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みなさんこんにちは!2017年9月から1年間、e-Educationミャンマープロジェクトを担当する早稲田大学社会科学部3年村山輝周(むらやまてるちか)です。

9月からの渡航を前に、今回は僕がどうして大学を休学し、e-Educationで1年活動することを決断したのかについてお話させてください!

挫折と疑念

大学進学で上京するまでの18年間私は宮崎県で生まれ育ちました。これといって大きな悩みを抱えることもなく、地元の小中学校に通って、友達と遊び、サッカー部で部活に打ち込みながら、勉強で悩むこともなく、順調に高校へと進学。

高校は宮崎県の進学校で、厳しい環境の中で友達と遊びながらも、互いに刺激をし合いつつ勉強に打ち込んでいました。そんな日々に疑念を持ち始めたのは大学受験がきっかけでした。

「何のために大学受験をするのだろう。大学を出てから何をしたいんだろう」

受験勉強をしている時に、誰もが一度は自問したと思います。

僕もそうでした。これまで将来のことも深く考えたこともなく、考えようともしなかった自分にとって、大学受験は大きな壁となりました。

受験に向けて勉強をしないといけないのに、悩みは日々大きくなるばかり。悩みは積み重なり、思索を進め、調べど調べど答えは出る気配を一向に見せません。

そんな中で挑んだ大学受験では結局自分が第一志望としていた大学に合格することはできず、高校卒業後に進学をするのか、1年間浪人するのかを悶々と悩む日々が続きます。

そして僕はこんな目標を決めました。

「浪人をしたのかもしれない1年間を大学で過ごして、行動して、この悩みに対して納得できる答えを自分で出そう」

そして大学進学を機に上京をし、いろんな活動に飛び込んでいくことになります。

自分を海外と結びつけてくれた学問

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十大学合同セミナーで論文執筆した直後

早稲田大学社会科学部では2年次からゼミナールに所属し、専門的な勉強が始まります。

大学入学後に政策立案コンテストという企画を運営する学生団体に所属し、日本の政策や社会問題について学ぶことをしていて、大学のゼミでは国際関係を学び、世界から見た日本や、国際問題についての知見を深めたいという思いから国際関係を専攻するゼミに所属しました。

ゼミで国際関係について学ぶ中で、ゼミ生が例年参加しているという十大学合同セミナーに出会い、自身も2016年、2017年と2年連続で参加しました。

十大学合同セミナーでは安全保障、貧困格差といった国際問題を題材に、大学の垣根を超えて、集まった大学生が3ヶ月間共同論文執筆に取り組みます。

政策について学ぶうちに格差や貧困という問題に対して関心が出てきたため、1年目は「開発」、2年目は「貧困格差」のセクションに所属し、共同論文執筆をしました。

3ヶ月間苦しいことも多かったですが、その分やりがいや楽しさも大きく、国際関係の視点から国際問題を分析する新しい視点を手に入れ、多くの仲間ができました。ですが、その中で1つだけ自分自身が腑に落ちないことがありました。

それが「日本から出たこともない自分が国際問題について語り、それについて研究することは果たしてどうなのだろうか」という疑問でした。

よくよく考えてみれば、18年間宮崎で過ごし、上京はして留学生と話すことはあっても、実際に海外での生活に身を置いたり、実際に国際協力の一環として関わったことはこれまでありませんでした。

論文を書く際には多くの国際協力の事例について調べてそれを反映させていきます。ただその事例について、現場のことを知らないままそれを引用し活用することについて、自分自身モヤモヤしたものが残りました。

たくさんの事例を開発や貧困格差といったテーマの論文を執筆する中で「何を”良い”という基準にするのか」「格差がなくなるとはどういうことか」など考える中で、「日本を出て、世界のことをもっと知りたい」「実際の現場で携わりたい」という気持ちは高まっていきました。

