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こんにちは!2019年4月よりe-Educationに参画した猪瀬絢子です。
学生時代から国際協力に携わり、留学という海外経験はないものの、一般企業を経て、想いを持ち続けることで念願のNPOスタッフとして働くことになりました。
今日は私がe-Educationの仲間になるまでの道のりを紹介させてください。

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バングラデシュへの想い

もともと世の中の不平等に興味関心のあった私は、世の中のリアルがどうなっているのかを知りたいという気持ちから、大学生になるとともに国際協力の世界に飛び込みました。

ゼミでは模擬国連でマクロな国際社会を体感し、友人の紹介で出会ったNGOの学生ユースチームでは草の根レベルの国際協力の世界を疑似体験することから始まりました。

そのNGOが長年バングラデシュを支援していたことから、自然とバングラデシュの話を聞く機会が増え、NGOのユースチームの活動を始めて1年足らずで、まだ見ぬ“途上国・バングラデシュ”への気持ちが膨らみました。

そうして、大学2年生になる直前の春休み、そのNGOが主催する“中高生スタディーツアー”に引率ボランティアとして参加することとなったのです。

10人の中高生と共にいざバングラデシュへ

空港に降り立った瞬間に「何この臭い!?この湿気!?」と感じたあの衝撃は今でも思い出せます。

そこからはいく先々で、まるで映画スターにでもなったかのようにバングラデシュの人たちから好奇な視線を浴び、すぐに人だかりができるという状況での10日間でした。

外国人は当時、首都のダッカでも珍しかったのでしょう、とにかく目立ったことを覚えています。

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スタディツアーで農村の民家を訪問した

今でも答えられない、あの質問

ツアーでは、車に揺られて向かった農村部でそのNGOが行う活動を見学し、裨益者(村民)の家庭も訪問させていただきました。

そこは、お世辞にも現代の日本ではもう見られない、言葉を選ばずに言えば“ほったて小屋”とも言える簡素な作りの家。

それでも外国からお客が来るから、とスナック菓子やフルーツ、彼らにとっては高級品であるスプライトジュースを用意してくださり、ありったけのおもてなしをしてくれました。

そこの家族と交流する中で、母親である女性が私に聞きました。

(女性) あなたは仕事をしていますか?
(私) 学生ですが、アルバイトをしています。
(女性) 月いくら稼いでいますか?
 ・・・(言葉に詰まる私。それでも引率のNGOスタッフが言っていいよ、と背中を押してくれたので答えました)
(私) 7万円です。
(当時の農家の月収が3千円程度と聞いていたので答えるのを躊躇したのです。)
(女性) どうしたら私たちはあなたのようになれますか?(日本が)どうやって発展し裕福な国になれたのか教えてください。
 ・・・(再び沈黙)

私はここから、うまく答えることができなくなってしまいました。

どうしてこんな恵まれた環境にいられるかなんて今まで一度も考えたことはありませんでした。

正確には、微力ながら国際協力に関わるようになって、ぼんやりと考えてはいたかもしれません。でも、ここまで状況の異なる人から直接指摘されたことは、私の中でとても大きな衝撃でした。

その家庭からの帰り道、悔しさと情けなさと、やり場のない気持ちが交錯して涙が止まらなかったのを覚えています。

たまたま日本に生まれたというだけで、これまで衣食住、何も困ることなく暮らしてきた自分。教育を受けられるのも当たり前。

戦後、たくさんの日本人の努力があって復興し、経済大国となったのは日本だけど、別に私が頑張ったからでも努力したからでもなんでもない。どうしたらいいかと聞かれても、やり方なんてわからない、そんなことが頭の中でぐるぐると回っていました。

そうした衝撃的な家庭訪問とともに私の初・途上国体験は幕を閉じました。

一般企業への就職から6年、NGOへの転職を決意

それからも国内で国際協力のボランティア活動を続けた後、大学卒業後はまずは世間一般的な経験が必要では、と考えて一般企業へ就職しました。転勤先の和歌山で、休日を利用してチャリティーコンサートやチャリティーフリーマーケット、講演会などを行ったりもしましたが、やはり自分はもっと直接国際協力に関わっていきたい、との気持ちが抑えきれなくなり、転職する決意を固めました。

現地に行ったこともほとんどなく(最初で最後のバングラデシュ・スタディツアーのみ)、留学経験もない私だけど何か考えよう、と動き出しました。

すると不思議なもので、絶対に難しいと思っていた学生時代に携わっていたNGO(社会人になってからは会員として応援していました)に空きができる、との情報を聞きつけ早速応募したところ、ご縁あってそこで働くこととなりました。

そこではフェアトレードの卸販売の営業を担当しました。国際協力と言っても国内でできる仕事も多々あり、卸営業という意味では企業様相手の仕事がメインでした。

その他、その団体が東日本大地震の復興支援も始めたことから、1年間福島県いわき市に駐在もしました。この時は、津波・地震被災者や原発避難の方々の支援に当たる一方で、震災があったことで加速した高齢化・過疎化の問題にも直面し、国内の社会問題の根深さも痛感しました。

バングラデシュ駐在の前に立ちはだかる壁

仕事を続けていく中で、今度はバングラデシュの駐在員の話が浮上しました。当時そのNGOはバングラデシュで、家事使用人として学校にも行けずに働いている少女たちの支援や、洪水・サイクロンが頻発する地域での防災活動、先住民族の子どもたちの就学支援を行なっており、関心のあるプロジェクトばかりが走っていました。即答できるほど行きたい!と思ったのですが、一つ大きな壁がありました。

