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「いつか国際協力に関わりたい」

このような想いを持ちながら、最初のキャリアとして民間企業に就職する人は少なくないでしょう。

しかし、実際に国際協力関係の仕事に転職できる人は極わずか。理由は様々ですが、転職の「キッカケ」がないことが大きな理由としてあげられます。

そんな「キッカケ」を自ら作り出し、国際NGOへの転職を選んだのが齊藤さん。大手総合商社で働きながら、新しいキャリアをどのように切り開いたのでしょうか?

その秘密についてインタビューしてきました。

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長期休暇の度にアフリカへ

転職先である国際NGOは約120カ国に支部を持っているグローバルNGO。
齊藤さんがこのNGOと出会った場所は、休暇中に訪ねた南アフリカ共和国でした。

「長期休暇はほとんど日本にいませんでした」

そう語る齊藤さんは、夏期休暇や年末の休暇をフルに使って、3年間でアフリカ8カ国を訪ねました。

訪問先では、必ず国際協力に携わる人たちに会って話を聞き、自分の目で途上国の課題を見て回ります。

「アフリカで働いてみたいとずっと思っていたのですが、やっぱり自分の目で見てみないと確信が持てなくて・・・」

国際協力の道に本当に進みたいか、それを見極めるために齊藤さんはアフリカへ何度も足を運んだのです。

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ここまで話を聞くと、齊藤さんが幼い頃からアフリカに関心を持っていたように思われる方もきっと多いはず。しかし、国際協力に関心を持ったのは意外な出来事がキッカケでした。

イタリア遠征と親友の登校拒否

齊藤さんの出身高校は静岡県の藤枝東高校で、部活はサッカー部。藤枝東と言えば全国屈指のサッカーの名門校で、部活の遠征でイタリアを訪問することもあるほどです。

ところが、齊藤さんはこのイタリア遠征に参加することができませんでした。理由は金銭的な負担。部活の遠征にかかる渡航費や現地滞在費は基本的に個々の負担であり、両親から遠征の許可がおりなかったのです。

また、同じサッカー部で全国大会出場を目指し、汗を流していた親友が金銭的な理由で登校拒否になる等、高校在学時、「貧しさ」について考える機会を得ました。

この経験から、世界の貧困問題に感心を持ち、これが国際協力の道を志すキッカケとなりました。

JICAでインターンをしても見えなかった国際協力のキャリア

高校を卒業して大学に入ると、早速国際協力の道を考え始めましたが、ここでも壁にぶつかりました。

大学2回生の頃、JICAの大阪国際センターでインターンの経験をし、途上国からの研修生やJICA関係者の人たちの話を聞いても、漠然と、海外の貧困問題や国際協力には興味があったものの「これだ!」と言える道が見えません。

そして迎えた就職活動では、自身の成長とビジネスからのアプローチに挑戦したく、大手総合商社への就職を選択しました。いつか国際協力のスペシャリストになるという想いを胸に秘め、社会人としての生活をスタートしたのです。

足を動かして、心に火をつける

社会人としての生活を始める際に、齊藤さんは心に決めていたことがありました。

それは国際協力に対する想いを維持すること。そのために、平日の夜や休日を使って、国際協力関係の仕事に就かれている方々の話を聞いて回りました。

ある時は友人から紹介してもらい、またある時は自らコンタクトを取ることで、ネットワークを広げていった齊藤さん。足を動かし、心に火を灯し続けたのです。

こうして足がどんどん外へと向かい、気づけば長期休暇の度にアフリカを訪れるようになったとのこと。転職先の国際NGOを知ったのも、南アフリカで偶々あった日本人からの紹介がきっかけでした。

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これからキャリアシフトを考える社会人の方へ

総合商社から国際NGOへ。自分の興味関心を掘り下げ、ずっとやりたかった国際協力の道へとキャリアシフトできた理由(コツ)を尋ねたところ、このような回答をもらいました。

「自分が好きだと思うこと、ワクワクすることに、少しずつでもいいから近づいてみること」

憧れのキャリアは、待っていてもやってきてくれる訳ではありません。

そうではなく、忙しい生活の中でも、やりたいことや好きなことに少しずつトライしていくことが、新しいキャリアを切り開くコツと言えるでしょう。

来月からアフリカに渡航し、いよいよ新しいキャリアを始める元商社マン・齊藤さんの挑戦。

現在、転職や起業を考えている社会人の皆さんにぜひ知ってほしいストーリーの紹介でした。


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