みなさんは、世界無形文化遺産にも登録されている「バティック」を聞いたことがありますか?
今回はインドネシアの伝統的な布製品「バティック」について、インドネシアの歴史とともに紹介したいと思います。
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もともとは王宮のシンボル
バティックとは「蠟纈(ロウケツ)染めの布」のこと。ロウケツ染めとは、染めようとする色以外の所を蝋で覆う技法で、日本では「ジャワ更紗」の名前で知られています。
起源は古代ヒンドゥ・ジャワ王国の王宮文化にあり、王宮や一部貴族のみ着用が認められていました。そのためバティックの紋様は王宮を象徴するシンボルだったそうです。その後、一般家庭にも作り方のノウハウは浸透していきました。
オランダ統治下で産業化
19世紀頃から、ヨーロッパにおいてバティックが流行しました。それに伴い、オランダ統治下のインドネシアでバティックの産業化が始まります。
バティック産業は主にオランダ人女性によって取り仕切られ、ヨーロッパ風の紋様が取り入れられました。それらは好評を生み、バティックは家庭用の製品から商業用の製品に変わって行ったのです。
日本統治時代
第一次大戦以降、バティックに使用されている原綿布の85%は実は日本から輸入されていました。
第2次世界大戦時、オランダから日本の統治下に入ると、扇子や富士山など日本の着物を意識したバティックが作られるようになりました。
独立の象徴として
オランダや日本からの長い統治の末独立を果たしたインドネシアの初代大統領スカルノは、ナショナルアイデンティティ形成の目的で新しいバティックを作りました。
これらはバティックインドネシアと呼ばれ、現在でも愛され、バティック創作の基礎となっています。
そして、インドネシアのバティックは、2009年10月2日にユネスコによって世界無形文化遺産に認定されました。
現代風なバティックはとてもファッショナブルです。また次の機会に紹介したいと思います。
[ポップカルチャー学会『A.P.O.C.S.』第6号(2012年)「世界無形文化遺産としてのバティックとその変容」]
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