それは私の両親です。

途上国=危険な地域、衛生的でない場所、という認識が強かったこともあり、一人娘がいくのをどうしても許してくれませんでした。

しかし、お手上げ状態となった私の救世主となったのは夫でした

当時結婚してまだ1年足らずではありましたが、私のやりたいことだから1年なら、と駐在へ行くことを快諾してくれた夫は、その後私の両親の説得もしてくれたのでした。そうして、両親は、快諾とはいかないまでも渋々了承してくれました。

よく、「結婚すると自由がなくなる」と言う方もいますが、私の場合は結婚したことで夫というサポーターを得ることができ、より一層キャリアが広がりました。

それから1年間、駐在中はバングラデシュの都市部・農村部双方を周り様々な経験を積むことに。現場経験のなかった私は日本から出張してくる先輩方やローカルスタッフから教えてもらうことばかりではありましたが、とても貴重な時間を過ごすことができました。

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バングラデシュ農村部の女性たちと

地方の農村部へ行けば、都市部との格差は一目瞭然なほどに明らかですし、義務教育の就学率が上がったとは言え、退学してしまう小学生も多いのが現状です。また、高校や大学を卒業できても人口増加が著しいバングラデシュは就職先を見つけるのは至難の技です。GDPなどの経済指標で見ると急成長を遂げているバングラデシュですが、その分とり残されてしまう人たちと富裕層の格差は広がるばかりです。

任期を終えた私は後ろ髪を引かれる思いで帰国しました。

それからまた国内業務についたのですが、現地で出会った優しい人々と、未だ解決の目処が立たない課題の数々が忘れられず、バングラデシュに対する想いは募る一方でした。

結婚から3年、家庭との両立も考えたい

モヤモヤした気持ちとともに日本での仕事に戻った私は、人生の迷路に入りました。

もっと現地に寄り添いたい。でも家族との時間も大切にしたい。どうしたら良いのか。

そこで出した結論は、一旦休む、でした。そう決めるまでにそれほど時間はかかりませんでした。

休むと言っても、次の道を探すための猶予期間と考えていたので、自分でバングラデシュと日本を行き来しながらどんなことが自分に何ができるか考えようと思っていました。そうして6年務めたNGOを退職しました。

それから自分でバングラデシュと日本を行き来しながら次の道を模索し始めたところ、偶然にも出張ベースで現地と関わるe-Educationの仕事と出会いました。

しばらくどこかの団体に所属することはせずにいようと考えていた私ですが、e-Educationの職員採用の募集要項を見ればみるほど仕事内容や働き方が、まさに今の私の求めていたもので、応募を決めるのにほとんど時間はかかりませんでした。

これまで勤めていたNGOの駐在時は家事使用人として働いている少女が学習できるようサポートする事業に携わっていましたが、e-Educationでは今度は大学受験を目指す高校生の支援。

対象は異なるながらも、農村部に暮らし予備校へ通えるだけの経済的余裕がない生徒たちをサポートするということ、同じ教育という現場であるということから、ほとんど迷いはありませんでした。また、現地駐在ではなく出張ベースで現地と関わりながら働ける、ということも既婚者としてはとても良いスタイルでした。

バングラデシュで出会う多くの刺激

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農村部で大学進学を目指す少女たちと

こうしてe-Educationの一員となった私は、晴れてバングラデシュ担当となりました。

e-Educationのバングラデシュの現地パートナーは、急成長中の団体で優秀な方も多く、共に働く上で刺激をたくさんもらいます。

また、e-Educationが農村部で展開する教育支援の現場には家庭の経済的事情からこれまで大学進学など考えたことがなかったという少年や、家庭は貧しくないながらも宗教上や治安上の理由から都市部の塾へ通うことが叶わずにいた少女に出会いました。彼ら彼女たちは自分が今いる場所でできる最大限の努力をしながら、輝く未来を信じて大学進学を目指しています。

こうした素晴らしい人々と共に未来へ向かう仕事、これ以上の天職はないと思います。

e-Educationで働くおもしろさ

バングラデシュのパートナー団体代表の来日時にインターンやスタッフと

現地で受ける刺激もさることながら、e-Educationの魅力のもう一つはそのメンバーにあると思います。少数の職員は皆、見事にバックグランドが様々でかつ個性的。

そして特にお伝えしたいのは、現地および国内で私たちと共に働くインターンの存在です。大学生である彼ら彼女たちからもらう刺激は、仕事をより一層深みのあるものにしてくれます。時にはお姉さん的立場で接することもあれば、また別の時には、初めてバングラデシュに行った頃の純粋でまっすぐな気持ちや、就職してすぐの頃の初心を思い出させてくれる貴重な存在となっています。

e-Educationでは、バングラデシュの他にもフィリピンやネパール、ミャンマーなどで活動を展開しており、そうした意味ではここでは語り尽くせない仕事のやりがいがその国の数だけあります。そして現在私たちは、こうした職場で一緒に働いてくれる新たなに仲間を募集しています。
長くなりましたが、この投稿を読んで少しでも興味関心をお持ちいただいた方がいましたら、職員・インターン一同、ご応募心よりお待ちしています!

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e-Educationのスタッフ一同


途上国の教育課題を若者の力で解決する

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