5年前のバングラデシュにて
東日本大震災から5年。
「5年」という節目の年であるからなのか、テレビや新聞では大きな特集が組まれていましたが、果たして1年前や2年前はいかがだったでしょうか?
何か忘れつつあるのではないでしょうか?震災の被害は思い出すことができても、「誰が」支援してくれたのかハッキリ思い出せなくなっている人も多いのではないでしょうか?
そんな「誰か」を思い出して欲しく、トジョウエンジンでは2年前からこの日に「震災」と「途上国」をつなげる記事を書くようになりました。
今年で3年目。ぜひ考えて欲しい「途上国」のことをご紹介します。
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行ったことのない「途上国」からの支援
2年前、『あれから3年。私たちは一体どれだけの人に支えられてきたのか?そして今からできることは?』という記事を書きました。
まず記事で紹介したのは、支援をしてくれた全ての国の紹介。その数なんと163カ国。改めて紹介しますので、ぜひ知っている国がどれくらいあるか、チェックしてみてください。
インド,インドネシア,韓国,カンボジア,シンガポール,スリランカ,タイ,中国,ネパール,パキスタン,バングラデシュ,東ティモール,フィリピン,ブータン,ブルネイ,ベトナム,マレーシア,ミャンマー,モルディブ,モンゴル,ラオス,台湾,香港
(大洋州)
オーストラリア,キリバス,サモア,ソロモン,ツバル,トンガ,ニュージーランド,バヌアツ,パプアニューギニア,パラオ,フィジー,マーシャル,ミクロネシア
(北米)
米国,カナダ
(中南米)
アルゼンチン,アンティグア・バーブーダ,ウルグアイ,エクアドル,エルサルバドル,ガイアナ,キューバ,グアテマラ,グレナダ,コスタリカ,コロンビア,ジャマイカ,スリナム,セントビンセント及びグレナディーン諸島,セントルシア,チリ,ドミニカ(共),トリニダード・トバゴ,ニカラグア,ハイチ,パナマ,パラグアイ,ブラジル,ベネズエラ,ペルー,ボリビア,ホンジュラス,メキシコ
(欧州)
アイスランド,アイルランド,アゼルバイジャン,アルバニア,アルメニア,アンドラ,イタリア,ウクライナ,ウズベキスタン,英国,エストニア,オーストリア,オランダ,カザフスタン,キプロス,ギリシャ,キルギス,グルジア,クロアチア,コソボ,スイス,スウェーデン,スペイン,スロバキア,スロベニア,セルビア,タジキスタン,チェコ,デンマーク,ドイツ,トルクメニスタン,ノルウェー,バチカン,ハンガリー,フィンランド,フランス,ブルガリア,ベラルーシ,ベルギー,ボスニア・ヘルツェゴビナ,ポーランド,ポルトガル,マケドニア,マルタ,モナコ,モルドバ,モンテネグロ,ラトビア,リトアニア,リヒテンシュタイン,ルーマニア,ルクセンブルク,ロシア
(中東)
アフガニスタン,アラブ首長国連邦,イスラエル,イラク,イラン,オマーン,カタール,クウェート,サウジアラビア,トルコ,バーレーン,パレスチナ自治政府,ヨルダン
(アフリカ)
アルジェリア,ウガンダ,エジプト,エチオピア,エリトリア,ガーナ,ガボン,カメルーン,ガンビア,ケニア,コンゴ(共),ザンビア,ジブチ,ジンバブエ,スーダン,赤道ギニア,セネガル,タンザニア,チャド,チュニジア,トーゴ,ナイジェリア,ナミビア,ニジェール,ボツワナ,マダガスカル,マリ,南アフリカ,モーリタニア,モロッコ,ルワンダ
いかがでしょう?このリストの中に「途上国」はいくつ含まれていたでしょう?各国からこんなメッセージも届いています。
アフガニスタン国民は常に日本からの支援と好意に感謝しており,親愛なる日本国民が困難な時期に我々の側にいたことを決して忘れることはありません。(アフガニスタン カルザイ大統領)
私達の気持ちは,スーダンが危機の時にあっても私達を支持してくれた国という日本に対するスーダン人の好意的印象と同様に,恐ろしい災害によって被害を受けた全ての人々と共にあります。 (スーダン ケルティ外相)
