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photo credit: PQz via photopin cc

近年、金・ダイヤモンド・各種レアメタルなどの豊富な資源を基に、著しい経済発展を遂げている、アフリカ最南端にある南アフリカ共和国。

2010年6月には、アフリカ大陸では初となるサッカーワールドカップが開催されるなど、他のアフリカ諸国とは頭一つ飛び抜けています。

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しかし、こんな経済成長も実は最近のことで、1991年まで少数の白人による支配が続き、人種隔離政策(アパルトヘイト)と呼ばれる政策は国際社会の批判の的であり、さらに国全体の貧富の差・人種差別は世界でも稀に見ないほど根強く残っていました。

そんな政策を91年に全廃させたのが、「民主主義の英雄」とも呼ばれるネルソン・マンデラです。現在持病の肺の感染症のため危篤状態に陥っています。

今回は、彼がここまで成し遂げてた功績、そして現代に至るまでのマンデラ氏の影響についてインフォグラフィックでご紹介します。

ネルソン・マンデラとは誰?

既にご存知の方もいるかと思いますが、ネルソン・マンデラは南アフリカ第8代大統領で、反アパルトヘイト(人種隔離)闘争を率い、1993年にはノーベル平和賞を受賞しました。

ここまでの道のりは決して平坦ではなく、1964年には反アパルトヘイト運動により反逆罪として逮捕されそれから27年間に渡り刑務所に収容されました。

しかし、収監中、79年にインドの「ネルー賞」を受賞、88年には欧州議会の「サハロフ賞」を受賞するなど海外からの注目が高まり、1990年に釈放となりました。

1994年、第8代大統領に就任し、差別撤廃、格差是正、経済対策などに取り組みました。マンデラ氏は、人種・民族の融和をかかげ、「虹の国」の建設を宣言しました。1999年に政界を引退してからは、2001年に前立腺癌を患い12年より入院生活をおくっています。

ここまで波乱万丈な人生を送り、自らの命を犠牲にする覚悟で収監されてまでも人種差別を無くす運動を続け、実現させたマンデラ氏には本当に頭が下がります。

政界引退後も国民のヒーロー

既に10年以上も前に政治の世界から身を引いているマンデラ氏。

しかし、そのドラマチックな半生はたびたび映画でも描かれ、『マンデラの名もなき看守』のデニス・ヘイスバートや『インビクタス/負けざる者たち』のモーガン・フリーマンが不屈の精神を貫くマンデラ氏を演じており、その役を通じマンデラ氏の功績は今でも世界中の若い世代にも認知されています。

誕生日「マンデラ・デー」には国中が…

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教育は、世界を変えるために使うことができる最も強力な武器です

昨年の7月18日のマンデラ氏の94歳の誕生日に、ツイッターやフェイスブックなどのSNSを通じて多くの人々がこの「マンデラ・デー」と呼ばれる67分間(マンデラ氏が正義のために67年間戦い続けた)をどのように過ごしたかをインフォグラフィックでご紹介します。

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誕生日の2週間ほど前からオンラインでマンデラ氏を語ることは増えてきて、そして誕生日の週には約12万以上ものネット上の会話の中でマンデラ氏の話がされていたそうです!

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最終的に約19万以上の会話の中でこのマンデラ・デーについて語られていた、という結果も出ています。

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そしてこれは世界の約15%のオンライン上の人々を指します。

永遠の英雄は現在危篤状態

現在ネルソン・マンデラは危篤状態にあると報道されています。

しかし、南アフリカのここまでの発展だけではなく、世界中の人種差別を排除する手助けになったとも言われるマンデラ氏の運動にはこれからも学ぶ事がたくさんあると感じます。

早くお元気になることを願っています。7分弱の下記のマンデラ氏の生涯を語っているビデオも是非ご覧になってみて下さい。

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