメディアを通じて知っていたので、「教育開発」をやるならぜひ自分も関わりたい、立ち上げてみたいと考えていました。

そして出国前日にアツさん(代表の税所篤快)の講演会に赴き、そこでアツさんに「フィリピンでニーズがあればぜひプロジェクトをやらせてもらえないでしょうか」と直にお願いしました(なぜフィリピンに飛んだかについては次回お話させていただけたらと思います)。

はじめてお会いしたアツさんはなんとも不思議なオーラを発し、顔をしかめながらも僕の話を真剣に聞いてくださったことを覚えています笑

フィリピン最大の開発NGO「GawadKalinga」でのインターン

僕のインターン先はフィリピン最大の開発NGO「GawadKalinga」の教育部門で、小学校の理科講師をしながら、学校関係者や海外インターン生と共に現地の小学校でゼロから体育祭を企画・実施するなど一定の成果を残すことができました。

またインターン期間を通じてフィリピンの教育現場や文化、そして言語などを学びながらプロジェクト実施に向けた下準備を進めていきました。

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そして2ヶ月のインターンを終え、ちょっとした自信をつけた僕は、ついに学生生活で一番の大勝負となる「e-Educationプロジェクト」の立ち上げを実行しようと決意しました。「教育開発」という夢を掲げて少しずつ進んできた僕の中で、自立駆動エンジンの歯車がさらにパワーを上げて回り始めたのでした。

次回の記事では、エンジン全開になった僕が実際にミンダナオ島に飛び、副代表の三輪開人さんとの面談を経て、ミンダナオ島プロジェクトの核となるオープンハイスクールプログラム(OHSP)とのコラボ構想をどういった経緯で練り上げるに至ったか、その起点に関してお話させていただけたらと思います。次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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