アフガスタンやスーダンに行ったことがある方は少ないでしょう。でも、行ったことのない「途上国」から物資や資金の支援が日本へと届きました。
今回の震災支援だけではありません。過去にも何度か日本は支援を受けており、そこには「日本」と「途上国」をつなぐ物語があります。
トルコやスリランカと日本を結ぶ物語
1年前に書いた記事が、『世界はこんなにも繋がっている。「3.11」を思い出す時にぜひ一緒に思い出して欲しい5つの出来事』です。
実際の支援の取り組みについて紹介し、その中で取り上げた国がトルコやスリランカ。支援の内容と、それぞれの国と日本をつなぐ物語についてご紹介します。
トルコと日本を結ぶ物語
震災後、トルコからは22名の支援員と5名の救助隊員を含む合計32名の災害支援ボランティアがやってきました。もともとトルコは親日の国ですが、それ以上に深いつながりがあります。それは1999年に起こったトルコ北西部地震において日本が支援した歴史があり、恩返しという気持ちで活動してくれたのでした。
2つの国を結ぶ物語はまだあります。昨年、マンガにもなった「エルトゥールル号遭難事件」です。100年以上前の事件になりますが、トルコの軍艦が和歌山に座礁沈没し、全国から救助のための人やお金が集まりました。
詳しくは以下の記事を読んでいただければと思いますが、震災や事件のたびに両国は助け合い、絆が深まっていきました。
スリランカと日本を結ぶ物語
災害支援の実績があった国はトルコだけではありません。スマトラ沖大地震・インド洋津波被害ではインド・スリランカにて大勢の命が失われ、ここでも日本の災害支援の貢献がありました。
そこで支援を受けたインドの男性が日本へやってきたことがテレビでも取り上げられましたが、2つの国合わせて60名を超えるボランティアが日本へ駆けつけてくれました。
これが5年前の出来事ですが、昨年茨城県常総市を襲った台風でもスリランカの方々がボランティアに駆けつけてくれました。
スリランカ大使館の臨時代理大使も支援に駆けつけ、「日本はスリランカが大変なことになっていた時、常に助けてくれた。2004年のインド洋大津波の時もそうだ。他の時も同様だ」と両国の絆についてコメントされました。
以前トジョウエンジンでもご紹介しましたが、スリランカは日本と一番早く外交を結んだ国です。
第二次世界大戦敗戦後、日本の領土がアメリカやイギリスによって分割される予定だった中、当時のスリランカ(セイロン)大統領・ジャヤワルダナ氏は、「戦争に負けた日本にもう一度チャンスを与えるべき」「憎しみは何も生み出さない」と戦勝国に対しスピーチを行い、界で一番早く正式に日本と外交関係を結ぶことを決めたのです。
昨年の震災支援や、日本の歴史を変えたスピーチ。ご存知なかった方は、ぜひ以下の記事もご参照ください。
今、私たちにできることは?
最後に皆さんへ質問です。この1年間を通じて、世界各地でどれだけ震災があったでしょうか?
ミャンマーでは被害者100万人を超える洪水がありました。先月も南半球史上最大規模のサイクロンがフィジーを襲いました。どちらも日本ではあまりニュースにならず、もしかしたらご存知ない方もいらっしゃるかもしれません。
震災から5年。本日のニュースや新聞で、当時のことを思い出した方も多いでしょう。ただ、それと同時に覚えていただきたいことが、「途上国」との繋がりです。こんな日だからこそ、「途上国」のことを考えていただきたいです。
昨年、世界で最も被害の大きな災害をひとつ選ぶとすれば、「ネパールの大地震」ではないでしょうか。国家機能がほとんど停止するほどの災害であり、緊急支援や復興活動は非常に遅れ、今も苦しい生活を続けている人たちがいます。
私たちe-Educationも被災地で教育支援を実施しており、まだまだ皆さんのサポートが必要です。被災地支援に特化した寄付も受け付けておりますので、ぜひご協力お願いいたします。
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