一部上場企業からNPO法人へ
従業員数2万人から職員数7人へ
人より多くもらっていた給料は半分へ
それでも、変えたい世界がありました。
みなさんは人生が変わった瞬間を覚えていますか?多くの人が「自分の考えが変わった」とか「意識が変化した」という人生のターニングポイントを持っていると思います。
僕にも人生のターニングポイントがありました。初めての海外旅行でカンボジアに行った時、音を立てるように自分の常識が崩れていき、職業観や人生観が大きく変化しました。
憧れていた企業に就職でき、やりがいのある仕事を任され、何一つ不満のない社会人生活でした。しかし、僕はどうしてもこの『人生のターニングポイント』を忘れることが出来ず、今年の3月に前職である大手教育企業を退職してe-Educationに挑戦することを決断しました。
この記事では僕が大手企業を辞めてから、なぜ従業員7人の小さなNPOに転職したかを綴りたいと思います。
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みなさんこんにちは!坂井健と申します。今年度よりe-Educationの職員として働く事になりました。実はぼく、他の職員と違う経歴の持ち主なんです。
と、いいますのも、大学生の時にe-Educationでインドネシアに行っていたからです。e-Educationを卒業した後、かねてより憧れであった大手教育企業に就職をしました。
この時は自分の憧れていた企業を退職してまで、自分がもう一度e-Educationに戻ってくるなんて夢にも思いませんでした。
大きな転換期だった海外出張
学校の課題について話し合うフィリピンの人々
前職では海外を含めた各地への出張やプロジェクトリーダー、新規事業立案等色々なことに挑戦させていただきました。その中でもフィリピンへの出張の機会をいただけたことは大変ありがたかったです。
フィリピンでは現在「K-12」という大変大きな教育改革が行われています。今まで10年制だった学校教育に新しく2年間高校を新設することで、日本と同じ12年制にするという動きです。
僕がそこで感じたのはあまりに何も「ない」ということでした。初めて高校ができるのですから、高校のカリキュラムは「ない」し、高校内容を教えられる先生もい「ない」。
たくさんの困っているフィリピンの先生を目の前にふつふつを沸き上がるものがあったことが自分でもわかりました。
もう一度海外で挑戦したい
フィリピンのカントリーマネージャーという仕事
フィリピン出張から帰国し、日々の業務に忙殺される中、久しぶりに会った代表理事の三輪より「フィリピンのカントリーマネージャーという仕事に興味はないか」と話をもらいました。もちろん古巣ですからフィリピンでどんなプロジェクトを行っているかは、知っているつもりでした。
しかし、深く聞いていくと自分の思っていたよりもはるかに大きなインパクトが出つつあるプロジェクトに成長していて驚きが隠せません。
フィリピン政府、日本の技術を持った会社、そして我々NPOが三位一体となり、それぞれのセクターの垣根を越えてK-12を初めとしたフィリピンの教育課題の解決に取り組んでいました。
フィリピンの教育課題に対し、産官民が力を合わせ、日本の技術力を結集して解決を目指すそのビジョンに心を打たれ、大学時代に関わっていたe-Educationに戻る事を決意しました。
もう一度この世界に戻ってきた理由
最終的に僕をe-Educationに引き戻したのは他でもない『人生のターニングポイント』でした。冒頭でもお話しした通り、僕の人生のターニングポイントは初めての海外経験である、カンボジア旅行でした。
そのカンボジアでたまたま中学生くらいの子どもにアンコ−ルワットを案内してもらいました。その子は小さいながらに働いているだけでなく、5カ国語も操るそう。理由は日本・韓国・中国・英語圏の観光客が1番多いから。
カンボジアで出会った子と日本語でそんな会話をしながら、僕は今からこの子に渡すはずである1ドルを握りしめながら、自分の境遇と比べていました。
「もし僕がカンボジアに生まれたらどうだっただろう?今のように好きな事をして、大学に行って楽しく毎日遊んで授業をサボってカラオケに行くような生活を送れるだろうか?」