教育ってなんだろう

そのような気持ちを抱える傍で、教育についての関心が高まっていました。大学2年生の頃に受けた教育社会学の講義はこれまで自分が受けてきた教育について振り返らせてくれるものでした。

「自分が受けてきた教育の歴史」についてディスカッションをした時には、これまで自分が当たり前だと感じながら受けてきた教育がどれだけ恵まれたものだったのか、自分がどんな人たちに囲まれて生きてきたのかを振り返ることができた一方で、良い教育とは何だろうか、地理的な格差によって欠けている部分が多くあったのではないのかと感じることが多くありました。

自分の両親が教員であったことから、これまで受けてきた教育やそれを提供する教育制度に関しても「どのように教育を良くしていくことができるだろうか」「これからの教育はどう変わっていくのだろうか」と考えるようになりました。

ただ、それと同時に今何もない自分が教育に対してどんなことができるのだろうかと疑問や無力感も多くあったことも事実でした。ですが、「どうやって教育と関わっていくのか」「どう教育を良くしていけるか」それが自分の中で重要な問いになっていることに気づきました。

e-Educationとの出会い、そしてミャンマーへ

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ミャンマー行きの飛行機

そんな気持ちを抱えている時に、人の紹介を通じて、e-Educationに出会います。

「大学生の立場からでも教育を届ける支援に実際に関わることができるのか!」

当時、国際関係についてさらに学ぶために海外大学への留学も視野に入れていた自分にとって、海外でのインターンという選択肢は晴天の霹靂でした。途上国の現場で1年間教育支援に携わる機会はなかなかありません。留学よりも自分がやってみたいことに近いと確信しました。すぐに代表の開人さんと会って話をし、実際に活動をしたいと強く思いました。

そしてその2週間後、僕はミャンマーにいました。

活動する国として候補に上げてもらった国の一つであり活動について知りたかったこと、これまで知らなかった途上国の現実を見てみたかったこともあり、代表の三輪さんと話した後、すぐにミャンマーに行くことに決めました。

ミャンマーでは主要都市であるヤンゴンと、そこからバスで8時間ほどいったところにあるマンダレーという地域のザガインという農村で、それぞれ滞在をしました。

その中でも記憶に残っていることとして滞在している時に僕にザガインを案内してくれたミンカイさんというミャンマー人の方との出会いがあります。

現地を案内してくださっている際に、建設業と不動産を仕事にしている彼が、僧院学校の建設を無料で引き受けていることを知りました。滞在中にどうしてそんな取り組みをボランティアでするようになったのか、彼に訪ねる機会がありました。

すると彼は、こう教えてくれました。

「人種や宗教が違っていてもみんな同じ人間。ミャンマー人でも日本人でもみんな同じ。生きていくのに必要な教育が足りていないのであれば、僕たちが届けていくんだ。そのためにできることは何でもやるんだ」

これまでの自分が何だかちっぽけに感じた瞬間でした。教育という切り口で自分も何かできる、できるならやりたい。そう強く思いました。

その後e-Educationメンバーとミャンマーで会い、自分の思いを確かめ、そしてミャンマーでの活動に関わることを決めます。

「教育という切り口から日本の問題・途上国の抱える問題を何か少しでも改善していきたい!」

そんな気持ちが自分に芽生えた時でした。

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ザガインで案内してくれた2人

挑戦は続く

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高校生の時に持っていた「大学を出てから何をしたいんだろう」という悩みに対して、まだ明確な答えは出ていません。でも、少しずつ、少しずつではありますが、それに向かって進んできている自分がいるような気もしています。

これから1年間の活動の中で、今まで以上に目の前のことに挑戦し、行動し、取り組んでいく中で自分でその答えを掴み取りたいと思います。

「教育という切り口から日本の問題・途上国の抱える問題を少しでも改善していく」

この気持ちを胸に現地で少しでも力になれるように頑張ってきます。よろしくお願いします!


途上国の教育課題を若者の力で解決する

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