と自分に問いかけて見ても、返ってくる答えは決まっていました。
胸が熱くなりました。自分を本当にバカだと思いました。少しだけ勉強ができる自分は決して偉いわけではなく、たまたま日本に生まれたという環境に甘えていただけでした。
スイッチが入る音がしました。その音は人生のターニングポイントを知らせる合図でした。その子の存在は僕を国際協力の世界に向かわせるには十分でした。
「日本人にたまたま生まれてしまったことから今の自分がある。日本人に生まれたことに感謝をし、世界の発展のために少しでもこの命を、使おう」
その時、そう誓いました。
マニラの空港で偶然見つけた看板が教えてくれたこと
e-Educationに入職し、緊張しながら最初のフィリピン出張に向かう中、トランジットのマニラ空港でこんな写真を見つけました。
これを見た時に「あ、おれはこのために国際協力の舞台に戻ってきたんだ」そう思いました。
この看板には、日本のODAで建設された空港に対する日本への尊敬が表れていました。きっと何年もかけて、たくさんの関係者が多くの苦難を乗り越えながらもフィリピンの発展を願って建設をしたのだと思います。
「最近は若者が海外に行かない」最近よく聞く言葉です。フィリピンにいるとわかりますが、最近は「Are you Chinese?」と聞かれることが多いです。中国は今、フィリピン政府に対して73億ドルの融資・援助を約束していると報道されています。
今多くの支援を中国が取っている現状を見て、「僕が大人になった時、将来の若者は海外で歓迎されている時代になるのだろうか」そう自分に問いかけた時、自信を持って「YES」と言えない自分がいました。
今の日本のプレゼンスを次の世代に引き継げるように微力ながら貢献したい。それが日本人に生まれたことの使命のように感じました。前職を退職する際に、何度も悩み本当に多くの方に相談をしました。この場を借りて御礼を申し上げたいと思います。
心が叫んでいるワクワクに素直に、次の一歩を踏み出してみました。人生のターニングポイントが教えてくれた、自分自身の心のコンパス。
日本人に生まれた誇りを胸に、また世界に旅立ちます。自分の志と行動が、微力ではあるけれど、無力ではないと信じて、少しでも世界を良くするために貢献したいと思っています。
たくさんの人に途上国を体験してほしい!
僕はカンボジアが原体験でした。カンボジアで出会った青年、景色、そこから感じるパワーが僕の人生を大きく変えました。途上国にはそれだけの魅力が溢れています。
人の人生を変えるほどに魅力があふれる途上国。この途上国をたくさんの人に体験してほしい。そのために今回VRでネパールを体験できるコンテンツを作成するためのクラウドファンディングに挑戦しています。
ネパールはアジア開発銀行で「アジア最貧国」と言われています。恐らくこれを読んでくださっているあなたもネパールに行ったことはないのではないでしょうか。「アジア最貧国」と聞いて何をイメージしますか?「大変そう」「可哀想」でしょうか?
違います。そこにはたくさんの笑顔と誇り、そしてネパールでしか味わうことのできない文化や絶景があります。
僕はこのネパールの良さをVRで誰でも体験できることを通して、途上国を好きになってもらい、実際に足を運んでみる人を一人でも増やしたい。
そしてそんな人たちが一人でも増えたら、きっとマニラの空港にあるように日本の尊敬を取り戻すことができると思っています。
一つの映像しか見えない動画とは違って、一人一人その時その時で見る景色が変わる自分にしか味わえないVR体験を通して、途上国を身近に感じてもらえる世界を創りたいです。
クラウドファンディング終了まであと10日。
クラウドファンディングは、目標額に1円でも達しなければ、すでにみなさまからいただいている40万円を超える大きな応援を受け取れなくなってしまいます。
どうしても、ネパールのリアルと魅力を誰もが体験できる世界を創りたい。
みなさまの応援を力に最後までがんばりますので、どうか皆様の応援をよろしくお願いします。
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